いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「中高年の承認欲求」と「淡々と記録する快感」と


anond.hatelabo.jp
b.hatena.ne.jp


 承認欲求って、若い人のものだとばかり思われがちなのですが、自分が年をとっていくと、中高年には中高年なりの承認欲求があるということを実感するのです。
 僕なんかもうその典型例で、こうしてあまりお金にもならないブログとか書いているのは、承認欲求というか、何か自分のなかで欠けているものを満たすためなのではないか、という気がします。しかしながら、これで満たせているのかどうか、というのは自分でもよくわからない。


 冒頭のエントリを読んで、以前、博多のデパートのスイーツの店で、グループの仲間を待たせまくって、「ブログに乗せる写真」を撮りまくっていたおばちゃんをみて閉口したのを思い出しました。
 僕は内心「このスイーツの写真なんて、ネットには腐るほどあるだろうし、そもそもおばちゃんのブログとかそんなにみんな見ているの?」とか思っていました。
 周囲の人に「毎日何十人も見に来てくれるんよ」と言っているのを聞いて、申し訳ないが、「数十人かよ!」と心の中でニヤニヤしておりました。ああ性格悪いよね。ほんと、「ブログ脳」「SNS脳」って、人間の価値がPV(ページビュー)だと思っていやがる!……って僕のことか。


 こういうのって、ふたつの要因がありそうです。
 ひとつは、「周りからみたら面白くもなんともないのに、本人だけが舞い上がっている」不愉快なネットの記事を目の前の人がつくっているという、うんざり感。
 もうひとつは、その場にいる自分よりも、顔も知らない「フォロワー」みたいな人が優先されているのではないか、おかげで自分は「おあずけ」を食らっている、という不快感。


 自分が嫌だと思うような記事をパートナーが投稿しているというのは、けっこうきつい。
 有名店のスイーツとかなら、まだ「やめろよ。みんなもう投稿しているよ」と言いようがあるのですが、本人が一生懸命につくった料理となると、「そんなありきたりのものを投稿するなよ」とは言いづらいですよね。


 ただ、僕はこれにはそんなに腹が立たないと思います。
 それは、心が広いというよりは、お互い様という感じだから。
 「誰のためにつくった料理なんだ、見世物かよ!」とか言いたくなるのもわかるのだけれども、料理が好きじゃない、得意じゃないのならなおさら。
 見せびらかす、承認してもらうというより、そういうふうに他人に見せるのをモチベーションにする、というのは、今の世の中では、けっして悪いことではないのです。
 どうせ、みんな「いいね!」とか適当に押して、読み流しているだけですから。


 承認欲求って言葉は、人をバカにするために使われがちだけれど、そんなに珍しいものや危険なものじゃない。
 子どもが積木で何かをつくったら、「見て見て!」って来るのと同じようなものじゃないかと。
 中年になって痛切に感じるのは、「大人は、そう簡単には承認してもらえない」ということなんですよ。
 子どもは、学校のテストでいい点を取ったとか、先生にほめられたとか、工作でこんなものを作ったとか、褒められるポイントがたくさんあります。もちろん、それでももっと褒めてほしいのが子どもなのだろうけど。
 それに比べて、大人というのは、「できて当たり前」の世界で生きていることが多くて、ちょっとダメだと批判されたり、怒られたりするし、自殺でもしようものなら、会社の偉い人に「過労死は自己責任」とか言われるわけです。


togetter.com



子どもの頃、『ダメおやじ』という古谷三敏さんの漫画を読んで、「ひっどい大人もいるものだな」と苦笑していたのですが、あれはリアリズム漫画だったのか、と大人になるとわかるのです(いやさすがにあれほどではない、と思いたいけれど、ああいうエッセンスは日常に溢れている)。
 

 個人的な経験からの話で申し訳ないのだけれど、「承認欲求」というのは、「目の前のあなた」に認められばそれで満たされる、とは限らなくて、「いくらあなたに認めてもらっても、それだけでは満足できない」という人は多いと思うんですよ。
 大概の場合は、「目の前のあなた」にも、なかなか適切には認めてもらえないわけですが。
 ネットとかSNSでの人間関係って、ネットがつながるところなら、どこでも維持できる、というメリットがある一方で、「ネットがつながるかぎり、なかなか合理的な理由をつけてリセットできない」というデメリットもあるのです。
 そして、この「つながり」は、一度つくってしまうと、「解消する」勇気を出すのはきわめて難しい。
 相手がどうでもいい人だからこそ、言える話、聞いてもらえる言葉、というのもあるんですよね。
 たぶん、ほとんどの人は、そのあたりの距離感をある程度コントロールしながら、ネットを利用しているはずです。
 それでも、「ネットの向こうの、見ず知らずの人のアドバイスは真剣に聞くのに、なんで現実にここにいる自分の話を聞いてくれないのか」というのは、よくある話です。
 これは、「自分にとって不快な話は聞きたくない」ということなのかもしれません。


