いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

池澤春菜さんの「書痴」としての生きざまと、「読書量マウンティング」したがる人々の虚しさ


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 池澤春菜さんにとっては「もらい事故」みたいなもので、そこまで律儀に対応しなくても良いのに、というのと、池澤さんにとって「本のこと」というのはとても大切なので、ちゃんと言及せずにはいられなかったのだろうな、というのと。
 池澤さんは、『本の雑誌』で長年「乙女の読書道」という書評を連載されており、『SFマガジン』でもSF作品の書評をされているそうです。二大高峰登頂!みたいな感じですね。
(『SFマガジン』の連載、僕はフォローできていないのですが、『本の雑誌』と『SFマガジン』っていう、うるさい「本好き」が読む雑誌をふたつも、というだけで、もうすでに参りました、と)



 ちなみに、『乙女の読書道』は、単行本になっていて、僕も読みました。
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 この本のなかで、池澤さんは、無類の本好き(「書痴」とまで本人は仰っています)としての生き様を自ら語っておられます。

 自他共に認める、重度の活字中毒。字が読めるようになった頃から、朝起きて読み、朝ご飯を食べながら読み、通学中に読み、授業中に読み、休み時間に読み、給食中に読み、下校中に読み、家で読み、夕ご飯を食べながら読み、お風呂で読み、寝る前に読み。朝に夕に小学校の図書館に通いつめ、だいたい毎日三〜五冊の本を読破していきました。もういい加減に寝なさいと部屋の伝記を消されても、お布団の中に懐中電灯を持ち込んで読み。母が小学校の先生に「うちの子は本を読みすぎるのですが、どうしたらいいのでしょうか」という質問を投げかけて、普段、読書を推奨している立場の先生を困惑させたことも。
 それほど読書に没頭できなくなった今でも、一日に1〜2冊、お休みの日ともなれば、傍らに本を積み上げて食事を取る間も惜しんで、活字の世界にひたすら没頭。ビブリオマニアというよりは、書痴。超の付く読書狂。
 やむを得ない状況以外では、タクシーには乗らず電車で移動します。だってタクシーだと本が読めないから。人とご飯を食べるのも好きだけど、一人で本を読みながら取るランチは格別です。誰もいない温泉に、本を持ち込んで、湯あたりで倒れたことがあります。
 持ち歩いている本の三分の一まで読んだら、もう不安。鞄の中に複数の本が入っていることは日常茶飯事。旅行に行く時は、たとえ一泊二日国内でもハードカバー一冊+文庫二冊は最低限。これが国外になると、荷物のほぼ半分は本。読む物がなければチラシでも、広告でも。辞書なんて、もう最高。


 正直、世の中には、「ビジネスとして読書家をやっている人」もいると思うんですよ。
 「自分がどのくらい本を読んだか」を世の中にアピールするために、冊数を稼ぐために、読んでいるような人。
 「読書法」「速読法」の宣伝ばかりしている人。
 そういう人を見かけるたびに、「本をたくさん読んでも、こういう人にしかなれないのなら、読みすぎないほうがいいよなあ」と落ち込みます。

 
 僕自身は、本好きの読書って、「業」みたいなものだと感じていて、要するに「何か読まないと落ち着かないから、本を手放せない」のです。読むだけじゃなくて、本という物質が大好きで、書棚にキレイに並べることでオルガスムスを得る人もいる。
 鉄道好きにも「乗り鉄」「撮り鉄」「模型鉄」など、さまざまな分派があるように「本好き」も、感想や書評を書くのが大好き、読書記録をつけるのが大好き、という人もいれば、読んだ本の感想を書く時間があるんだったら、もう一冊読む!という人もいる。読まずに初版本や稀覯本ばかり集めている人もいる。
 「読書メーターに記録しろ」なんて言われても、読むのは好きだけど感想書くのは好きじゃなんだよ、という人も、けっこう多いんじゃないかな。


 池澤春菜さんは、「本を読む」ことと「書評を書く」ことについて、お父さんの池澤夏樹さんとの対談で、こう仰っています。

池澤春菜書評のお仕事を始めてつくづく思うけど、本を読む力とそれを書評としてまとめる力って別物だね。


池澤夏樹書評はそこにもうひとつ芸がいるからね。


春菜:私は自分のことを本読みだとは思っているけれど、プロフェッショナルな本の推薦人としてはまだまだです。


夏樹:今は本当にたくさん本が出ているから、読者はいいガイドが欲しい。そこで、書評をする人間は「私はこういう趣味、こういう尺度で本を選んでいます」ということをはっきり書く。「私が読んだ本を読んで面白かったら、次も私が薦める本を手に取ってください」とね。そこで書評者と読者の間に信頼関係が生まれれば、レビュアーが存在意義を持つことになる。


