いつか電池がきれるまで

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AKB48の「負け組」たちのセカンドキャリア〜『存在する理由 DOCUMENTARY of AKB48』

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
国民的アイドルグループ・AKB48に密着したドキュメンタリー映画第5弾。初代総監督・高橋みなみの卒業と横山由依新体制への移行の裏で起きたドラマなど、11年目を迎えたモンスターグループ・AKB48の裏側を映し出す。


 この「AKB48の舞台裏を描いたドキュメンタリー」これで5作目になるそうです。
 「総監督」高橋みなみさんの卒業から、2016年の総選挙で指原莉乃さんが初の連覇を達成するまでの時期がメインなのですが、あんまりメンバー、とくに主力メンバーが出てこず、とくに後半、監督がつんくさんに「アイドル」についてインタビューしたり、『週刊文春』に突撃したりするシーンの連続には「そういうのは、別のところでやればいいのに……」と思いました。
 AKBのファンというより、AKBという「現象」のほうに興味がある僕でさえこんなふうに感じたのですから、ファンの間では「何なんだこれは!」「監督の自慰行為!」と、かなり評判が悪いみたいです。
 まあ、ファンからすれば、社会派ドキュメンタリーがみたいわけじゃなくて、メンバーの知られざる舞台裏、に興味があるから、これを観ているのだろうし。


 『週刊文春』を取材して、記者に「若い子の恋愛とか、写真を撮って世に出すなんて、罪悪感はないんですか?」というような、紋切り型の質問をするんですよね。「そんなの、この映画で誰も求めてないだろう……」と言いたくなるし、『文春』の記者だって、答えようもないよね。
 ただ、その記者が「メンバーのなかで、スキャンダルとかは抜きにして、いちばんきちんと取材してみたいのは指原さん。あの事件があってもそれをネタにすらして今の地位を築いた彼女は本当にすごい」と言っていたのは印象的でした。


 で、あまりファン向けではないこの『存在する理由 DOCUMENTARY of AKB48』なのですが、人気メンバーがあまり出てこない一方で、「AKB誕生から10年」ということで、「AKBで勝てなかったメンバーたち」が「その後」を語っているんですよ。
 総選挙とかをみると、誰かを特別に応援しているわけではない僕としては(と言いつつも、山本彩さんはけっこう好き、指原さんは本当にすごい人だと思う)、下位のほうは興味ないし、知らない人ばっかりだな、という感じなんですよね。


 でも、このドキュメンタリーをみると、あの総選挙で「順位が発表される」だけでも、AKBグループ全体のなかでは、「それなりのポジションにいる」ということがわかります。
「順位もつかないまま消えていく人のほうが多い」と言うべきか。


 順位はつくけれど、ファン以外は知らない「中堅メンバー」たちは、どんな思いでAKBでの日々を過ごしているのか?


 彼女たちだって、オーディションの激戦を勝ち抜き、厳しいレッスンを受けてステージに立っている「エリート」のはずなのに、上には、指原さんや渡辺麻友さんや山本彩さんなどがたくさんいて、自分が「推される」機会には、なかなか恵まれない。
 まだ新人の頃ならともかく、何年か在籍していると、自分のポジションや限界みたいなものが見えてくる。
 「努力は必ず報われる」と高橋みなみさんは言い続けていましたし、本人の努力が必要なのは間違いありません。
 それでも、運とか周囲の「推し」がないと、なかなかキャリアアップできない世界でもあります。

 
 「どうしようもない、誰も知らない」というくらいの人気であれば、諦めもつくのだろうけれど、「総選挙で名前は呼ばれるけれど、選抜メンバーとしてテレビで歌えるほどのポジションにはない」という位置で「安定」してしまうと、上は塞がっているし、辞めてしまうのも勿体ないし……という状況になる。
 でも、アイドルなんて、ずっと続けられる仕事ではありませんから、いつかは「卒業」しなければならない。
 そこで、どのようなセカンドキャリアを築いていくのか?


