いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

キングコング西野さんの「お金の奴隷解放宣言。」について、僕も考えてみた。


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この西野さんの「『えんとつ町のプペル』WEBでの全ページ無料公開」に対して、ネット上では賛否両論のようです。
僕が観測した範囲では、twitterでは批判が多く、facebookでは称賛の割合が高い、という印象です。







僕がこの西野さんの「お金の奴隷解放宣言。」を読んで思い出したのが、有吉弘行さんが西野さんにつけたあだ名「元気な大学生」で、そういうところをずっと貫いているのも、それはそれですごいことだな、と。
この絵本、いま、23万部売れているそうなんですが、僕の近所の紀伊國屋にもPOP付きで平積みにされていまして、このままいけば、おそらくあと10万部、あるいは20万部くらいは売れるのではないかと思います。
印税10%として、定価2000円だから、2000〜4000万円か……


ただし、WEBで全文公開したから、紙の絵本がまったく売れなくなる、ということもないはずです。
絵本を買うのは親で、親には「読み聞かせファンタジー」があります。
子どもに本を読んであげたい、それが親子のコミュニケーションの基本だと考えている親は、けっこう多いはず。
このWEB版は、スマートフォンでは迫力に欠けるし、パソコンでは持ち運びに不便。iPadのようなタブレット端末がいちばん向いていそうなのですが、それでも、この公開されているサイトは「観る側にとって最適化されている」とは言いがたいものがあります。広告もあるし。
個人的には、最後の西野さんの解説みたいなのは「蛇足」だと思うんだけどなあ。
ちょっと説明しすぎなんじゃなかろうか。
多くの絵本で、この手の「著者のねらい」みたいなものは書かれているんですけどね。
あと、読み聞かせするには、ちょっと文字と情報量が多くて大変かもしれません。
親としては『きんぎょがにげた』とか『しょうぼうじどうしゃ じぷた』とかの文字数の絵本を子どもが持ってきてくれると、ちょっと嬉しい。
(それは僕だけの可能性も高いけれど)


実際、WEBで公開するにしても、サーバー代や何やらで、けっこうコストはかかるものです。
全国の学校図書館に寄付するよりも、「多くの子どもが読みたいときに行き渡る」という点では、WEB無料公開のほうが効果的なのは間違いありません。
なんのかんの言っても、今の世の中では、インターネット環境、あるいはスマートフォンって、ほとんどの若い人たちが衣食住の次に優先している最低限のインフラだし。


これで話題になれば、紙の本だってさらに売れるはずです。
今回は、出版社側にとっても、こういう形でのプロモーションの大々的な実験、という側面があるのでしょう。


その結果として、「2000円の絵本が買えない子ども」が作品に触れられるのであれば、それは少なくとも、悪いことばかりじゃない。


西野さんが嫌いだから、やることなすこと叩く、というのもどうなのかな、と。
「俺たちを『お金の奴隷』よばわりしやがって!」ってムカつく気持ちもわかるのですが、「元気な大学生」のポエムだと思えば、まあしょうがないかな、と。
目の前の2000万円を投げ捨てての大見得なんだから、拍手くらいしてあげても良いのではなかろうか。
要は、「言い方が悪い」とか「態度が気に入らない」ってことなのでしょうし、それはわかるんだけどさ。


とか思うのも、僕が日頃ネットで「カネのためなら、反社会的なことを書いて炎上するのも上等」とか、「読んでいる側が興醒めしても、誤クリックを誘発し、イヤでも目につくように文中に広告を入れるのが稼ぐためのテクニック」だとドヤ顔で主張している「お金の奴隷ブロガー」をたくさんみているから、なのかもしれません。


上のTweetにもありますが「10万部売れるよりも、1000万人に知ってもらいたい」っていうのは、別におかしなことじゃないよね。
それを「承認欲求のかたまり」と罵倒することは簡単だけれど、承認欲求のためにやることが悪いことでなければ、そんなに悪く言われなくても良いのでは。