春菜:要はセレクトショップみたいなものだね。目利きが選んだ品物がいろいろ置いてあって、それが自分の好みに合致しているお店。ふだん手を出せないものでも、「あの人が選んだものならチャレンジしてみよう」と思える。そうやってなじみのお客さんがつくのがセレクトショップだものね。


夏樹:そういう意味で書評は一種の人気商売。そこが僕は好きなんですよ。文学賞の選考委員の場合だと、自分が推す作品について「これはいい小説だ」って言わなきゃいけない。つまり一種の権威づけだよね。これはあまり楽しくない。でも書評だったら、「自分がこれが面白かった。よければどうぞ」って言い方ができる。芥川賞の選考委員は辞めても、週刊文春毎日新聞の書評を続けるのはそういう理由です。


 もちろん、池澤春菜さんが周囲と示し合わせて、冊数を水増ししたり、読んでもいない本の書評をしている可能性だって、ゼロじゃないですよ。
 僕はランス・アームストロングさんのドーピング事件以来、自分が信じたいものこそ、5%くらいは常に疑っておくことにしています。
 ただ、「本当に読んで感想を書いている人」かどうかは、その感想(書評)を読めばある程度はわかるつもりです。
 他人が書いたものをパクっている、となると、どうしようもないけれど、『ツール・ド・フランス』優勝なら大規模な組織ぐるみで偽装するだけの見返りがあっても、いち書評家として仕事を得るために、ゴーストリーダー、ライターを立てるのは費用対効果に乏しすぎますし。

 
 少なくとも、池澤さんは「本をたくさん読む人はえらい」とは思っていないんじゃないかな。
 どうして自分はこんなに本を読まずにはいられない人間に生まれついてしまったのか……とため息をつくことはあっても。
 がっかりしますよねほんと。自分ではけっこう読んできたつもりでも、書店で書棚をみれば、読んだことのない本ばっかりなんだもの。
 そして40代半ばの自分に残された時間と読める本は、もう、そんなに多くはない。英会話をやっていたら、楽器を習っていたら、論文をちゃんと書いていたら……
(後半は僕の愚痴です)


 僕が「本をたくさん読む人」に驚かされたのは、岡田斗司夫さんが、「18歳までに1万冊読んだ」と本に書いていたのを最初に読んだときでした。
 これを読んだとき、僕は40代はじめくらいで、読書歴30数年で、まあ、一日一冊として、人生累計1万冊くらいかな、と思っていたんですよ。
 僕が汗水たらしてようやくのぼってきた山頂に、涼しい顔をして、ヘリコプターで降りて来やがってこいつ!という感じです。
 1970年代~80年代前半の、SFとかミステリのマニアの世界って、ネットの「半年ROMってろ!」みたいなニュアンスで、「まず1000冊読んでこい、話はそれからだ」みたいな雰囲気でもあったそうです。


 ちなみに、僕が知っている範囲で(表に出てくる話で)、いちばん読んでいそうな有名人は、佐藤優さんではないかと。
 著書によると、佐藤さんは、「月平均300冊。多い月は500冊以上」だそうです。年間4000~5000冊くらいになりますね。
 あんなに本をたくさん出してるのに!(内容はけっこう重複しているけど!)




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 「年間300冊」というのは、「書痴」じゃない人にとっては、「そんなに読めねーよ」なのかもしれませんが、僕にとっては「好きな人なら、そのくらいは読めるよね」という数字です。
 少なくとも「1万人の女性と寝たロックスター」とか、「オンラインゲーム(ファイナルファンタジー11)通算1万時間!」とかよりも、リアリティがある。
 そして、「冊数」とはいっても、ジョイスの『ユリシーズ』1冊と新書やライトノベル1冊では読みこなすのに必要な時間は違う。
 本好きにとっては「冊数よりも、どんな本を読んできたか」のほうが大事な場合が多いんですよね。
 既知の知識の復習のような内容なら、短時間で流し読みできる。
 池澤さんが愛読している翻訳小説やSF、ファンタジーというのは、僕にとっては「時間がかかるし、ちょっと苦手」なジャンルです。
 そこを守備範囲にして、これだけたくさん読んで書評を続けておられるのは、本当にすごい。


 本との付き合い方って、いろいろあるんですよ。
 いくつかの例を挙げておきます。


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 本を所有することが幸せな人もいれば、年間3~4冊しか小説を読まなくても、売れっ子小説家になっている人もいる。
 「読みすぎると、自分の書いているもののアラばかりが見えてしまって、挫折しやすいのではないか」という気もするんですよね。
 個人的には「本は人生を豊かにはしてくれるが、その人間を(社会的な)成功に導く可能性はあまり高くない」と思っています。
 だってさ、『もしドラ』こと、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」があんなに売れても、日本の経営者が有意に優秀になったようにはみえないし、『嫌われる勇気』が大ベストセラーになっても、みんな同じような人間関係のことで悩んでいるんだよ。
 もちろん、これらの本が「効いた」人だっているのだろうけどさ。


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