いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「マイコンゲーム耳年増」だった頃のこと


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 呼んだ?
 ……たぶん誰も呼んでないと思うのですが書く、誰も読まなくても書く。
 
 僕は1970年代はじめの生まれなわけなのですが、小学校の中学年くらいで1980年発売の『ゲームウォッチ』が発売されたときには、親に「これ時計!時計だから!ゲームもついてるけど、時計が欲しかったんだ!」と強く主張して、『ボール』とか『マンホール』とかを買ってもらい(なんで時計がそんなに何個も必要なんだ、って話なんですが)、その後、デジコムベーダーとかクレイジーライミングといったLSIゲームにハマり、1980年代前半には、据え置き型のテレビゲームに憧れる日々をおくっていたのです。最初は棒どうしが対戦する「テニス」や「ブロック崩し」で、少しずつカセットを交換していろんなゲームができるハードが出てきました。ファミコン以前は、『ぴゅう太』が僕の憧れのマシンで、『スクランブル』のデモをずっと眺めていました。


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 僕が「マイコン」をはじめて知ったのは、記憶をたどっていくと、ケイブンシャの『マイコン大百科』だったと思います。
 マイコンを使うと、なんでも好きなことができる!と多くの人が信じていた希望に満ち溢れた時代で、シリーズの一冊で紹介されていた、Apple2の『ミステリーハウス』というアドベンチャーゲームに、僕はものすごく惹きつけられたのです。自分が推理小説の主人公になって、文章を読み、謎を解いていくことができる。本好きで、アクションゲームは大好きだったけれど、そんなにうまくはなかった僕にとっては、まさに夢のようなゲームでした。
 マイコンって、そんなことまでできるんだ!って。
 すがやみつる先生の『こんにちはマイコン』も、擦り切れるほど読んだものです。自分だったら、こんなゲームを作る、って思いながら。


 当時は、「ナイコン」という言葉が一般的で、いつかマイコンを手に入れることを夢見て、マイコンショップに通ってデモ機でゲームをしたり、マイコン雑誌を眺めている子どもや若者が大勢いました。僕も『I/O』や『LOGIN』の広告ページを見ているときが、いちばん幸せだった。想像のなかの新作ゲームは、ほとんど、実際に遊んだときよりも面白かったし。『I/O』の秋葉原日本橋(にっぽんばし)のMAPやハードの価格情報をみるのも楽しみでした。
 そうそう、書店で、僕が『I/O』を読んでいたら、おじさんが近づいてきて、「イチ、ゼロ……って、これ、何の本だ?」と呟いていたのを記憶しています。
 のちに、僕も『ポプコム』や『テクノポリス』の「美少女ゲーム特集」の表紙をみて、「これ、何の本なんだよ……レジに持っていけないよ……」と嘆くことになったのですが。
 今から考えると、あの時代にマイコン雑誌ばかり読んでいた息子に対して、僕の親は寛容だったなあ、と感謝せざるをえません。


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 Apple2は英語でしか使えなかったのですが、「英語の勉強になるから!」と、親に買ってくれ、と頼み、その値段に呆れられたのを覚えています。
 これからはマイコンの時代だから、勉強にも使えるから!絶対英語ができるようになるから!
 もし、買ってもらえていたら、どうなっていたのでしょうか。
 そもそも、当時は九州の地方都市の小学生の感覚では「Apple2なんて、どこで売ってるんだ?秋葉原にはあるだろうけど……」というくらいの存在だったのです。
 NECのPC8001,8801.6001とFM-7が置いてあるマイコンショップが商店街に1件、街でいちばん大きなベスト電器にもマイコンが何台か置いてあり、ゲームソフトは鍵付きのガラスケースに入れられていた時代でした。


 まあ、これらの地道な宣伝活動が功を奏して、のちに、シャープX1(テープ版)が家にやってくることになったので、ムダではなかったのかもしれません。
 あれは、仕事で家にいないことが多かった父親の、子どもへの罪滅ぼしだったのだろうか。


 僕自身の経験から類推すると、「昔の子どもが海外PC(パソコン)ゲームのことをよく知っていた」というのは、事実だと思うんですよ。
 ケイブンシャの『マイコン入門』などの、1980年代初期のマイコンを紹介した本の時代は、まだ国産のマイコンがほとんど普及しておらず、ゲームのバリエーションも少なかったため、マイコンゲームの話となると、「ゲームセンターで遊べるのとは、ちょっと違ったタイプのゲーム」として、海外ハード、とくにApple2で遊べるアドベンチャーやロールプレイング、シミュレーションが紹介されることが多かったのです。
 『ミステリーハウス』(のちに同じタイトルのものがマイクロキャビンから日本のマイコン向けに発売されましたが、単なる館探索ゲームになっていました)、『ZORK』、『ウィザードリィ』に『ウルティマ』。ああ、「ロード・ブリティッシュには会ったかい?」


