いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「生きづらさ」をコンテンツにしている、北条かやさんと『イースト・プレス』という出版社


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 吉田豪さんというか、「サブカルの人」というのは、こういうのを「面白がる」ことが仕事、みたいなところがあるので、吉田さんの「書評」は、「北条かやさんの消費のしかたのひとつ」としては正しいのだと思います。
 まあでも、これも、先日の筒井康隆さんと同じで、「ファンだから、あえて深読みして正当化してしまう」だけなのかもしれませんが。


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 まあでもみんな、北条さんには厳しいよなあ、とは思うんですよね。
 僕もこの本、いちおう読んでみたのですが、たしかに「上から目線」だとか「自分を正当化しすぎじゃないか」と感じるところはたくさんありました。
 しかしながら、子供の頃に同級生を内心バカにしていた話、なんて、そこまで変だろうか。
 僕も小学校の頃に田舎に引っ越してきて、そこの「方言」に馴染めなくて、ずっと「標準語」で喋っていました。
 それでまた浮いてしまう、っていう悪循環。
 だって、引っ越したからって、あっさり移動先の言葉に鞍替えするなんて、なんか薄情というか節操がない。
 「……じゃないと?」とか、「……ばってん」とか、いきなりそんなふうに喋れって言われても難しいよね。なんか劇団でセリフを言わされているみたいだ。
 「標準語」って自分では思っていたのが、実は広島弁で、のちに東京の人が喋っているのを聞いて、「この人たちは、なんてカッコつけてしゃべってるんだ!」と内心ムカついたのも覚えています。
 まあ、なんというか、よそ者意識っていうのは、なかなか複雑でもあるんですよ。
 内向的でスポーツが苦手だった僕は、同級生にイヤな目にあわされていたときも、ずっと「お前が将来金を借りにきても、絶対に貸してやらないからな!」とか、脳内で『銭ゲバ』のワンシーンを展開しながら、生きていたのです。
 今から考えると、本当にロクでもない子供だった。
 で、北条かやさんに対しては、「こういう自意識過剰な子供って、そんなに珍しくはないんじゃないか」と思うとともに、ちょっと「同族嫌悪」みたいに感じるところもあるのです。


 でもさ、小学生とか中学生って、けっこうみんな「こんなもの」じゃないのかな……
 無心で野山を駆け回って、毎日友達と楽しく遊んだり、部活で汗を流したりしていた、なんて、そういうステレオタイプの「青春」のほうが、フィクションっぽい気がする。
 まあでも、人って、自分が子供の頃のことって、けっこう忘れてしまいますよね。それで、自分がされてイヤだったことを、自分の子供にもやるんだ。僕もそうだ。そこで、子供の悲しそうな顔をみて、そこに昔の自分を見つけてハッとしてしまう。


 僕はなぜ北条かやさんはネットでこんなに嫌われるのだろう、と、この本への反応を読みながら、考えていたのです。
「出版社は、こういう人を利用して稼ぐのは間違っている!」
 たぶん、イースト・プレスも「炎上収入込み」で出版していると思います。

 イースト・プレスは、こういう「生きづらい人の本」をけっこうたくさん出している出版社なのです。


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 これはごくごく一部で、イースト・プレスというのは、こういう「サブカル系」の本を積極的に出している出版社なんですよ。
 何が「サブカル」かというのは、ちょっと長くなるので、今回は「生きづらい人が、生きづらさを書いた作品」という前提で勘弁してください。
 それで、これらの作品の著者は、世間的には「困った人」「めんどくさい人」のカテゴリーに入れられるのですけど、Amazonのレビューなどをみていると、彼らは北条さんのように強くバッシングされてはいないことが多いのです。


 吾妻ひでおさんや卯月妙子さんなど、実績がある人が多いし、自分の行動を客観的にみて、「笑えるコンテンツ」にしている、というのが、どうしても自己正当化にはしりがちな北条かやさんとは違うのかもしれません。
 好意的に解釈すれば、吉田豪さんは「北条かやさんの『中二病』的な行動」を笑うことによって、救おうとしている」ようにも思われます。
 「差別だ!」って言われるより、「中二病!」のほうが社会的には安全です。


 まあでも、本人としては切実な問題なのに「笑えるように客観的にみて、ブラッシュアップしろ」というのもキツい話ではありますよね。
 それが「プロの技」なのだと言えなくもないけれど。


 卯月妙子さんの『人間仮免中 つづき』を読むと、後半はけっこうギリギリの精神状態で、なんとか一冊分描きあげたように感じました。
 マンガとしてのクオリティは、ちょっと……です。
 正直、「これを売るのか……」と。
 まあでもなんというか、ものすごい「圧力」「切迫感」みたいなものが伝わってくる作品ではありました。それは僕が「背景」込みで、この作品をみているから、というのも大きい。


 昔、『BASTARD!!』が締切に間に合わなかったのか、描きかけみたいな原稿が掲載されていたことがあったのを思い出します。
 あれを『週刊少年ジャンプ』でやった、萩原一至先生はすごかったな。
 これは脱線。


 僕は北条さんに対するバッシングをみて、考え込んでしまうのです。
 生きづらい人が、生きづらさを語っても、「それでもあなたが生きていてくれてよかった!」「生きているって、すばらしい!」「元気づけられました!」「これは壮絶なノンフィクションだ!」と称賛されることもあれば、北条さんのように「アスペルガーって診断されているからって、やっていいことと悪いことがあるだろ!」「ファッションメンヘラだろ!」とめった打ちにされることもある。
 その「境界」は、どこにあるのだろうか?


