いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

キングコング西野さんと「プログを炎上させるための3つの要件」

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これを読みながら考えていたんですけど、結局のところ、

…ていうか、最初からビジネスの話だけをしていたら、もう少しご理解いただけのかもしれませんね。ごめんなさい。

ということなのかな、って。
いや、「だけ」じゃなくても「お金がない子どもでもネットで内容は読めるし、ネットでみて気に入った人は買ってくれればいいし」と書かれていれば、みんなそれなりに納得したんじゃないかなあ。


fujipon.hatenablog.com



これまで、僕自身もいろんな人と揉めたり批判したりされたりもして、プチ炎上くらいはしてきましたし、炎上している人もたくさん見てきました。
ネットで炎上している人に多くみられるのが、


(1)自分の問題点を謝罪し、訂正することができない
(2)後付けで「真意」を説明しようとする
(3)誰かひとり(あるいは、特定の集団)を見せしめにして批判する


ということなのです。


人間だから、失言することもあれば、事実を誤認してしまうこともある。
それはもちろん良いことではないし、大きな影響力があるメディアや有名人であれば「おとがめなし」というわけにはいかないでしょうけど、初期に「ここが悪かった、間違ってました。ごめんなさい、謝罪して訂正します」という対応をすれば、そんなに燃え広がらないしないことが多いのです。
「謝って済む問題じゃないだろ!」って言う人もたまにいますけど、それが大勢を占めることはほとんどありません。


ところが、少なからぬ人が、ネットで批判や攻撃を受けた際に、「あなたたちは誤解している、自分の真意はこういうことだったんだ」と、最初のエントリでは書かれていなかった「理由」とか「事情」を説明しはじめるのです。
「誤解を受けるような書き方をしてすみません」って最初にひとこと言えばだいぶ違うのだろうけど、「お前らそんなこともわかっていなかったのかよ、じゃあ教えてやるよ」って調子で。
それをやられると「そんなの知るか!」「最初から書いておけよ!」って思いますよね。


あとは、批判してきた人のなかで、目立つ、あるいは与し易そうな個人をターゲットに逆襲してくる。
「俺の敵はコイツだからな!お前らじゃないぞ!」
あるいは、
「俺を批判すると、コイツみたいにさらし者にするからな!」って。


まあでも、そういうのは、大概うまくいきません。
「多くの人が批判しているのに、ひとりを槍玉にあげて叩くなんて」ということで、さらに印象を悪くしてしまいます。


僕もけっこう長い間ネットで書いていて痛感するのは、「戦力の逐次投入」は、ネットでもリスクが高い、ということなんですよね。


detail.chiebukuro.yahoo.co.jp


ネットで書くと、どうしても言葉が足りなくなってしまいがちで、あとから修正できるのがネットの長所ではあるのだけれど、ほとんどの読んでいる人は「第一印象」を重視しているのです。
みんな「追記」なんて読まないし、ブックマークコメントにいちいち反論しても「めんどくさい人だな」としか思わない。
資料として紹介したリンク先を直接確認することもない。
ブログのエントリって、「一期一会」の勝負なのだと痛感することが多いんですよね。
後出しで「説明」して、「そういうことだったんですね!」って炎上が鎮静化するケースは、ほとんどありません。
だから、炎上を極力避けようとするならば(完全に予防するためには「書かない」しかないので)、あらゆる方向からの批判を想定して「全部入り」みたいなゴチャゴチャしたものになってしまうのです。


西野さんにしても、最初から「ビジネス的なメリット」に言及しておけばこんなに荒れなかったのに、「後出し」になってしまったから、批判している人たちも、振り上げた拳を下ろせなくなってしまっているのではないかと。


以前、長谷川豊さんとのやりとりで感じたのは、「謝ったら死ぬ病」っていうのが本当にあるのかもしれないなあ、ということでした。
あるいは「とにかく自分が正しい」という前提から逃れられない、と言うべきか。


ただ、長谷川さんは主張そのものに致命的な(まさしく「命にかかわる」)問題があったのですが、西野さんは本人の態度とか感じ悪さみたいなものを取り除けば、やっていることは「ベストセラーをネットで無料公開した」だけのことで、むしろ、称賛する人のほうが多いはずだったのに。
実際、読めて儲けた気がする、と思っている人はたくさんいるはずですし、僕の観測範囲のFacebookではそういう反応が多数派です。


