いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「はてなブロガーの薄いレビューうざすぎ問題」について


anond.hatelabo.jp


 なんかもう、薄くてごめんね、っていうのと、ここで挙げられているブログに僕は「薄い」というイメージはなくて、この人は「嫌い」と「薄い」をあえて言い換えているだけではないのか、というのと。


 ネットでのレビューについての僕の考えは、以前にも書きました。
fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenablog.com
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 お前に説教される筋合いはない、って言われるのは百も承知ですが、こういうふうに考えている人もいるのだな、と御笑覧いただければ幸いです。
 

 そう言いながらも、僕にも(自分のことはさておき)「薄いレビュー」みたいなものへの違和感はあるのですけど。

fujipon.hatenablog.com
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 個人的には「その人が本当に感じたこと」が書かれているものに関しては、好き嫌いは致し方ないにせよ、長い短いとか、深い浅いとかで排除する必要はないと思うのです。
 実際、「長すぎて読むのがつらいレビュー」もあるし、短くても的確だと感じるレビューもあるんですよね。
 

 ただ、最近のネットでは、「検索上位になるためのテクニック」が氾濫することによって、検索していてイライラすることが多くなりました。


fujipon.hatenadiary.com


 この本のなかで。中川さんは、2017年5月22日に広島市内で逮捕された「渋谷暴動事件(1971年)」の大坂正明容疑者の逮捕直後の検索結果について紹介しています。

 逮捕報道から6時間、グーグル検索で「大坂正明」と入れると、トップに来るのはウィキペディア、続いてこの件を報じた産経新聞の記事が来る。
 私がこの文章を書いているのは23日朝5時だが、産経の記事は「5時間前」だ。3番目には第一報であろうNHKで「6時間前」となっている。そして、ここから「勝手サイト」が三つ続く。


(中略)


 学生運動をしていた中核派となれば、当然どこの大学かが気になるわけだが、この三つ目のサイトは見出しにその要素を入れてきた。だが、中身を見ると力が抜ける。

 大坂正明容疑者の出身大学は一体どこだったのでしょうか?
 大坂正明と検索をかけるとまっさきに【大学】という検索ワードが出てくるので気になっている人も多いんだと思います。大坂正明容疑者の出身大学について調べてみたんですが、信憑性のある情報は一切出てきませんでした。出身が北海道ということもあるので地元の大学を出ているという可能性も高いですね。中核派のメンバーの一人なので、そこで活躍していたのは東京に出て来てからだと言われています。 (本にはこのサイトのURIも掲載されているのですが割愛)


 あのよ、「一切出て来ませんでした」って、「一切」とまで言えるの? 「出身が北海道ということもあるので地元の大学を出ている可能性も高いですね」って、何が根拠よ。当時大坂は学生で、渋谷の暴動に参加しているわけで、北海道からわざわざ来たとでも言いたいのか? 私も大坂の出身大学は知らないため(千葉県内の大学という報道はあった)、これ以上は言わない。「地元の大学を出ている可能性も高いですね」と同様に「〇〇大学の学生だった可能性も高いですね♪」なんて恐ろしくて公の場で書くわけにはいかない。
 こうした記事が上位を席巻するというのは、もはやグーグルがクソサイトに完全敗北したようなものである。「そこそこ有名な芸能人」「健康情報」「美容情報」「犯罪者」を検索すると、こうしたサイトが上位に並ぶようになったため、ニュース以上の情報を得るためには、グーグルの2ページ目以降に行かなくてはいけなくなってしまったのだ。


 こういうこと、あるあるー!
 世界最高の頭脳集団であるはずのグーグル、もうちょっとしっかりしてくれよ……と言いたくなります。
 こういうサイトを強引に上位に表示するのが「SEO対策」というのなら、それはネット利用者に対する嫌がらせでしかありません。
「大坂正明容疑者の出身大学は一体どこだったのでしょうか?」
 それを知りたくてクリックしたんだよ!
 検索上位にこんなサイトがかなり多いことに、愕然としてしまうのです。
 (ちなみに中川さんは、著作権も肖像権も無視した「とにかく人々の興味を持ちそうなネタを網羅し、検索上位に表示させよう」といった意図を持ったサイト群を「勝手サイト」と総称しています)
 「〇〇(有名人の名前) 結婚」とかで検索してみると、「〇〇さんは結婚しているのでしょうか?ネットで検索してみましたが、信憑性のある情報は出てきませんでした。でも、美人でモテそうですから、もう結婚していてもおかしくはありませんね」とかいうのが、検索上位にずらっと並んでいるのです。
 こういうのをたて続けにみせられると、パソコンを壁に投げつけたくなります。
 Googleさんも有益なサイトを上位表示するように、改善を続けているようなのですが、そのアルゴリズムの隙をついて、「勝手サイト」は繁殖していきます。
 ネットの広告で、個人でもお金が稼げるようになってから、こういうのが、本当に増えてきた。
 ちょっとマイナーなキーワードで、ネットを頼るとこういう目に遭いまくるのです。