 内田眞由美さんという卒業メンバーがオープンした焼肉店が出てきます。
 内田さんは「じゃんけん大会」で優勝して『チャンスの順番』という曲ではセンターをつとめたのですが、それがきっかけで大ブレイクする、ということもなく(そのあたりは、ファンも甘くはないですよね)、中堅メンバーのまま卒業していきました。
 内田さんは、AKB在籍中の2014年に『焼肉iwa』のオーナーとなり、翌2015年10月にAKBを卒業しています。
 『焼肉iwa』は経営的には「とりあえずなんとかやれている」(本人談)ということで、ファンからは「聖地」と呼ばれており、新潟に二号店も出しています。
 内田さん自身が店に出て接客することもあり、他のAKB卒業メンバーもアルバイトをしているそうです。


 インドネシアジャカルタに誕生した女性アイドルグループ、JKT48に移籍した(いまはAKB、JKTともに卒業)仲川遥香さんのことも紹介されています。
 AKBでの活動に行き詰まっていた仲川さんは、インドネシアのJKT行きを志願し、現地の言葉を熱心に勉強するなどの努力を重ね、インドネシアで絶大な人気を得たのです。
 仲川さんは、前田敦子さんと高校時代に同級生で、「AKBの顔」として君臨してきた前田さんと最も仲が良いメンバーのひとりとしても知られています。
 まあでも、友達だけに、同じグループの一員としては、複雑な気持ちもあったのかもしれませんね。


 また、結婚・出産した卒業メンバーが赤ちゃんと一緒にインタビューに答えており、「夫の実家に挨拶に行ったとき『挨拶とか、きちんとできるんだね』と感心された」という話をしていました。
「AKBでは、先輩・後輩とか、しっかりしていますからね」
 そうか、体育会系なんだ……高橋みなみさんとか、たしかにそんな感じだものなあ。
 でも、AKBでは成功できなかったけれど、「そういう体育会系的な礼儀作法」が、役に立つ場面があった、というのは、彼女にとって、けっこう強く心に残っているようでした。


 あと、驚いたのは、「スーパー研究生」として、一過性にものすごく話題になった光宗薫さんがインタビューに答えていたことだったんですよね。
 モデル経験などもあり、かなり名前が売れている状態でAKBの研究生となった光宗さん。いきなりひとりで雑誌のグラビアに出る、などの推されっぷりで、目を引く凛々しいルックスもあって、人気メンバーとなる……はずでした。
 ところが、期待された2012年の総選挙では、名前を呼ばれることもない「選外」となり、退場の際に通路で崩れ落ちる姿も記録されています。
 芸能の世界っていうのは、難しいものですよね。「運営に推されすぎている」とファンに思われると、かえって反感を買ってしまうこともあるのです。
 それは、彼女の責任ではないはずなのに。
 インタビューのなかで、「周囲は持ち上げてくるけれど、握手会などのファンの反応で自分自身は(そんなに人気がないのは)わかっていた。その、イメージと実際のギャップもきつかった」と言っていました。
「むしろ、総選挙で(そういう現実が)数字になってラクになった」とも。
「きつかった時期も先輩が手を差し伸べてくれようとしたんですけど、自分でも、そういう先輩に対して、どういうふうに『しんどさ』を伝えてのかわからなかった」
 ちなみに、そういう先輩のなかに、島崎遥香さん(「塩対応」で有名)もいたそうで、島崎さんは、光宗さんに自分との共通点みたいなものを感じ取っていたのかもしれませんね。
 結局、光宗さんは10ヵ月でAKBを「辞退」してしまうのですが、その後もモデルなどとして活動を続けています。
 劇場での10周年記念講演には足も運んだそうです。
 光宗さんによると、いまでも、インタビューなどでAKB時代の話になると、「それ、触れても良いんですか?」って言われます、とのことでした。
 周囲が「あれは黒歴史だったんだ」と、本人以上に意識してしまっているのです。