 個人的には、「まあ、このくらいなら、現代においては良性の承認欲求なので、ちょっとだけ我慢してあげたら良いんじゃないかな」と僕は思います。
 周りの人もあれこれ発信しているのなら、これも「付き合い」のうちであり、付き合いであるのなら、くだらないものであればあるほど、都合がよいところもあります。
 毎日高級レストランの食事とかアップしていたら、かえって嫌われそうです。
 むしろ、「普通の家庭料理の写真をネットに上げている」くらいがちょうどいい。
 たぶん、それが本人にとっては、あまり得意ではない料理をつくるモチベーションになってもいるのでしょうし。
 あと、そこで「自分の愛情が足らないのではないか」というような迷宮に入り込まないように注意してください。それはそれ、これはこれ。
(だからこそ、ネットで拡散しているからといって、自分が直接褒めるのを忘れててはいけない、とも思います)
 大人って、なかなか褒めてもらえないから、けっこう褒められることに飢えている、あるいは、ネットで発信しはじめると、自分が飢えていることに気付く、というケースが多いのではないでしょうか。
 僕は、何かに依存しないと生きづらいと感じているので、なるべくマシなものに依存しておきたい。アルコール依存やギャンブル依存よりは、ネット依存、承認欲求依存のほうが現状、マシではなかろうか。勉強依存やボランティア依存になれれば良いのだけれども、僕にはその適性の欠片もなさそうなので。

 
 ところで、ちょっと別の話になってしまうのですが、僕はこれを読んでいて、『食べたものを淡々と記録するよ』というブログのことを思い出したのです。


pero-pero.hatenablog.com


元のブログはもう更新終了後に消えているので(ブログ主さんの結婚の際の料理とともに終わる、という美しい終わりかたでした)、ネットに残っている魚拓の一部をご紹介しておきます。


食べたものを淡々と記録するよ


 こういうブログこそ、消えないでほしい、とは思うのだけれど、なかなかそういうわけにはいかないんですよね。


 僕はこうして半世紀くらい生きているのですが、あらためて思うのは、人は、自分にとっての「特別」ばかりに目が向きがちで、「日常」というのは、なかなか記録に残らない、ということなんですよ。
 こんなに簡単にいろんなことが記録できる世の中になったのに、「ふだん」を記録しつづけている人は、本当に少ない。


 「そういえば、子どもの頃、どんなものを食べていたのだろう?」
 親の得意料理は記憶にあるのだけれど、どんな見た目でどんな味だったのか、あんなに何度も食べたはずなのに、その輪郭はぼやけてきてしまいます。
 冒頭のエントリの増田さん(エントリを書いた人)の奥様は、本人にそういう気持ちがあるかどうかはさておき、後世の日本人、あるいは人類にとって、貴重な記録を残しているのかもしれません。
 いやほんと、「普通」とか「日常」って、なかなか残らないんだよね、このインターネット、携帯カメラ社会になっても。


fujipon.hatenablog.com



 ある時代の人が、どんなものを実際に食べていたのか、というのは、未来の人にとって、貴重な史料となるはずです。
 そんな大げさな話じゃなくても、「日常を記録するのが趣味」っていうのは、そんなに悪性ではないような気がします。
 少なくとも、「日常を破壊するのが趣味」よりはずっとラク。
 承認欲求というよりは、記録を積み重ねていくことそのものが快感になっている、という可能性もありますよね。


 僕も『琥珀色の戯言』のほうは、そんな感じで続けています。
fujipon.hatenadiary.com


 そういえば、こんなサイトもあります(ありました、かな)。
jihan.sblo.jp


「特別じゃないものを記録しつづけられる」って、案外、すごい才能じゃないかと思うのです。簡単なようで、「めんどくさい」に負けてしまう人がほとんどだから。
 
 
 大人の承認欲求のガス抜きって、けっこう大事です。
 いっそのこと、一緒に写真を撮ってみるのも、良いのではなかろうか。
 共通の趣味になるかもしれないし、なかなか箸をつけずに料理の写真を撮っているあなたの姿をみて、奥様も思うところがあるかもしれないから。


fujipon.hatenadiary.com
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fujipon.hatenablog.com


元祖ダメおやじ(1)

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家族の勝手でしょ!―写真274枚で見る食卓の喜劇 (新潮文庫)

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