いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『めちゃイケ』終了が発表された夜に、岡村隆史さんが還ってきた日のことを思い出す。

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 今夜(といっても日付的には昨日だけど)、番組の終わりに、スタッフから「(番組が)終わります」と伝えられた岡村隆史さんの様子がオンエアされていました。
 これまで、さんざん「騙し企画」が行われてきた番組なだけに、岡村さんも最初は「ドッキリじゃないの?」というリアクションだったのですが、突然知らされて呆気にとられていた、という感じに見えました。
 ただ、これだけ「フジテレビのマンネリバラエティの代表」として、「まだ終わらないの?」みたいな声も岡村さんのところには届いていたでしょうし、ある程度覚悟はしていたのではなかろうか。
 ここ数年は、番組改編期になるたびに「『めちゃイケ』打ち切り」の予測がネットを賑わせていたので、出演者たちとしては「なんのかんの言いながらも、結局、続いていくんじゃないの?次の展望も見えてこないし」という感じだったのかもしれませんね。
 近年は、フジテレビの夏のお台場のイベントのためにこの番組をやっていたようにも見えましたし。一時期の『ドラえもん』が、映画のためにテレビ放映を続けている、と言われていたように。


 僕はまだけっこう『めちゃイケ』観ているので、今回の終了は、ちょっと寂しくはありました。
 逆に、よくここまでもったな、とも思う。
 ネットで「テレビやお笑いやバラエティがわかっている(と自認している)人たち」は、フジテレビの凋落の象徴として、『めちゃイケ』のつまらなさを語るのが作法になっていたように感じていたんですよね。
 たしかにマンネリではあったし、新メンバーはあまり存在意義がなかったし、三ちゃんがらみのあれこれは、「イジリというよりイジメ」みたいだったし。
 でも、視聴率が落ちていることが伝えられてからも、定番ネタ以外に、内輪ネタから大食い、ナンパ競争に岡村さんのラジオでの相方探しなど、ひたすら試行錯誤して新しい鉱脈を探していたのは、食べ物と旅行と番宣トークばかりになってきたバラエティ番組のなかで、異彩を放っていたとも思います。
 たとえその方向性が間違っていたのだとしても、時代遅れの「笑い」にとらわれていたのだとしても、とことん足掻いていた姿は、けっこう魅力的でした。
 あの三ちゃんの企画にしても、まさか視聴者が「追放」を選択するとは、というのが番組側の本音だったのではないかなあ。ああいう企画に対しては、視聴者も「暗黙の諒解」みたいな感じで、ギリギリのところで「残留」になるのがお約束なのに、そうならなかったのは、「もう、バラエティ番組は視聴者にとっての共犯者ではなくなった」ということなんでしょうね。
 むしろ、「つまらない、と叩くことこそが、バラエティの存在意義」みたいな。
 ここ数年の『めちゃイケ』は、フジテレビのいろんな不振を押しつけられ、叩かれるために存在していたようにすら思われます。
 そもそも、『めちゃイケ』は昔よりつまらなくなったとしても、今のテレビで、『めちゃイケ』より面白いバラエティ番組がいくつあるのか、とも考えてしまうわけで。
 

 正直「終わらないで!」と、切実に思っているわけでもないんですけどね。
 もう少し早く終わっていてもよかった、という気持ちもありますし。
 ただ、これだけの歴史があって、楽しませてくれた番組の終わりには、それなりの感謝や敬意みたいなものを持ちたい、と僕は考えているのです。


 前置きがやたらと長くなってしまいましたが、『めちゃイケ』のなかで、僕にとっていちばん記憶に残っているのは、134日間番組を休養していた岡村隆史さんが番組に復帰した、2010年11月27日の回でした。そうかもう、あれから7年になるのか。
 あのときは、岡村さんの休養の原因として、いろんな話が出ていましたが、のちに鬱病でドクターストップがかかったことが語られています。
 全員が奇跡の生還を果たしたチリの鉱山事故を元ネタにして、地下に埋められていたカプセルから「生還」した岡村さん。かなりきつい闘病生活だったようなのですが、復帰の回も「お涙頂戴」ではなく、ひたすら「笑い」を求めていました。
 僕は岡村さんと同世代なんですが、仕事にストイックになりすぎて、自分を追い詰めていって、ついにパンクしてしまった姿に、身につまされるというか、共振せずにはいられなかったのです。
 いわゆるミッドライフ・クライシス(中年の危機)っていうのがあって、人生の中間くらいの時点で、人は、自分の限界を感じ、生きる目的を見失ってしまいやすいのです。

 もう再起不能なんじゃないか、なんていう声も聞こえてきたのですが、岡村さんは、還ってきました。


 相方の矢部さんの結婚式のときのこんなやりとりも、とても印象に残っています。

fujipon.hatenablog.com

先日、ナインティナインの矢部さんの結婚式で、矢部さんと岡村さんがサッカーボールを蹴りながら話をしていました。
いままで「責任者」として、すべて自分が背負って、仕切っていた岡村さん。
でも、病気によって、その多くを他の人に任せなければならなくなった岡村さんは、こう言いながら、ボールを蹴りました。


ポンコツになってしまって、ごめんなさい」


矢部さんは、ちょっとはにかみながら、こんなふうに答えて、ボールを蹴り返したのです。


ポンコツのほうが、やりやすいです」

 
 個人的には、『めちゃイケ』で、ナインティナインという自分と同世代のコンビが、こうしてここまで続いてきたのを観られたことに、けっこう感謝しているのです。
 けっして順風満帆ではなかったけれど、だからこそ、僕にとっては、少し身近な存在のようにも感じていました。
 ワンマン社長のようになっていた岡村さんが、本当に窮地に陥ったときに支えてくれたのは「相方」の矢部さんだった。
 人って、案外、ひとりじゃないんだ。
 
 有野課長が『ゲームセンターCX』に出演するようになったのも、この番組でフジテレビとの縁ができたからなのではないか、とも思いますし。

 この番組が終わっても、ナインティナインが終わるわけでもないし、僕としては、勝手に「ナインティナインと同じ時代を生きさせてもらおう」と思っております。
 あらためて考えてみると、岡村さんって、ラジオのパーソナリティという伝統的なメディアへのこだわりが強いのと同時に、インターネット番組についても、けっこう前から積極的に取り組んでいて、けっして、「古いお笑いの世界に安住している人」じゃないんですよね。
 考えようによっては、そんなふうに時代を追いかけずにはいられないところが、岡村さんの芸人人生(とプライベート)をややこしくしてしまっているのかもしれませんが。


 僕は『めちゃイケ』を最後まで、さりげなく見届けようと思っています。
 「長寿番組の終了を聞かされたときの出演者のナマのリアクション」なんて、そうそう観られるものじゃないですし。



fujipon.hatenadiary.com
酒井若菜さんに、岡村隆史さん自ら闘病生活を語った対談が収録されています。


fujipon.hatenadiary.com
復帰後の岡村さんの変化について、矢部さんが語っています。


酒井若菜と8人の男たち

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ナインティナインの上京物語

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