いつか電池がきれるまで

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「学歴と仕事の能力の相関関係」について


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 就職説明会での「学歴差別」が話題になっています。
 僕自身は就職活動というものをしたことがずっとなくて、通っていた大学の医局に入局し、行けと言われた場所に行くのを20年くらい続けてきました(正確には、3年間ほど、研究生としてその枠外にいたこともあるのですが)。
 だから、就活生の苦労とか苦悩とかを実感したことはないので、こんな話を訳知り顔で書くことに申し訳なさもあるのだが、僕が知り得た範囲での「学歴と仕事」について書いておきます。
 僕自身も、医者の世界では、けっして高学歴ではないんですよね。
 

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 冒頭の「学歴と仕事の能力に相関関係があるのか」という話なのですが、「学歴」というラベルそのものが人間の価値ではないとしても、長年培われてきた「勉強や入試というシステム」というのは、ある種の仕事に対するその人の適応力と相関している、というのは言えるみたいなんですよ。


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 この本の著者は、大学教員の多くが、学生の学力の質の低下を感じている、というのを受けて、「大学生数学基本調査」というのを行っています。「勉強ができない」というよりも、「論理的な会話ができない、設問の意図と解答があまりにもズレている」と感じる場面があまりにも増えている、ということに危機意識を持ったのだそうです。

問題:次の報告から確実に正しいと言えることには〇を、そうでないものには×を、左側の空欄に記入してください。


 公園に子どもたちが集まっています。男の子も女の子もいます。よく観察すると、帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です。そして、スニーカーを履いている男の子は一人もいません。


(1)男の子はみんな帽子をかぶっている。
(2)帽子をかぶっている女の子はいない。
(3)帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている子どもは、一人もいない。


 読んでいると、なんかまわりくどい問題だなあ、とは思うのですが、こういう「なぞなぞ」って、子どもの頃によく解いていた記憶があります。
 せっかくなので、これを読んでいる方にも、答えてみていただきたいのです。
 「バカにすんな!」って思う人も多いだろうけど。

 正しいのは(1)のみです。
 問題文中の「帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です」という文から、「男の子は帽子をかぶっている」ことがわかります。ですから(1)は正しいです。しかも「女の子は誰も帽子をかぶっていない」とは言っていません。つまり、確実に正しいとは言えないのです。だから(2)は×です。さらに、「スニーカーを履いている男の子は一人もいません」という文と合わせても、「帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている女の子がいる」可能性を否定できませんから、(3)の答も×です。


 この問題の正答率は64.5%でした。入試で問われるスキルは何一つ問うていないのに、国立Sクラスでは85%が正答した一方、私大B、Cクラスでは正答率が5割を切りました。では、多くの高校生が憧れる私大Sクラスではどうだったか。国立Sクラスに比べて20ポイントも低い66.8%に留まりました。どこの大学に入学できるかは、学習量でも知識でも運でもない、論理的な読解と推論の力なのではないか、6000枚もの答案を見ているうちに、私は確信するようになりました。


 もちろん、この問題は、ひとつの例であって、この本の著者たちの研究では、偏差値の高い大学の学生は「読解力」が優れている、というデータが出ているのです。
 というか、「Fラン大学」と呼ばれるようなところの学生の読解力の平均は、かなりひどい状態になっている、と言うべきなのかもしれません。
 ただ、考え方によっては、東大・京大を出ていても、15%は間違える、ということでもありますよね。
 相関関係はみられるけれど、すべての人にあてはまるわけではありません。
 むしろ、東大・京大を出ているのにこの15%に入っている人は、悪目立ちしてしまう、という面もあります。


 僕自身、職場で一時期、人事に関わっていて、面接などもやっていました。
 何も知らないのもどうかと思い、採用のノウハウが書かれた本を読んで勉強したんですよ。
 そこに書かれていたことを読んで痛感したのは、いまの「採用基準」というのは、僕が織田裕二さんの『就職戦線異状なし』とかをみて「ふーん」と思っていた時代とは全然違う、ということでした。


 詳しくは、このあたりを読んでいただくと、わかりやすいのではないかと思います。
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 冒頭のエントリの増田さんは、「一般常識」「社会常識」の重要性を述べておられますし、今でも、とくに中高年層には「あいつは良い大学出ているけれど、社会常識がない」というような苦言を呈する人が少なからずいますよね。
 でも、これから就職しよう、という人にとって、「社会常識の有無」というのは、そんなに優先順位が高い能力なのか?


 上述の『採用学』という本のなかで、産業・組織心理学の研究者のブラッドフォードさんの研究結果が紹介されています。
 ブラッドフォードさんによると、人間の能力には「極めて簡単に変わるもの」と「非常に変わりにくいもの」の二つがあるそうです。

