いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

頭がいい、賢い人だからこそ踏んでしまいやすい地雷が、いまの世の中には、たくさん埋められている。


約束された場所で (underground2)

約束された場所で (underground2)

内容紹介
癒しを求めた彼らはなぜ無差別殺人に行着いたのか?オウム信者へのインタビューと河合隼雄氏との対話によって現代の闇に迫る


 村上春樹さんの『約束された場所で』を10年ぶりくらいに再読しました。
 これは、村上春樹さんが1995年に起きた地下鉄サリン事件の被害者たちへの膨大なインタビューを記録した『アンダーグラウンド』の対になる作品で、村上さんがオウム信者たち(とはいっても、このインタビューに応じている時点では、それなりに教団とは距離を置いているのだが)に直接インタビューし、その成育歴からオウム真理教との出会い、信者としての生活、さまざまな事件を通して、いま、彼ら、彼女らが考えていることについて書き留めたものです。
 これが『文藝春秋』に連載されたのが1998年だから、もう20年前になるんですね。
 「ノストラダムスの大預言」で、人類が1999年に滅亡するとされている、というのに怯えて育ってきた僕たちが、びっくりするくらい平穏に2000年を迎えた(そういえば、「2000年問題」というのも大騒ぎしたわりには、僕の周りではたいしたことはありませんでした。大晦日の夜にみんなで病院に待機して、年が明けたとたんに豚汁やおにぎりがふるまわれ、大宴会になったことを思い出します)。

 『アンダーグラウンド』は、「当事者が語っていることを、なるべくそのまま封じ込めたノンフィクション」として大変興味深いものであると同時に、批判にもさらされてきた作品でした。
 『アンダーグラウンド』と、この『約束された場所で』は対になる作品なのですが、『アンダーグラウンド』はかなりのボリュームでもあり、僕は発表された当時から、この『約束された場所で』のほうをよく読み返していました。
 僕の知り合いにも、オウム信者で出家して、行方不明になった者がいたこともあるし、僕自身も、宗教なんて信じられるわけがない自分というものを持て余していたところがあったので。何かを信じれば、ラクになれるかもしれない、でも自分にはたぶんそれができない、という優越感と劣等感が入り混じったような気持ちを、ずっと抱えてきました。


 今回、読み返してみたきっかけは、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の刑が執行された際に、村上春樹さんが新聞社に寄稿した文章を読んだことでした。


blog.tinect.jp


 僕が医療者として、どんどん現実に適応していって、理不尽な仕事も「それでも誰かの役には立っているのだろうし、僕も食べていかなくちゃいけないし」と割り切る方向にどんどん向かっていったのに対して、林郁夫被告は、自分の力の限界を感じたがゆえに、より大きな力に帰依して、世の中を改善しようとしていたのです。
 僕自身、現実にいまひとつなじめない感触というのがずっとあって、この『約束された場所で』に出てくる、屁理屈ばかりこねている頭でっかちの信者の話や、「教団のなかでも、東大卒や美人はすぐに偉くなった」というエピソードを読んで、「結局、オウムも『世の中』なんだよな」と、妙に安心し、その一方で少し落胆したことをよく覚えています。
 ただ、年をとるとともに、元信者たちへの共感みたいなものは薄れてきて、「若気の至り、だな」と、彼らの弱さを責めたくなってもきているのです。
 それは、時代背景の変化なのか、僕の「老い」なのかは、よくわからないけれど。


 この本の「あとがき」で、村上さんは、こう書いておられます。

 地下鉄千代田線でサリンを撒き、二人の営団地下鉄職員を死亡に至らせた林郁夫も明らかにそのような(自分たちが身につけた専門技術や知識を、もっと深く有意義な目的のために役立てたいと思う)タイプの一人だった。彼は「患者思いの熱心で優秀な外科医」とまわりから評価されていたわけだが、おそらくはそれ故に、様々な矛盾と欠陥を抱えた現行の医療制度にだんだん深い不信感を抱くようになり、その結果オウム真理教の提示する実行力のある精神世界(塵ひとつ落ちていない強烈な理想郷)に強く心を惹かれるようになる。
 彼は著書『オウムと私』の中で、出家当時に教団に対して抱いていたイメージについて、このように記述している。


「麻原は説法で、シャンバラ化計画について語っていました。ロータス・ヴィレッジを建設するということでした。そこにはアストラル・ホスピタルという病院があり、真理学園という一貫教育の学校もあるということでしたが(中略)。医療は麻原が瞑想で異次元(アストラル)や過去生の記憶から導入したというアストラル医学なるものを駆使し、病人のカルマやエネルギー状態をみて、死や転生も考慮に入れたものということでした。(中略)私は、緑の多い自然の中に点々と存在する建物群で心をこめた医療や教育をするという、そのころ夢想していた病院や学校の姿とロータス・ヴィレッジとを重ね合わせていました」


