いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

その「笑顔の理由」は。


 先週の火曜日、カープDeNAとのCSファイナル第5戦、逆転され、1点負けている場面で登板したカープの大瀬良大地投手は、最初の1つのアウトをとったとき、ガッツポーズをしてみせた。
 ああ、気合い入っているな、頼むぞ大瀬良!
 しかしながら、その回、2アウトをとったまでは良かったが、そこから3連打を浴びて1失点、その次の回には、致命的な2ランホームランを浴びてしまって、大瀬良は降板した。
 この試合もCSファイナル全体も、そのままDeNAペースで終わってしまったのだが、試合後、カープの不甲斐なさにに耐えかねたカープファンの中には、降板後の大瀬良のベンチでの態度を非難していた人がいた。
 あの大事な場面で登板して、打たれたにもかかわらず、ベンチでニヤニヤして、笑顔で他の選手と話しているなんて、信じられない!そんないいかげんな気持ちでやっているから、こんな結果になるんだ!もっと必死にやれよ!って。
 まあ、なんか言いたくなる試合ばかりだったよね、カープファンとしては。
 試合を決められる背信の投球だったにもかかわらず、「反省の色がない」ように見えた大瀬良を責めたくなるのも、わかるよ。
 

 僕はあの大瀬良の表情をみて、大瀬良、がんばってるな、と涙が出そうになった。
 僕は学生時代、部活で結果を出せないときに、ものすごく落ち込み、「もう辞めたい」って周囲に言ってまわる、そんな迷惑な存在だった。
 こういうのも「発達障害的」なところなのかもしれないけれど、他人の失敗には寛容であるというか、別に気にならないのだけれど(「あいつのせいだ」とかは全然思わない)、自分自身のことに関しては、ちょっとした失敗でも、「許せなかった」のだ。
 悔しいんだから、それが自分の感情なんだから、しょうがないじゃないか、って思っていた。


 でも、自分が上級生になってみて、自分がやっていたことの「子供っぽさ」をあらためて痛感することになった。
 集団で何かをやっていれば、うまくいかない人というのは、当然出てくるものだ。
 それはもう、しかたがない。
 しかしながら、その失敗した人が、落ち込んだ顔をして周りにネガティブな空気を撒き散らしたり、自分自身を傷つけるような言葉を吐き続けていたら、どうなるのか。
 軽い場合は、放っておかれるのかもしれないが、酷くなれば、誰かが精神的なフォローをしたり、聞き役になったりしなければならない。
 フォローする側もプレイヤーなのだから、自分のことだけでも、試合のなかでは、精一杯なのに。
 「うまくいかなかった人」にとって、その集団のなかで、もっとも「みんなの傷口を広げない態度」というのは、とりあえず、周りに余計な負担をかけないことしかない。
 実際は「失敗して落ち込んでます」「自分に憤りを感じています」とアピールすることによって、自分を守ろうとしがちなのだが、それは、「いま、戦っている集団」にとっては、何一つプラスにならず、周囲の負担が増えるだけだ。


 大瀬良には、それがわかっていたのだと思う。
 だからこそ、悔しさを押し殺して、ベンチで、打たれたことなど気にしていないように、笑っていた。
 内心では、ものすごく悔しかったし、情けなかったはずだ。
 何年か前、CS進出がかかった試合で打たれてしまった大瀬良が、ベンチで涙を見せていたのを思い出す。
 今年、あの場面で笑っている大瀬良をみて、僕は泣いた。すごいよ、また成長したんだな、って。
 打たれないのがいちばんなんだけど、人生、いつもうまくいくわけもない。
 うまくいかなかったとき、自分自身がつらいときにこそ、その人の「本当の強さ」が問われているのだ。


fujipon.hatenablog.com


 目に見えているものが、すべてじゃない。
 なぜ、そのシチュエーションで笑っているの?(泣いているの?)という人には、それなりの理由がある(ことが多い)のだ。
 こんなことを言いたくなるのも、僕が大瀬良選手の大ファンだからで、別の人や場面では、見かけだけで人を責めていることもあるのではないか、と怖くなるのだけれど。


fujipon.hatenadiary.com

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