いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「村上春樹という騎士団長」について、酔った勢いで、ダラダラと書いてみた。

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 僕もこの『クローズアップ現代』観ました。
 冒頭で爆笑問題太田光さんが、苦笑しながらこんな話をしていたのです。

 かっこつけてんじゃねえよ、ってところがちょっとあって、サンドイッチを作ってビールで流し込むみたいなことばっかりやってるな、こいつら。
「こんな日本人いるかよ」って方々で言って、ハルキストたちを怒らせるのが大体のパターン。


 まあなんというか、たしかにこんなヤツはいないよな、って思いますよね村上作品の主人公って。


 僕も「ハルキスト集会」なんかをみると、「こいつら春の熊みたいに抱き合って寝ちゃおうよ、とか言って不倫するのかねえ」なんて言いたくなるのですが、傍からみれば僕もけっこうコアな村上春樹読者なわけで、その僕自身がチュートリアルの漫才のように、ちりんちりんを探して行きずりの女と寝たりしていないことを考えると、みんな「頭でっかちというか耳年増みたいなもので、実際に村上春樹作品の影響で不倫しまくっているなんてことはないだろう」とは思うのです。
 そんなの遊人の『ANGEL』読んだ男子高校生が、みんな同じことをやっているか、って話ですよ、しないしできないだろそんなの。メタファーが古い!いやこれはメタファーじゃないか。
 非実在青少年無罪なら、非実在ふかえりだって無罪だよね。
 そもそも、ふかえりに対して「何あれ」とか言っているのは僕なんだけど。
 でも、正直言って、『騎士団長殺し』で、中学生の女の子の胸がどうとか下着がどうとか延々と書いていた68歳には「気持ち悪い」と思いましたよ僕も。
 とはいえ、作品と作家を結びつけすぎてしまうのは、本当に悪癖だ。


 村上春樹評で有名なドリーさんが、顔出しでこの番組に出演されていたのですが、番組内で、ドリーさんの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』への書評の一部が紹介されていました。

 終始、「多崎つくると俺は違うからなー」と思っておりました。
 だってあれだぜ。
 ラストで恋人からの電話を待っている時に
 オリーブグリーンのバスローブきて
 カティサークのグラス傾けながら
 ウィスキーの香りを味わってんだぜ?
 孤独ってこんなオシャレだっけ?


 『なんとなく、クリスタル』みたいですよね、こういうところを読むと。ブルゾンちえみのネタにそのまま使えそう。


 ただ、村上春樹作品って、ノンフィクションでもルポルタージュでもなくて、フィクションであり、小説じゃないですか。
 にもかかわらず、『クローズアップ現代』を観ていたら、「こんなヤツいねーよ!」「現代人の孤独は、こんなもんじゃない」とか言われてしまっている。
 気持ちはわからなくないんだけれど、そもそも村上春樹は『蟹工船』を書いているのではないし(あれはあれで、プロパガンダ小説であり、そこまでリアルでもなかったそうですけど)、リアリティが無い、というのであれば、魔法少女とか女子高校生が戦車で死なない戦いをするとか、身体が突然入れ替わったり酒飲んだらタイムトラベルしちゃうほうが、よっぽど「リアリティがない」わけじゃないですか。
 人は「リアルさ」を求めて小説を読むわけでもない。
 リアルじゃないことが描かれていると、かえって「リアル」が浮き彫りにされるがある。
 息が詰まるような共感よりも、笑えるくらい突き抜けた異世界が必要なこともある。
 オシャレでさえない孤独なんて、金払って読みたいか?


 最近の村上春樹のクドい比喩とか、絶対本人もわかっていてニヤニヤしながらやってるような気がするのだけどなあ。「みんなこういうのを待ってたんでしょ?」って。あれは絶対、ファンサービスだよ。タカアンドトシが、とりあえず「欧米か!」ってやるようなもので。
 でもまあ、太田光さんが言っていたように、「なんでこんな読者に不親切なわからないものを書くのか理解できない」というのは僕も感じるところはあるんですよ。


 その一方で、実は村上春樹作品の最大の凄さは、その適度な理解不能をコントロールしているゲームバランスみたいなところにあるのかな、なんて考えてみたりもするわけです。
 「週刊ファミ通・2007/1/26号」(エンターブレイン)のコラム「桜井政博のゲームについて思うこと」で、こんな話を読みました(桜井さんが『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』を苦労して解きながら考えたこと)。

 任天堂デバッグ機関、通称”スーパーマリオクラブ”でのエピソードなのですが……。とあるゲームをプレイした人のレポートに、”この謎は難しすぎる”と書いてあったそうな。別の人も、”自分はクリアーできたけど、この謎は難しいです”というようなことを書いている。複数の人が”きびしい”を連呼しているので、もっとやさしくするべきかな? と考えた開発者。でも、気がつけばみんなノーヒントでクリアーしていたという。なんだかんだで、全員解けてるじゃん!
 行き詰まったらたちまち進めなくなるけれど、がんばればなんとかなるようにできている! めげそうなときも、そんなことを意識しながらクリアーしていました。


 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』、そして『騎士団長殺し』って、まさにそういう「俺はなんとかわかる(ような気がする)けど、みんなにはちょっと難しいんじゃないか」という絶妙な難易度に設定されているわけです。
 意味を突き詰めるとわけわからなくなるんだけれど、使われている言葉や登場人物がやっていることは難しくはないから、とりあえず、誰でも「読める」。
 村上さんは「答え合わせ」をしないから、みんな「自分はわかった」気分になれる。
 実は、村上春樹さんのいちばんすごいところって、「ゲームバランスの設定」なのかもしれない。


 村上さんの作品は、どんどん進化も進歩もしてきていると思う。
 ただ、それが時代の進行に追いついているかというとそうでもなくて、正直「またか」とか「ちょっと古いんじゃないか」とも感じるのです。
 だいたい、最近の作品は、トヨタステマなんじゃないかと思ったりもするし、小澤征爾さんと話をして以来、やたらとクラシック音楽が作中に出てくるようになって、けっこうミーハーじゃないか、とか微笑ましくもあるんですよね。


 というわけで、酔った勢いで、つらつらと書いてみたのですが、本好きにとって、「みんなが読んでいることを前提に語ることが許され、リアクションが得られる純文学(的なもの)」って、村上春樹作品くらいのものなんですよ。だから、「いっちょ噛み」したくなるんだよね。
 で、僕は、『騎士団長殺し』は「自分のことが、よくわからない」「人間はずっと未完成なものではないか」ということを書いている小説なんじゃないかとも思っているのです。


 ただ、これ、もしかしたら、村上春樹からの挑戦状なのかもしれないよね。
「騎士団長は私だ、殺してみろ! 私は誰の挑戦でも受ける!」みたいな。
 なんのかんの言っても、村上春樹さんって、こんなに長い間、第一線でベストセラーを出し続けているのって、本当にすごい。
 最近の作家で、こんなに「文学的寿命」が長いのは、春樹さんと僕にとっての「神作家」である筒井康隆さんくらいだもの。


 こちらが『騎士団長殺し』への僕の感想(表バージョン)です。
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騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

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