いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならない」

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 映画『羊と鋼の森』を観て、この記事を思い出したのです。
 天皇皇后両陛下も、この映画を鑑賞されていたんですよね。

 この記事では、美智子皇后が、原作を読んでおられて、出演者たちと、どこで撮影したのか、とか、美智子さま自身のきょうだいのこともお話になられたことが紹介されています。
 僕は、美智子さまが、『本屋大賞』を受賞した「ベストセラー」を読んでいたということに、けっこう驚いたのです。
 皇后さまでも、僕が普段読んでいるような「普通の本」を読んでいるのだなあ、って。
 
 
 僕は子供の頃、皇室というものにあまり親しみを抱けませんでした。
 「天皇の戦争責任」なんて、「ある」に決まっているとがいると考えてしましたし、生まれつきの血筋の良さだけで、年間何千万円ももらえるなんて不公平であり、それと同時に、いまの日本で、職業選択の自由もない「人間」がいるということへの疑問も持っていました。
 いわゆる「団塊ジュニア」世代の皇室観としては、そんなに珍しいものではなかったと思います。

 
 でも、両陛下より少しだけ年齢が下の僕の両親は、僕が物心ついたときからずっと、「美智子さまの大ファン」だったのです。
 あまり物事や人間への好悪を子供の前では見せなかった母親も、「美智子さまと長嶋(茂雄)さんだけは別格」だと、いつも言っていました。
 
 来年、天皇陛下生前退位により、平成の時代も終わるのですが、あらためて考えてみると、日本の皇室は、今上天皇・皇后両陛下がこの30年間勤めてこられたさまざまな活動により、昭和の時代よりも純粋に、多くの人に敬愛される存在になったと思います。
 
 親の話をきくと、美智子さまは、ずっと「国民のスーパーアイドル」だったと思い込んでしまうのですが、実際は、そうではなかったようなのです。

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 田原総一朗さんと小林よしのりさんの対談本なのですが、こんな話が出てきます。

田原総一郎天皇家が民間人と結婚したのは初めてのことでした。皇太子妃は皇族か伯爵以上の華族から選ばれるのが、これまでの慣わしだった。だから美智子さんがお妃になることに、旧宮家や皇室関係者は大反対しました。「とんでもない」と。「天皇の皇統、天皇の歴史を破壊することになるじゃないか」と、美智子さんは大バッシングを受けるんです。
 しかも美智子さんは、聖心女子大学の出身、つまりカトリック系の大学出身者です。だから、「もしかしたら、美智子さんは洗礼を受けているんじゃないか」と疑われた。それでこれもまた「とんでもない」ということになった。
 一時は昭和天皇も誤解して注意をしたり、旧宮家からも「美智子さん批判」が高まったんです。中でも香淳皇后、つまり昭和天皇の奥さんと美智子さんの関係がとても悪かった。そしてこれを発端に、いろんないわれなき「美智子さんバッシング」が巻き起こり、美智子さんは病気になってしまった。


(中略)


田原:当時はいろんな雑誌が、美智子さんバッシングをやっていましたね。


小林よしのりそのことをすべて、美智子妃は知っておられます。たとえば皇后になられた後でも、美智子さまは家の中で、わがまま放題でクリーニング代がものすごい額になったとか、そういう記事もありました。でもそんなのは全部ウソなんです。


 皇后・美智子さまが民間人としてはじめて皇太子妃となられたときのこと、僕は自分の親の世代(ちょうどいま70〜80歳くらい)からは、「美智子さまは本当に美しくて、気品があって、国民はみんな祝福し、そのご成婚をみるためにテレビを買った」と聞きました。
 しかしながら、実際は、そういう「歓迎ムード」だけではなく、嫁姑問題が取りざたされたり、「美智子妃バッシング」が行われたりしていたのです。
 現在の皇太子妃の雅子さまへのバッシングをみても、歴史は、とくに、ろくでもない歴史は繰り返すのか、と暗澹たる気分になります。 
 にもかかわらず、バッシングした側は、その「黒歴史」がなかったようにふるまっているのです。


 高橋源一郎さんが、ひとりの女性の言葉を紹介しています。
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 なぜか美しいと思い、体が震えた。
 何年も前の国際児童図書の大会で、ある女性が基調講演を行った。わたしは、それを偶然読み、自分の中でなにかが強く揺り動かされるのを感じた。
 彼女は、自らの個人的な、戦争と疎開の不安な経験について、それから、時に子どもたちが感じなければならない「悲しみ」や「絶望」について語った。中でも、わたしの記憶に焼きついたのは、次のことばだった。
「読書は、人生の全てが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても、国と国との関係においても」
 以来、わたしは、彼女が書くもの、彼女の語ることばを、探すようになった。彼女とは、美智子皇后である。


 一民間人から、「プリンセス」になった美智子さまにも、ひとりで本のページをめくりながら、「何か」に悩んだり、耐えたりした夜もあったのではないか、と僕は想像してしまいます。
 それはたぶん、間違ってはいないと思う。
 

 世の中には、物事を単純にしてみせることによって、人を誤った方向に連れて行こうとする人や勢力も存在しています。
 そして、人というのは、「わかりやすいほう」に、引きずられやすいものです。


 だからこそ、「私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならない」。
 美智子皇后が体験してきた「複雑さ」を思うと、どう転んでも、僕の人生などたいしたものではないのですが、これは、僕にとっても、大切な言葉になっているのです。

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橋をかける (文春文庫)

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子どもと本 (岩波新書)

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