いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

オリンピックで活躍している選手たちをみていると、子供の頃の自分の愚かさを思い出す。

 平昌オリンピックが開催されている。
 オリンピックやワールドカップの時期になるたびに、最近は、あと何回、自分は観ることができるだろうか、とか考えてしまう。
 開催中は、それほどちゃんと観て、応援しているわけでもないのにね。

 僕は運動全般が苦手な人として40余年を生きてきたのだが、スポーツを観るのは好きだ。
 あるいは、広島カープという弱小チームを応援しつづけてきた自分が好きなだけだったのかもしれないが。
 強いカープはものすごくうれしいし、ありがたいが、ほんの少しだけ寂しくもある。
 
 スポーツがダメだった子供の頃の僕は体育の授業が大嫌いだったし、スポーツでちやほやされる人たちをみるたびに、「今は良いかもしれないけれど、スポーツでお金を稼げたり、ちやほやされたりするのは、若いうち、現役のうち、それも、好成績を収められる間だけだからな」なんて、オリンピックを観ながら、心のなかで毒づいていた。
 多くのオリンピック選手が輝けるのって、人生のうちの、ほんの一瞬だけじゃないか。
 マラソン選手が「走るのって素晴らしいですよ」というのは、それが商売だからだろ、と思っていた。
 
 だから、僕はスポーツよりは向いていて、年をとっても仕事が続けられ、稼げて、向上していける学問の世界で生きていくしかない、と自分に言い聞かせてきたのだ。
 残念ながら、その世界にも僕はあまり向いていなくて、結局のところ、「これをやらなくては」と自分を叱咤激励しつづけられるほど僕は自分に厳しくなれなかったり、世の中には、心底学ぶことを楽しいと思っていて、僕がテレビゲームをやるのと同じ感覚で仕事を楽しんでいる人がいたりすることもわかった。
 僕が深夜の呼び出しに、布団から体を引きはがすような決断をしなければならないのに対して、彼らは「出番だ!」とばかりに、鼻歌交じりに救急センターにあらわれる。
 もちろん、そんな人は、それほど多いわけではないし、彼らは彼らで、周りとうまく折り合えない、というような悩みを抱えてもいるのだが。


 いま、平均寿命の3分の2くらいを過ぎて、オリンピックをみながら思うのは、若いころ、僕が「ほんの一瞬だけ」と軽んじていた、「その一瞬」すら輝けず、誰にも知られることもなく、多くの人が、生きて、死んでいくということだ。もちろん僕も含めて。
 そのうち本気出してやる!……なんかめんどくさいな……でも、もうちょっと時間ができたら……えっ、俺、癌なの?……でも、いまの医学な治療できるよね……いや、平凡だったけれど、意外と良い人生だったのでは……
 大概の人生なんて、そんなものだ。
 それでも、事故や災害、戦争などで突然プツンと切れてしまう人生よりは、まだマシなのかもしれないが。
 
 1968年にアンディ・ウォーホルは「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」と言ったのだが、ネガティブな話題ならともかく(とはいえ、有名になるために悪いことをする、というのも、普通の人にはかなり高いハードルなのだろう)、ポジティブな話題で一瞬でもみんなの視線を浴び、有名になるのは、本当に難しい。
 もちろん、スポーツ選手の多くは、有名になるために競技をやっているわけではあるまい。オリンピックに出るような選手たちでも、お金のためなら、他のことをしていたほうがはるかにマシ、という事例も多いはずだ。
 

 オリンピックで活躍している選手たちをみていると、あの頃の自分の愚かさを思い出す。
 いわゆる「頭脳労働」とされている分野でも、最後にものをいうのは「体力」ということは多いよ本当に。
 

fujipon.hatenadiary.com

歴代オリンピックでたどる世界の歴史

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Number(ナンバー)945号[雑誌]

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