 彼女たちは「AKB48」というグループのなかでは「勝者」とは言えないでしょう。
 でも、「元AKB48」というのは、そのグループの外に出てみれば、たとえ、「ずっと選抜メンバー」クラスでなくても、「セールスポイント」になりうるのです。
 「元AKBの芸能人」は少なからずいるし、ありがたみもないけれど、「元AKBがオーナーで、接客もしてくれる焼肉店」は、ファンにはたまらないはず。
 ファンじゃなくても、「ちょっと行ってみようかな」というきっかけにはなるかもしれません。
 芸能界のなかでも、(出てはいけない契約になっているらしいのですが)、アダルト系に行けば、かなり稼ぐことだって可能でしょう。


 ある組織や集団のなかで、自分が行き詰まっている、限界を感じている、という場合には、「自分を活かせる、もしくは高く評価してもらえる場所」を探してみるのが、ひとつの「風穴をあける方法」なんですよね。
 ひとつの組織や集団のなかにいると、どうしても、「そのなかでの自分のポジション」みたいなものばかり考えてしまいがちです。
 でも、その集団のなかではみんなが持っている「能力」とか「看板」みたいなものって、そこから一歩出てみれば、けっこう珍しかったり、「商売道具」になることもあるんですよ。


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「東大卒プロゲーマー」の「ときど」さんが東大を卒業する際、プロゲーマーになるか、公務員になるか、お父さんに相談したとき、こんなアドバイスをもらったそうです。

「わかっていないかもしれないけど、この業界が、おまえの考えるとおりに発展していったとしたら、『東大卒』の肩書きもきっと、そこで役立てられるはずだよ」


 「東大を出て、プロゲーマーになるなんて、もったいない」という人は大勢いるでしょう(僕も親としては、そう言いそうです)。
 しかしながら、官僚や大手商社や外資系、学者の世界のような「東大卒があたりまえの場所」では、「東大卒」というのは、セールスポイントにはなりません。
 ところが、プロゲーマーであれば「東大卒なのに?すごい!(変わった人だなあ)」というインパクトのある「武器」になる。


 「AKBの負け組」であっても、「人生の負け組」になるわけではありません。
 そこで、「AKBで輝けなかった自分」に呪われてしまうか、「AKBに所属することで得られたもの」を活かすかで、その後の人生は、大きく変わるのです。
 行き詰まりを感じたときには、自分の「価値」を客観的にみること、自分が評価されやすい環境を探すことを、考えてみてください。
 もちろん、そのためには、「今いる場所」で、それなりのものを積み上げておく必要はあるのですけどね。
 

 ただ、こういうことを「わかっている人」のように書いている僕自身は「変化を怖いと感じる人間」であり、「新しい場所で自分を活かす前に、今いる場所で評価されないことを嘆いてしまう人間」なのです。
 だからこそ、彼女たち「負け組」のセカンドキャリアには、すごく考えさせられました。


 2016年の新潟での総選挙のあと、名前が呼ばれることもなく、閉幕後の通路で泣き崩れる1年目ふたり。その横を、1位の「女王」指原莉乃さんが通りかかり、「だいじょうぶだよ、また1年目なんだから!」と声をかけ、励ますのです。なんかもう、女王の貫禄を感じずにはいられません。指原さんは、ボソッと「……でも、来年もランクインしなかったら、ヤバいかもね」と呟くのですが。


 本当は「今いる場所」「本来、目指したはずの場所」で、勝ちたいよね。みんなそうなんだと思う。
 内田眞由美さんだって仲川遥香さんだって、前田敦子指原莉乃になれるものなら、なりたかったはず。
 ただ、だからこそ、「そこでの自分の負けを素直に認めて、新しい居場所を探すことができる人」には、希少価値があるのでしょう。


 4月、新しく何かをはじめた人もたくさんいるはず。
 まずは、そこでいろんなものを身につけて、「自分の居場所」をつくってほしい。
 いつか、行き詰まりを感じることがあれば、こんな「負け組」たちの選択を思い出してみてください。
 この話が役に立つ人なんて、いないほうが良いのかもしれないけれど、すべての人がうまくいくというわけにも、いかないだろうから。


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