 僕は北条さんの著作がとりたてて優れたものだとは思いませんが、「こんなヤツの本を出版するな!利用して商売するな!」というのもまた筋違いな話だと思うのです。
 僕みたいな、興味を持って読む下衆な人間だっているのだし、「こんなふうにでも生きていける」って感じる人だって、いるはずです。
 そもそも、「それなりに売れるから、こうして出版される」のも事実でしょう。
 目的が「叩くこと」であっても、話題になったり、売れたりすれば、出版社は潤う。
 「生きづらい人」も、「生きづらさをコンテンツにして稼ぐ」ことができれば、少しは生きやすくなるし、承認欲求も満たされる。
 本当は、「みんなでスルーする」のが、いちばん効果的なのはわかっているはずなのに、なかなかそれができない。


 北条かやさんって、「安心して叩ける」(と多くの人が思い込んでいる)という意味では、稀有なコンテンツなのかもしれません。
 若い女性で、バッシングしても逆ギレして襲い掛かってくるのではなく、スルーもせず、「なんで私はこんなに叩かれるんだろう……」と自分を責めて深みにはまっていく。ある意味「いじめる側にとっては、安全で、いじめ甲斐がある存在」なのです。


「みんなが北条かやは許せないって言っているから、私も許せない!」


 ……北条かやは、あなたに何かしたのかね?
 「世の中に間違いをふりまくのが許せない」のであれば、こんな小者じゃなくて、巨悪がたくさんいるんじゃないか?
 反撃してこない、みんなが悪いと言っている、叩いたときの反応が面白い。
 ……そういう人をターゲットにするのを「イジメ」って言うんだよ。
 インターネットでは、多くの人たちは、「イジメ」に深い嫌悪感を示し、「発達障害」や「他者とのコミュニケーションに劣等感を持つ人」に温かい言葉をかけています、いるはずです。僕は、インターネットのそういうところが好きというか、人間も捨てたものじゃないな、と思う。
 その一方で、現実世界で接する「困った人」には、僕自身が溜息をついてしまうのですが。


「北条かやは別枠」なの?
 社会学者として間違ったことを言っているのなら、その間違いを指摘すればいい。「簡単に『死んでお詫びを』なんて言わないでほしい」というのもわかる。
 直接迷惑をかけられたり、遺恨がある人が争うのは仕方がない。
 彼女は、そういう「言論の世界」で生きているのだから。
 そして、自らその土俵に留まり続けることを選んでいるのだから。
(個人的には、降りたほうがラクになるんじゃないか、と思うのだけれど、プライドが邪魔をしてできない、というのも、わかるような気がする)


 北条かやさんって、「めんどくさい、生きづらい人」のひとつの典型例じゃないか、と僕は感じます。
 このくらいで「受け入れ不可」「放っておくこともできない」という人がほとんどならば、「生きづらい人が生きやすい社会」なんて、そう簡単には実現しない。
(いや、僕だって、身近にいれば、深く関わるのは遠慮します。「そういう人」をひとり救うためには、自分の人生全部を犠牲にして、それでもうまくいく可能性のほうが低いくらいだから)


 「病名がついている人は『病気だから』叩かない」というのは、ひとつの「良識」なのでしょうけど、北条さんは、自分で「アスペルガーと診断された」と告白しても、「アスペルガーだって、言って良いことと悪いことがある」「アスペルガーでも成長しなさすぎ」とか言われています。
 それでも「認められたい」と前に出てくるのは、誰かなんとかしてあげたらいいのに、とも思うのですが、結局のところ、それは犯罪でもないし、「イヤなら見るな」で済む話です。
 

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 インターネットって、すごいよね。
 以前話題になった「引っ越しおばさん」を覚えていますか?
 ああいう人を面白がって消費する、というのは、ネット以前には難しいことでした。
 「メンヘラ」とは、関わらないか、友人として、夜中に「今、手首切った」という電話に怯えるか、という両極の二択しかなかった。
 ところが、現在は「安全圏から観察する」あるいは「石を投げて反応をみて楽しむ」ことができるようになりました。
 それは悪いことばかりではなくて、そういう人たちの側も、「観察者」によって承認欲求を満たされたり、小金を稼げるようになったのです。
 悪趣味、であることは確かなのだけれど、それで「まあ、コイツよりは自分のほうがマシだな」みたいな慰めになるというのは、「絶対悪」でもないような気はします。
 実際、お金を落としているのは「野次馬」のほうが多いんじゃないかと思いますし。


 ネットイジメはやめようよ、と感じる一方で、北条さんの場合は「バッシング」より「無関心」のほうがつらいのではなかろうか、とも考えてしまって、結局のところ、僕にも正解はよくわからないのです。
 他人が気にならなければ、もう少し幸せになれるのかもしれない。
 でも、他人が気になるからこそ「人間」なんだよね。めんどくさいな本当に。


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インターネットで死ぬということ

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