いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「借りる」ということのプレッシャーについて

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 上記のエントリには、予想外に反響がありました。
 『怒り新党』で放送されていたものを元にしているので、なんだかちょっと申し訳なかったな、とも思うのですが、マツコさんや有吉さんが「洗わないなんて非常識」と言っていたのに対して、このエントリへの反応としては「忙しかったり、めんどくさいから出前をとるのだから、洗わないのもわかる」というのが少なからずあったんですよね。
 お店側と思われるコメントにも、そういう「客が出前をとる事情」を想像しているものがけっこうありました。
 まあ、水洗いくらいしておいてくれると、いろいろ助かるのだろう、とは思うんですけどね。


 これを読んでいてちょっと意外だったのは「器を返却しなければならない出前を注文したことがない」という人が、けっこういたことでした。
 考えてみると、僕自身もこの10年で、2回くらい宅配寿司の出前を頼んだことがあるくらい、なんですよね。
 出前というシステムで、いろんなものが注文できるようになっていますし、かなり便利になってきているのは事実なのですが、器を返却しなければならないタイプのものは割合的に減ってもいるのでしょう。
 そもそも、家に届けるだけでなく、器を回収しに行くというのは、店側にとっては二度手間ですし、器を返さない人もいる、というのは、けっこうリスクが大きいはず。
 器を返却するタイプの出前というのは、最近では、職場に毎日お昼のお弁当の注文を取りにくる宅配業者や、昔から職場の近くで出前をやっている中華料理店、くらいかなあ。
 マツコさんや有吉さんが日頃目にしている「出前の器」も、そういう店のものが多いのではないでしょうか。


 あらためて考えていると、「器を返さなければならない出前」って、客側にとっては、けっこう面倒ではありますよね。
 僕の場合、洗うのが面倒、とかいうよりも「返さなければいけない器が存在している」ということそのものが、回収されるまで心に引っかかってしまうのです。


 知人に、昔の映画が大好きで、ずっと買い集めている人がいました。
 そんなに何度も観るわけじゃないみたいだし(というか、「忙しくて買ったけど観たことない、というのもたくさんある」そうです)、近所にTSUTAYAもあったので、「買うのはどうしても手元に置いておきたいものだけにして、それ以外は、その都度レンタルしてきたほうがお金もかからないし、物も減らせるんじゃない?」と言ってみたんですよね。もしかしたら、人が触ったものはイヤ、とか?それなら仕方がないけれど。


 彼はこう言っていました。
 「いや、なんていうか、『借りる』というのが苦手なんだよね。別に潔癖性なわけじゃなくて。レンタルしてくると、傷つけちゃいけない、とか、返却期限に遅れちゃいけない、とか、とにかくずっと気になってしょうがないから、多少お金がかかっても、買ったほうが気楽なんだよ。自分は飲みに行ったり、ギャンブルをしたりするより、これにお金を使ったほうがいいかな、って」


 僕もこういう「借りたものがずっと気になってしまう」ところがあるので、なるほどなあ、と。
 ただ、僕の場合は、その「借りていることのプレッシャー」よりも、金銭的なものとか、たくさんのコンテンツに触れることを優先しているだけのことです。
 収納スペースも限られていますしね。
 TSTAYAが、わが家のDVDライブラリーだと割り切れば、モノはかなり減らせるはずなんだけど。


 最近、TSUTAYAなどのレンタルDVD、CDショップって、一時期に比べて、ちょっとお客さんが減っているようにみえるんですよね(僕の感覚的な話なので、違っていたらすみません)。店に行かなくてもストリーミング配信でコンテンツを入手できたり、CS放送を観たり、あるいは、娯楽のバリエーションが増えたり、というのはあるのでしょうけど、「レンタルだと、返さなければいけないのがけっこうめんどくさい」という人が、けっこういるのではないかなあ。
 返すのは当たり前のことだし、「返したくない」わけじゃないのだけれど、何かを「借りる」ということそのものがプレッシャーになるという人って、少なからずいそうな気がします。
 にもかかわらず、「返すためだけにTSUTAYAに行く」と、なんだかもったいないような気分になって、また新しく借りてしまい、「ああ、これも返さなくては……」の繰り返し。
 僕の場合、図書館でも、こういうことになりがちです。
 一度「返すだけの回」をつくれば、ペースを取り戻せると思うのだけれど、なんだか「もったいない」感じがする。
 これは店側にとっては「思うツボ」なんでしょうけどね。


 「借りる」っていうのは、本当に悩ましい。


 「借りる」といえば、お金がその代表格なのですが、消費者金融に多重債務があるような人に対して、「親や兄弟にお金を借りて、まず利子のある借金を完済してしまったほうがいい」というアドバイスがあります。
 これはまさにその通りで、「信頼できる人からの借金」のほうが「消費者金融闇金(このふたつを同列に並べるのは問題があるかもしれませんけど)からの借金」よりも、利息は低い(あるいは、無しで済む)し、払えなくても怖い人に返済を求められるリスクは少ないはず。
 しかしながら、多くの人は、身内にではなく、消費者金融に頼ってしまう。
 それは、理屈のうえでは「大間違い」なのだけれど、身内にお金を借りるのは恥ずかしいとか、いろいろ言われるのがイヤだとかいうのは、ありますよね。
 消費者金融だったら、借りる人でも「お客様」だしね。ちゃんと返済できれば、だけど。
 それに、消費者金融から借りる人には、身内が貸せるほどのお金を持っていない、というケースも少なからずあるのでしょう。
 まあでも、とりあえず「身内から借りる」ほうが金銭的にはメリットは大きいはずなのに、「借りられるかどうか、打診してみる」以前に、消費者金融無人契約機の前に立ってしまう人のほうが、ずっと多いのです。
 人は「金銭的なメリット」という合理性よりも、「プライド」や「めんどくささ」に縛られがちなのです。
 「借りる」ということだけでなく、「貸したものを返してくれと催促すること」にさえ、罪悪感を抱いてしまうこともある。
 僕も本当に苦手なんですよ、「返して」って言うのは。
 当然の権利のはずなのだけれど、なんでこんなことをしなければならないのだろう、と思うし、催促することを諦めることもあります。
 逆に「絶対に返してもらわなければならないもの」は、貸さない。


 昔の人が、隣近所で醤油の貸し借りをしていた、なんて話をきくと、「それはめんどくさそうだなあ」と考えずにはいられません。
 その一方で、家とか車とかを、複数の人たちで「シェア」しようとしている人も増えてきていて、「借りる」ということに対する考え方、感じ方というのは、一筋縄ではいかないものではありますね。


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督促OL 修行日記 (文春文庫)

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