本村俊二さんの『教養としての世界史の読み方』という本のなかに、こんな記述があります。

 古代ギリシアの哲学者プラトン(前427〜前347)は、人間の興味について面白い考察をしています。
 プラトンは、人間には三種類の興味があると言います。
 一つは「知識」に対する興味、二つ目は「お金儲け」に対する興味、三つ目は「勝利」に対する興味。そして人はだいたいこの三つのうちのどれかで動いている、と。
 この言葉を知ったとき、この考察が、ギリシアとカルタゴとローマにピッタリ当てはまっていることに私は驚きを感じました。
 ギリシア人は知識に強い興味を持ち、カルタゴ人は儲けることに強い興味を持ち、ローマ人は勝つことに強い興味を持っているからです。
 プラトンの時代、ローマはまだ小さな都市国家の一つに過ぎません。プラトンがローマという国の存在を知っていたかどうかも怪しいところです。
 ですからこれは、ローマのことを言っているわけではないのですが、それぞれの性格を見事に言い当てているのです。
 かつて森本哲郎さんは、『ある通商国家の興亡——カルタゴの遺書』(1989年・PHP研究所)という本の中で、「カルタゴは日本、ローマはアメリカ、そしてギリシアがヨーロッパ」といったことを述べました。


 もちろん、「お金」は大事ですよ。
 ただ、世の中のすべての人が「お金」を一番大事に思っているはず、というのは、たぶん、間違っている。
 「勝つこと(あるいは名誉を得ること)」や「知ること」の優先順位が高い人は、いまの日本にだって大勢います。
 もちろん、「優先順位が低い」と「不要である」は同じではないけれど。
 不当な搾取は論外ですが、お金にならなくても多くの人に読んでもらいたい、自分の存在を知ってもらいたい、というのも僕はわかる。


 もしかしたら、将来的には専業作家はどんどん減っていくのかもしれません。
 専業作家の技術は「個々の無名人が人生に一度書けるかどうかの『蜂の一刺し』的な文章」に、勝ち続けることができるのだろうか。
 

 結局のところ、ものの値段というのは、需要と供給で決まるのです。
 無料であるのが悪なのであれば、Kindleに山のようにある「無料本」の著者にも「価格破壊だ!」とクレームをつけるべきなのかもしれません。
 世の中には「タダでも要らない」ものが、そこらじゅうにゴロゴロしているのです。
 

 出版業界も、スマ—トフォンのゲームみたいに、懐に余裕があって作家を応援したいとか、早く読みたいという「課金ユーザー」がお金を出して、多くの「無課金ユーザー」にもコンテンツが見られるようにする、というモデルはあり得るのではないかと思います。
 国民から一律の「娯楽税」を取って、Kindle Unlimited式に「その娯楽の利用頻度に応じて配分する」とか。
 まあ、寝言みたいな話ではありますが、「本」というのも、そういうふうな変化にさらされる可能性はあるのです。
 以前、ちきりんさんが著書のなかで「本を出すのは、ブログに来てもらうため」と書いておられましたが、西野さんの場合は、無料で絵本をみてもらうことによってブログに人を集め、そこで広告収益を得るとか、好感度をあげてタレント活動に活かす、ということも可能でしょう。



fujipon.hatenadiary.com


これは、岡田斗司夫さんや堀江貴文さんがずっと言っている『評価経済社会』の話でもあるのです。
西野さんは、そんなに特別なことを言っているわけじゃない。
これだけ売れている「商品」を社会実験のために差し出したのは本当にすごいことだけれど。
(その点においては、WEB版で作品にかかわった他のクリエイターたちの紹介を削ったというのは「悪手」だとしか言いようがありません。みんなの「評判」も上げればいいのに!)


岡田斗司夫さんの愛人問題や堀江さんのピロリ菌の話とかをみていると、「評価経済社会」を標榜するのなら、もっと自分自身の「評判」を損なう言動をしないように気をつければいいのにな、とは思うんですよね。
この西野さんのブログも、「もう十分利益は出たので、読みたい子どものためにもWEBで無料公開します」とだけ書けば、こんなにめんどくさいことにならずに済むだろうに。
(多くの人に読んでもらうためには「めんどくさいこと」になったほうがいい、というのもいまのネットの悲しい現実ではありますが)


えんとつ町のプペル

えんとつ町のプペル

教養としての「世界史」の読み方

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