 ここで注目したいのは、多くの日本企業が採用基準として設定している口頭でのコミュニケーションが「比較的簡単に変化」する能力としてあげられていることだ。先に紹介した経団連の「新卒採用(2014年4月入社対象)に関するアンケート調査」によれば、日本企業の実に80%以上が、口頭でのコミュニケーション能力を、自社の選考の際に重視する基準としてあげている。既に紹介した日本企業の人事データの分析からも、日本の面接が、いかにこれを重視して構成されているかということがわかる。
 ところが心理学の世界では、これが相当程度可変的なものであり、意図的な努力によって向上するものであることが指摘されているのだ。大学1年生の時には、人の目を見て話すことすらままならなかった学生が、卒業する頃には他人とのコミュニケーションにすっかり慣れて、立派にプレゼンテーションをこなしたりするなど、私たちの日常的な経験に照らし合わせても、この主張には納得がいく。コミュニケーションの能力そのものの重要性を否定するわけではないけれど、これが果たして日本企業が採用時にコストをかけて確認するべき能力であるのかどうかという点について、疑問を持たないわえにはいかない。


 ちなみに、「非常に変わりにくい能力」とされているのが、「IQに代表される知能、創造性、ものごとを概念的にとらえる概念的能力、また、その人がそもそも持っているエネルギーの高さや、部下を鼓舞し、部下に対して仕事へのエネルギーを充填する能力」などだそうです。
 口頭でのコミュニケーション能力というのは、ものすごく重視されがちだけれど、それは、「入社後に、いくらでも改善できる可能性が高い」のです。
 もちろん、それも低いより高いにこしたことはないのだけれど、ちゃんと指導できる組織であれば、入り口ではそんなに優先順位を高くしなくても良い、ということなんですよ。
 そうか、そういうものなのか……
 その観点からいけば、適性試験やペーパーテストのほうが、面接よりも、その人の「変わりにくい、後天的に伸ばすことが難しい能力」を反映していることも多いのです。


 「社会常識」とか「他者に対する適切なふるまい(コミュニケーション能力)」というのは、入社したあとに身につけても、十分に「間に合う」可能性が高い。
 仕事を教える側からすると、「読解力」「教科書を読む力」がある人のほうが、育成しやすいはずです。
 その一方で、世の中には「ペーパーテストには高い能力と集中力を発揮できるけれど、対人関係に大きな困難を抱えている」という障害を持つ人たちがいて、彼らにとっては「お金を扱う仕事や医療などの対人援助職」は向いていない、という現実もあるんですよね。
 ペーパーテストの成績が良いだけで、そういう仕事に就けてしまう、という悲劇もある。
 採用側にとっても、ペーパーテストは万能ではない。
 ちなみに、採用する側として面接官をつとめる際に僕が言われたのは「面接での印象にあまり引きずられないように。とりあえず人の目をみて、普通に話せればいいから。この面接は、良い人を見つけるというよりは、明らかに医療スタッフとしてやっていくのは難しい人を除外するためのものだと考えておいて」ということでした。


 ずっと人事畑で「採用」について考えてこられた伊賀恭代さんは『採用基準』のなかで、企業の人事担当者にとってベストなのは、自分の会社に適した人が採用枠100人に対して、100人応募してきてくれることだ、というようなことを書いておられました。
 応募者が多いと、人気企業というイメージを植え付けられるのかもしれませんが、選ぶ側にとっては、採用というのは一大事なのだけれど、あまりに応募者が多いと採用のプロセスにかかるコストも大きくなるのです。
 就活サイトが一般化したおかげで、就活生はものすごい数の企業に応募できるようになりましたが、採用する側にとっては、「とりあえずたくさん応募しておけば、どこかに引っかかるかもしれない」という「とりあえず応募」が激増しているのは、頭の痛い問題です。
 応募が殺到するような人気企業であれば、どこかでフィルタリングをしないといけない。
 多数の応募者全員を一から評価するのは、マンパワー的に困難だから。
 そこで、「効率の良いフィルター」として、学歴が用いられている。
 そのせいで、採り逃している「本当は優秀な人材」だって、たくさんいるはずなんですよ。
 でも、あまりにも大勢の人が応募可能になってしまった現在のシステムでは、効率を上げるために「大魚を獲り逃す」こともやむなし、とせざるをえない。
 実際は、「仕事の内容からすれば、そんなに高学歴にこだわらなくても良いのでは……」と感じる企業も多いのも事実です。
 就活をする側からすれば、学歴にこだわらない会社、自分の適性に合ったところで働くことを能動的に選ぶことを考えるべきでしょう。
 いまは、比較的「売り手」に有利な状況でもありますし(とくに新卒者にとっては)。
 

 僕も学歴社会は好きか嫌いかと言われれば嫌いだし(でも、そのおかげで中途半端ながらも救われている面もあるのは否定できない)、学歴以外のところで、さまざまな才能を持っている人は、たくさんいると思います。
 コミュニケーション能力にも、「達人級」の人はいて、とても貴重な存在です。
 普通自動車の運転免許をとるのは、簡単ではないとしても多くの人がやればできることだけれど、F1レーサーになれる人が、ごく一握りであるように。
 ただ、学歴がフィルターになっていのには、それなりの「理由」もある。
 少なくとも「面接での印象」や「社会常識」よりは、客観性・確実性が高い指標であり、就活がコンピュータのおかげで「便利になってしまった」ことによる副作用でもあるのです。


 個人的には他者、とくに若手に「社会常識がない」と説教している人で、傍からみて、「この人は立派な社会人だなあ」と思うような人って、あんまりいないんですよ。
 「俺はお前が気に入らない」を「社会常識がない」と言い換えているような人って、けっこう多いよね。


採用基準

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採用学(新潮選書)

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