西野さんの場合は、「どこまでが戦略なのかよくわからない」ってところはあるんですよね。
だって、本の内容を無料でWEBに載せる、ということに関しては、著者の権限だけでできることではないし、西野さんがデータ化してあの場所に自分でアップロードしたわけでもない。
最初は西野さんのアイディアだったのだとしてもあの「WEBでの無料公開」に至るまでには、出版社と折衝して了解もとったはず。
もちろん、出版社も「知名度アップによる紙の本の売り上げ、あるいは、会社の宣伝などのメリット」も考えたうえで、無料公開に踏み切ることにしたわけでしょう。
にもかかわらず、最初のエントリでは、あくまでも「美談仕立て」にしていました。
結果的に「お金がない子どもでも、WEBで読めるようにしました!」「お金の奴隷解放宣言。」だったのが、わずか数日後には、「フリーミアム戦略です!」に。


正直僕はよくわからないんですよ。
西野さんの一連のエントリは、前述した「炎上要件(1)〜(3)」を完璧に満たしています。
しかしながら、実際に西野さんがやっている「絵本のWEBでの無料公開」というのは、「悪いこと」ではない。
もしかしたら、こういう「炎上による拡散効果」を狙って、こういう書き方をしているのだろうか。
それとも、書きたいことを書いていたら、結果的にこうなってしまったのか?


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これも「後付け」なのか、それとも「計算通り」だったのか。
天性の煽りの才能、みたいなものもあるのかなあ。
でも、こういう形で多くの人に認知されるのは、長い目でみれば悪手ではないのか。
それとも、「悪名も名なり」ということなのか。


ひとつ指摘しておきたいのは、このような「嫌い」とか「態度が気に入らない」「偉そう」みたいな理由で、具体的な反社会的行為が存在しないのに誰かを炎上させるというのは、相手にとってプラスになってしまう場合がある、ということです。


瀧本哲史さんの『戦略がすべて』という本のなかに、こう書かれています。

 ところが、実は有料課金型でも、「炎上」型コンテンツは有効である。
 たとえば個人が用意する有料コンテンツ、たとえば会員制ブログは、その質・量に比べて料金が割高であることが少なくない。実際、ネット上でもっと質の高いコンテンツを無料で見つけることは可能だし、既存メディア系の有料コンテンツなら質・量はずっと上だ。
 そんな個人の有料コンテンツを買う人間というのは、極めて少数の「信者」に近い読者だ。彼らは「炎上」するような過激なコンテンツをむしろ好ましいと考える。このような「特殊」な読者のコミットメントによって有料コンテンツは支えられている。
 電話での振り込め詐欺やネットの詐欺メールなどでは、話があまりにも不自然だったり、文章が少しおかしかったりすることが多い。しかし、こうした犯罪に詳しい人によると、実は普通の人が騙されないような文章を送ることは、「騙されやすい普通じゃない人」を抽出するための手段だという。もし、詐欺の途中でこれはおかしいと気付かれ、警察に届けられたりすると、詐欺師としては不都合だ。むしろ、最後まで騙し続けられる「カモ」を探すには、最初の段階で明らかにおかしいものを提示し、それでもおかしいと思わない人を選び出す必要がある。
 これと同じように、競合優位性がないコンテンツにお金を払う人を見つけるためには、最初の段階で明らかに「炎上」するようなコンテンツを提供し、それを批判するのではなくむしろ呼応するような読者だけを、効率的に探し出す必要がある。
 そして、そのような読者にとっては、多くの人に批判されても自分の意見を曲げない筆者はある種「殉教者」であるから、逆に信仰の対象となるのだ。かくして、「炎上」を好む読者は、有料課金型のコンテンツビジネスにとって、良い潜在顧客になるのである。


 西野さんの本はもともと「割高」でも「クオリティが低い」わけでもないのですが、「炎上に興味を持って接しても、一定の割合で共感したり、顧客になったりする人がいる」のは事実なのです。
 「こうしてネットの連中にバッシングされても信念を貫く西野さんカッコいい!」と思う人だって、少なからずいるはず。
 テレビタレントのように「大多数の人に嫌われないこと」を重視しなければならない人と、「多くの人に嫌われても、一定数以上のお金を出してくれる人に好かれること」のメリットのほうが大きい人がいて、西野さんは、後者として生きていこうとしているのです。


以下は余談なのですが、西野さんが書いておられる「子どもがずっと同じ絵本を読んでいること」については、たしかに僕も『しょうぼうじどうしゃ じぷた』を読みながら、いまはこんな救急車どこにもないよなあ、とか思っていたんですよね。
子どもが読む本も、時代によってアップデートされてしかるべきなのに、新しいものが出てきにくい構造になっているのかな。
かいけつゾロリ』とかを読むと「子どもの本だと思っていたのに、情報量多いよなあ、これ」って、驚きますし、僕の見えないところで、絵本の世界にも新陳代謝が起こっているのかもしれませんが。


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