 彼はそのような理想郷に身を投じ、現世の垢にまみれることなく厳しい修行を続けながら、とことん納得のいく医療を実践し、ひとりでも多くの患者を幸福にすることを夢見ていたのだろう。もちろんその動機が純粋なものであることは認めるし、ここで語られているヴィジョンがそれなりに美しく壮麗であることも認めるのだが、このようなイノセントな言語がどれくらい激しく現実と乖離しているかということは、一歩身を引いて考えればあまりにも自明である。それは私たちの目には、まるで遠近感を欠いた不思議な風景画のように映る。しかしたとえばそのときに私たちが林医師の個人的な友人であったとしても、出家を考えている彼に向かってその乖離性を有効に「証明する」ことは大変にむずかしい作業であったに違いない(あるいは今だって本当にはむずかしいのかもしれない)。
 でも実を言えば私たちが林医師に向かって語るべきことは、本来はとても簡単なことであるはずなのだ。それは「現実というのは、もともとが混乱や矛盾を含んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではないのです」ということだ。「そして一見整合的に見える言葉や論理に従って、うまく現実の一部を排除できたと思っても、その排除された現実は、必ずどこかで待ち伏せしてあなたに復讐することでしょう」と。
 とはいえ、林医師はそのような説得ではおそらく納得しなかっただろう。彼は専門的な言葉とマニュアル化されたロジックを連ねて鋭く反論し、自分の進もうとしている道がどれだけ正しく美しいものかを滔々と説いたことだろう。そして私たちはあるいは、そのようなロジックを乗り越えられるだけの有効な説得の言語を持たなかったかもしれない。その結果ある地点で口をつぐんでしまわなくてはならなかったかもしれない。残念なことだが、現実性を欠いた言葉や論理は、現実性を含んだ(それ故にいちいち夾雑物を重石のようにひきずって行動しなくてはならない)言葉や論理よりも往々にして強い力を持つからだ。そして私たちはお互いの言語を理解できぬままに、それぞれの方向に別れたことだろう。


 村上さんは、このあと、林郁夫死刑囚の手記に対して、「この人は何故こんなところにまで行かなくてはならなかったのか」という素直な疑問と、「しかし我々にはおそらく手のうちようもなかっただろう」という無力感が同時にわき起こってくる、と述べています。
 そして、「いちばん空しいのは、『功利的な社会』に対してもっとも批判的であるべきはずの者が、言うなれば『論理の功利性』を武器にして、多くの人々を破滅させていったことかもしれない」とも仰っています。


 僕はこれを久しぶりに読み返してみて、あらためて考えていました。
 ネット上では、「理想的な生き方」や「やりたいことを仕事にする」という言葉が躍りがちです。
 それらの言葉や理念の多くは「現実性を欠いた言葉や論理は、現実性を含んだ言葉や論理よりも往々にして強い力を持つ」ものでもあるんですよね。
 オウムの信者が、その教義の枠内で生きているかぎり、オウム的なロジックから逃れることができなかったのと同じように。
 そして、「現実というのは、もともとが混乱や矛盾を含んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではないのです」ということを、うまく他者に説明し、納得させられる人は、ほとんどいないのです。
 さらに、「現実を生きている人」には、「現実性を欠いた言葉や論理に従っている人々」をバカにし、罵詈雑言を浴びせながら、「ほーら、これが現実ってものなんだぞ、わかった?」と、思い知らせようとする人もいる。半ば、自らのストレス解消のために。
 自分をバカにしている人の言葉に「そうだったのか!」と頷ける人はなかなかいないから、彼ら(現実性を欠いた人)は「自分たちの言葉に真摯に耳を傾けてくれる人や場所」に、さらに依存していくのです。
 かくして、分断と孤立はすすんでいく。


 インターネットって、言葉の世界であり、「論理的であること」や「相手を論破すること」が重んじられやすいと僕は感じています。
 その一方で、その「論理」の根拠は、本人たちが思っているよりも、ずっと脆弱で、限定的であることも多いのです。
 頭がいい、賢い人だからこそ踏んでしまいやすい地雷、自分自身を洗脳してしまうきっかけみたいなものが、いまの世の中には、オウムの時代よりも、たくさん埋められている。
 その危険に「気づく」きっかけもたくさん存在しているのだけれども。


 これは、僕自身にも返ってくる話なのですが、「生きづらさ」というのは、ある意味、人生における「平常運転」なのでしょうね。
 もちろん、程度問題ではあるのだけれど。
 だからといって、「どんなに生きづらくても仕方がない」「他者を助けるなんて無理だ」とみんなが悟ってしまった世の中は、それはそれで悲しいものではあるのですが。
 安易な「救い」は危ない。
 でも、安易じゃないものは「救い」とは言い難いのではなかろうか。
 こうして、また時間だけが過ぎていく。


fujipon.hatenadiary.com

文庫 オウムからの帰還 (草思社文庫)

文庫 オウムからの帰還 (草思社文庫)

アクセスカウンター