 マイコンBASICマガジンで連載されていた、山下章さんの「チャレンジ!AVG&RPG」も毎号楽しみだったんだよなあ。『トランシルバニア』とかのカラーのハイレゾグラフィックに当時はものすごく憧れていました。
 マイコン雑誌でも、当時は国産ゲームだけではページが埋まらなかったこともあるのか、海外ゲームにかなり多くのスペースが割かれていたのです。
『遊撃手』『Bug News』なんて、マッキントッシュアミガなどの海外ゲームの話を嬉々としてやっている雑誌もあったんですよね。
そこで、なんだか面白いコラムを書いているおじさんがいるな、と思ったライターが、小田嶋隆さんだったり、『コンプティーク』のイボンヌ木村さんがいまの中村うさぎさんだったり、『ポプコム』のレーニンさんが馳星周さんになったり。
思うに、当時のマイコン雑誌というのは、『ジャンプ放送局』などと同じように、新しいもの好きのインドア系サブカル者たちが集まる「最前線」だったように思います。


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 あらためて考えてみると、当時のマイコンに憧れていた子どもたちにとっては、Apple2もPC8801もPC6001も、ある意味「フラットな存在」だったんですよね。だって、「ナイコン」なんだから。自分が持っていない、たぶん、これからもそう簡単には手に入れることはできないだろう、という点では、同じ距離に存在していた(PC6001くらいは、ほんのり「現実的」だったかも)。
 何もハードを持っていないからこそ、どのハード、どのソフトの情報にも、濃淡なく接して、ただ、面白そうなものを探していたのです。
 ファミコン後、MSX後になると、ハードを所有している人の絶対数が増え、みんな「自分が持っているハードに関する情報」への興味が中心になっていきました。

 マイコンには「移植」の文化もあって、僕の中高生時代でいちばん嫌いな言葉は「Turbo専用」だったのですけど。
 人は、あまりにかけ離れた存在に対してよりも、近い階層のほうが嫉妬の感情がわきやすい、というのをきくと、この時代のX1 Turboへの怨みを思い出します。


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 昔のゲーム雑誌って、海外ゲームの紹介の仕方がうまかった、というのもあるんですよね。
 こちら側にも「海外のゲーム」というだけで、なんだか憧れてしまうところがありました。
 『遊撃手』(『Bug News』時代かな……)の『オルター・エゴ』という、人生を辿っていくテキストアドベンチャーとか、『バランス・オブ・パワー』とか、やたらと面白そうだったものなあ。
 マイコンゲーマーだった僕は、『ドラゴンクエスト』に対しても、「所詮、『ウィザードリィ』『ウルティマ』のパクリだろ!子どもだまし!」と子どもであり、「本家」のほうはやったこともないのに憤っていたのです。
 

 のちに、日本のマイコン、そしてファミコンで日本語版が出た「本家」のほうをやってみたら、「これ、少なくとも僕にとっては『ドラゴンクエスト』のほうが面白い……」と愕然としたのですが。
 『ウルティマ』とか、これ、ゲームそのものより、各雑誌のゲームレビューのほうが、100倍くらい面白いんじゃないか……って。
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 ファミコンの『ポートピア連続殺人事件』での「もんすたあ さぷらいずど ゆう」というダンジョンの壁の言葉が何かの暗号だと思い、ずっと気にかかっていたのも、今となっては良い思い出です。
 堀井さんには、学生時代、ウィザードリィのキャラクターのレベルを1上げるために、3か月延々とダンジョンに潜っていた、という伝説もあります。
 でも、それは「ファミコンで遊んでいる子どもたち向け」でも、「マイコンゲームやロールプレイングゲームに慣れていない人向け」でもない、ということを認識して、「1」「2」「3」と三段階でプレイヤーも成長していくような仕組みをつくりあげたのが、堀井さんの凄さでもあるのです。
 

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 いかん、このあたりの話を書いていると、全然終わらなくなってしまう……
 ということで、とりあえずこのへんにしておきますが、「あの頃」のことをちゃんと保存しておきたい、と思いつつ、僕もこんなに年を重ねてしまいました。
 日本のテレビゲーム黎明期の証人たちに直接話を聞ける時間も、もう、そんなに残っていないかもしれない。
 「ファミコンから語られるテレビゲーム史」が当たり前になってしまうのは、僕にとっては寂しいことなのです。
 「ファミコン以前」のゲームにも、もっと光が当たってほしい(あんまり商売にならないのだろうけど)。


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