 どうなってるんだGoogle
 と、他の検索サイトを試してみることもあるのですが、僕の実感としては「それでも、Googleのほうがマシ」なことがほとんどです。
 

 こういうのを発信する側にとっては「検索されやすくて、お金になるのが『良いサイト』」なのでしょうけど、見る側は、「なんでこんなゴミみたいな悪いサイト」ばっかりなんだ?と、うんざりさせられます。

 もちろん、検索上位=悪、ではなくて、良質の情報を集めて、信頼を得て上位に表示されているサイトもたくさんあるんですけどね。


 本や映画のレビューでも、「検索上位になるためには、何文字以上」とか、「こまめに内容を更新するべき」とかいうテクニックに忠実ではあるけれど、ダラダラと公式サイトやWikipediaから引用して文字数を水増ししているようなサイトをみると、うんざりします。
 さんざん「登場人物の紹介」「あらすじ」が書かれていて、最後に「こういうのが好きな人は好きな作品だと思いますよ」って、ほんと、くっだらない。
 本人は「文字数が多いし、Googleで上位に表示されているから、良記事」だと思い込んでいるわけですよ。それを「すっごーい!」って絶賛する「信者」みたいな人もいるわけです。


 最近、僕は、個人ブログのレビューよりもAmazonYahoo!映画のレビューのほうを参考にしています。
 これもノイズはかなり多いのだけれど、ある程度の評価数が集まっている作品であれば、そのレビューを流し読みすると、だいたいの傾向はみえてきます。
 あとは、低評価でもどうしても気になるものは、とりあえず本なら読んでみて、映画なら観て自分で確かめるしかありません。
 まあ、つまんないものが、なぜつまらないのか、を考えるのも、それはそれで楽しいところもありますしね。


 ネット以前にも、「評論家のちゃんとしたレビュー」を読むことは可能でした。
 その一方で、「そのジャンルの素人の率直な感想」を知ることは難しかった。
 ネットのおかげで、素人から専門家まで、さまざまなグラデーションの感想を読めるようになったのは、かなり大きな変化だと思うのです。
 短い感想のほうが、その人の考えかたや価値観をストレートに反映していることもあります。
 それに、『はてなブログ』って、検索テクニックだけでつくられた「勝手サイト」も多いけれど、書いている人の思いが込められているような「濃い感想」もけっこうあると思うのです。むしろ、他のブログサービスよりは、「濃い感想」の割合は高いのではなかろうか。
 問題は、そういうサイトが、検索ではなかなか上位になれない、ということなんですよ。Googleのせいにするだけじゃなくて、そういうサイトを口コミで拡散していくのも必要だし、長くがんばっているサイトは、少しずつでも信頼を得てきています。


 今はまだ過渡期なんじゃないか、という楽天的な予想と、Googleがどんなに対策をしても、それに「勝手サイト」が適応していくだけではないか、という悲観的な予想が入り乱れているのですが、少なくとも「ネット以前」よりは「他者のいろんな感想を読める機会」は増えています。
 長い目でみれば、良い方向に進んでいるのだと思うし、SNSでの「口コミ」で多くの人に読まれるようにもなりました。
 それはそれで、「つくられた口コミ」みたいなものが増えてきて、忸怩たるものもあります。


 結局のところ、「悪いものを叩く」つもりでも、そこに人が集まれば、検索順位も上がってしまう。
 「良いものを積極的に評価する意識とシステム」をつくっていくしかないと思うんですよ。
 「叩きやすいもの」にブックマークが集まりやすい今の状況を考えると、「つまらないものを、つまらないと指差して快哉を叫べること」こそが、「ネットが人間にもたらした、最大のメリット」なのではないか、とか、つい考えてしまうのだけれども。


僕たちのインターネット史

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教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

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