いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

何者かに憑依して、「お前は想像力がない」と誰かを責めるのは、ネットで他者を知る可能性を狭めるだけだと思う。


aniram-czech.hatenablog.com


 このエントリを読んで、良い記事だな、と思った。
 僕は20年くらいインターネットに接してきて、いろんな人がいなくなっていくのをみてきた。
 そして、いつかは自分もその「去る側」になるんじゃないか、と思っている。
 いかんともしようのないことではあるが、怖くないといえば噓になる。
 その「いつか」が、なるべく先であることを願っている。
 不思議なものだ、若くて、健康だったときには、死ぬことをよく考えていたのだけれど、こうして中年オヤジになってみると、あんまり死のうとは思わなくなった。
 幸せだから、というよりは、子どもへの責任とか、どうせそんなに生きられないのだから、とか、凱旋門賞でのサトノダイヤモンドカープの連覇くらいは見届けたい、とか、そういう目先の目標みたいなものの積み重ねだ。


 冒頭のエントリに寄せられたブックマークコメントをみて、僕はなんだか悲しくなった。
b.hatena.ne.jp
 死ぬことに向かってしまう強い抑鬱状態であれば、「想像力というか、選択肢の多くを失ってしまう」ことが多いのは事実だろう。
 個人的な体験からいうと、そういうときに「銀座の高級レストラン」に行こうと気持ちにはならない。人が多いところに出かけて、豪華な内装の店にひとりで入り、スタッフの笑顔と一品ずつ運ばれてくる料理を想像するだけで、気が滅入る。
 ある種の豪華さや手厚いサービスというのは、人と接することや作り笑顔を強要されるものでもある。


 とはいえ、冒頭のエントリの著者を「想像力がない」と責める気分にもなれない。
 というか、先入観を持たずに読めば、この人は、自分の現在の立場や状況から見えること、考えたことをネットに書いているだけにしかすぎないし、世の中には「死んだ気になって、思い切って何かをやってみたら、そのおかげで人生を変えることができた」という人だっている。
 無理矢理にでも環境を変えたら、「なんで自分はいままで、あんな小さな世界のことにこだわっていたのだろう」と感じることだってある。
 あくまでも「そういうこともある」という話だけれど。

 
 だいたいさ、僕だって、著者だって、このブックマークコメントを書いている人たちだって、みんな「いま、生きている」のだ。
 みんな「彼」ではない。
 それぞれ、自分の立場で見えること、言えることを表出し、他人の「想像力の範囲」を知ることによって、「そういう考え方もあるのか」と歩み寄るしかない。
 生きている人間が、自殺しているかもしれない人間に「憑依」し、「それでも生きていくためにはどうしたら良いのか」を想像している人に罵声を浴びせるというのは、あまりに不毛だ。意思表示のできない死者(かもしれない人)を「代弁」されたら、反論のしようもない。
 そこにあるのは「彼はこうだったはず」「いや、そうじゃなかった」という水掛け論でしかない。
 自分が考えていることなんて、自分自身だってよくわからないこともある。
 露骨なヘイトスピーチや誹謗中傷は論外だが、「自分の経験上はこうだった」と言うのを持ち寄るのは大事なことだ。
 でも、何者かに憑依して、その代弁者として「お前は想像力がない」と誰かを責めるのは、ネットで他者を知る可能性を狭めるだけだと思う。
「海外旅行だ豪華ディナーだと浮かれている、スイーツ(笑)よ、くたばれ!」とか書いてくれたほうが、僕としては好感が持てるんだけど。
 それは「あなたの言葉」だからだ。


 「個人の経験や知識や思考」が加工されないまま読めるようになったのが、ネットの良さだったのに、冒頭のエントリくらいの「個人の感想」に対して、こんなに反発する人がいるのか。
 冒頭のエントリって、全文をちゃんと先入観なしに読めば、「ひどいことを書いているようだが、これはすべて『私が彼だったらそうする』という話」でしかない。
 まあ、ネット上に書かれたものには、いろんな反応があるのは当然だし、好ましいものばかりではないのは百も承知だ。
 しかし、このくらいのエントリでも、ここまで燃えるとなると、鉄のハートを持っているか炎上狙いでもないと、ほとんどの人は、ネットに思ったことを書けなくなってしまうのではないか。
 厚顔無恥な連中か銭ゲバしか残らなくなったインターネットの「個人ブログ」って、僕には存在意義がない。


 これを書いていて、なんだか、この広瀬すずさんの話を思い出した。
fujipon.hatenablog.com
 ちゃんと元のエントリを読まずに、ブックマークコメントに引きずられて叩いているようにみえる人って、多いよね。
 

 みんな日頃は「生きられるのであれば、なんとか生きろ」って、言ってるじゃないか。
 この「ブログ主の彼」こそ、みんなが大好きな「これをプリントアウトして病院へ」行くべきではなかったのか。
 強い希死念慮というのは、気の持ちようや美味しいものや旅行で回復できるようなものではないことが多いのだから。


 正直、世の中には、自死という形でしか、決着をつけられない生き方をしている人もいるのではないか、と思うこともある。
 そういう考え方は傲慢ではないか、と思うし、逆に、どんな人も生きてさえいれば正解だ、と断言するほうが傲慢だと感じることもある。
 職業倫理としては、まず生きていてもらうことを優先せざるをえないのだけれど。


 これだけ多くの人の心を揺さぶり、ネガティブなものも含めて、反応を引き出せるエントリ(しかも、あざとい「炎上狙い」ではなくて)を書けるのは羨ましい。

 
 ブックマークコメントの中に「到底自殺することなんて選択肢の中に一つも入って無さそうな人が(こんなエントリを書いている)」っていうのがあって、僕は心底怖いと思った。
 それこそ「想像力の欠如」ではないのか。
 いまの世の中に、本当に、そんな幸福だけの人がいるのかな。そんなレッテルを貼り付けるほど、あなたはこの人を知っているのか? 書いてあることだけが「その人の全部」なの?
 いろんなことを抱えながら、見かけは平然と生きているのが大人でしょうに。


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