いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕は「新しいゲームが生まれない時代」を生きているのかもしれない


いま、PS4で『ニューダンガンロンパV3』を熱心にやっているのですが、まあなんというか、素晴らしく面白いけれど、とても殺伐としたシーンが多いゲームでもあるんですよね。
PSVITAでやった『カオスチャイルド』というゲームも、すごくよくできた物語でのめり込んでしまったのですが、けっこうキツい残酷描写が目立っていました。


「面白い」のは確かなのだけれど、こんなに殺伐としたゲームがものすごく売れてしまうのって、なんだか不思議な気がします。
シュタインズ・ゲート』をはじめてプレイしたとき「僕は楽しいけど、『2ちゃんねる』用語が平然と並んでいるようなテキストが延々と続くゲームが、こんなに売れているのか」と驚いたのを記憶しているのです。


僕は「テレビゲーム」をかれこれ35年くらいやっているのですけど、最近よく思うのが、「新しいジャンルのゲームって、しばらく見ていないなあ」ってことなんですよ。
その代わり、それぞれのジャンルで、かなりマニアックな題材を扱っているものがどんどん増えて、売れてきている。
趣味は多様化・細分化しているし、『2ちゃんねる』や『YouTube』は、いまの中高生にとっては、「ごく普通のメディア」になっている、というだけのことなのだろうか。


アクションゲームは、『ポン』(1972)とか『スーペースインベーダー』(1978)など、テレビゲームの黎明期から作られていたジャンルでした。
Apple2で『ミステリーハウス』(1980:日本でマイクロキャビンから出ていたものとは別物です)という「アドベンチャーゲーム」が出ているのを知って、これで一度遊んでみたい!(オール英語だけど……)と思ったのが1980年代の前半くらいでした。
当時は『ZORK』シリーズ(1980〜)などのコマンド入力式のテキストアドベンチャーと、シエラオンラインのカラーグラフィックアドベンチャーが二大勢力で、アドベンチャーゲーム好きの僕にとっては、どちもすごく魅力的にみえたんですよね。
山下章さんの『チャレンジ!AVGRPG』を毎号穴があくほど眺めていたものです。



Apple II Game: Mystery House (1980 On-Line Systems)


マイコンゲーム初期(1980年代前半)から、シミュレーションゲームというジャンルもありました。
(もともと、コンピュータはシミュレーションを得意としていますし)
有名どころでは、光栄の『信長の野望』(1983)があり、システムソフトの『現代大戦略』(1985)も一世を風靡していたのです。
もともとボードゲームのシミュレーションでは『大戦略』みたいな駒を動かして遊ぶものが主流で(というか、人対人でやるとなると、テレビゲームの『信長の野望』みたいなやつは不可能なのです。『戦国武将ゲーム』っていうボードゲームの国とりゲームはありました)、その後も『提督の決断』とか『太平洋の嵐』とか、「1日が24時間しかない人間がやるにはあまりにも時間がかかりすぎるゲーム」が大量に発売されてきました。


ロールプレイングゲームRPG)も『ウィザードリィ』(1981)、『ウルティマ』(1981)が出たのが1980年代前半で、日本では『ドラゴンクエスト』(1986)を契機に一挙にメジャーになりました。
ちなみに『ドラゴンスレイヤー』『ハイドライド』などのアクションRPGというジャンル融合もみられるようになっています。
ドルアーガの塔』(1984)を「アクションRPG」と呼ぶのは、個人的にはちょっと違うような気がするんですけど。
のちに『ファイアーエムブレム』(1990)や『シャイニングフォース』のような「シミュレーションRPG』が生まれ、『サクラ大戦』(1996)では、アドベンチャーパートも加わっています。


あとはパズルゲーム
これはマイコンでは『倉庫番』(1982)あたりが最初期にみられたもので、僕は「なんでこんな地味でボードゲームでもできそうなものをマイコンでやらなくてはならないのだ?」と疑問でした。
でも、ボードが要らない、簡単にやり直せる、というだけで、コンピュータの強みが発揮されるジャンルです。
こちらは『テトリス』(1984)『コラムス』など、「アクションパズル」というジャンルがのちに生まれてきました。


育成シミュレーションゲーム
あのガイナックスの『プリンセスメーカー』(1991)をはじめとする「育てること」を軸とするゲームです。
ときメモ』こと『ときめきメモリアル』(1994)もこの流れを汲んでいると考えてよいでしょう。


ストリートファイター2』(1991)が大ヒットした対戦型格闘ゲームもありますね。
その他、スポーツゲームテーブルゲーム(将棋、囲碁、麻雀、人生ゲームなど)は古くからある「定番」です。


その他にもアダルトゲームという大きな潮流があるのですが、僕は詳しくないので、今回は省略させていただきます。


そして、全体的にものすごく「ざっくりとした」話にしてしまってすみません。


ちゃんと書こうとすると、最低本一冊分くらいは必要になってしまうので端折りましたが、これらの「ゲームのジャンル」を並べてみてあらためて思うのは、「全く新しいジャンルのゲームというのは、21世紀に入ってからは、出ていないのではないか」ということです。
あえて言えば『どうぶつの森』シリーズ(2001〜)のような「何か大きな問題を解決するのではなく、ただ、その世界を体験するためにそこにいるゲーム」が生まれたくらいでしょうか。


僕はテレビゲームとともに生きてきた人間なのですが、1980年代、ハード性能の向上とともに、アクションゲームから、アドベンチャー、シミュレーション、RPG、そしてこれらのジャンルの融合型と、テレビゲームのジャンルは広がってきました。
1980年代には、これから、もっともっと多彩なジャンルの、「いままで見たことがないような」コンセプトや遊び方のゲームが出てきて、僕たちを喜ばせてくれるだろう、と期待していましたし、そうなることが必然だと思っていました。
ところが、現実は、必ずしもそうなっていない。
既成のジャンルに関しては、グラフィックは格段に進歩し、システムは洗練されたり、めんどくさくなったりしてます。
シュタインズゲート』とか『カオスチャイルド』とかをやっていると、その綿密なストーリーと膨大なテキスト量に圧倒されてしまうのですが、「演出」や「キャラクター設定」は進歩しつつも、ゲームとしてのシステム面では昔とあまり変わらないというか、「ネットで攻略法をみないとわからないような分岐をもつ電気紙芝居」的になっているところもあるんですよね。
グラフィックやサウンドは劇的に進化し、演出力は圧倒的に高まっているけれど、新しいゲームのジャンルやシステムは21世紀に入ってから、生まれてきていない。
テレビゲームというのは、僕が予想していたよりもずっと早く、「進化の袋小路」みたいなものに入ってしまったのではないか、という気がしています。
もう2017年なんだから、さっさと気付いておけよ、って話ですけど。


オンラインゲームとかをみていると、こんなに似たようなものばかりになるのは、人間の想像力の限界なのか、きわめて商業的な理由によるものなのか、と考え込んでしまいます。
オンラインでたくさんの人が参加しているゲームが『ウルティマオンライン』の子孫みたいなのばかりというのは、ちょっと残念ではあるんですよね。
もっと、いろんな可能性があってもいいはずなのに。いや、あるはずじゃなかったのか。
オンラインゲームがゲームの歴史を変える、のかと思いきや、オンラインゲームは「好きな人たちだけが徹底的にハマる、ひとつのジャンル」として、すでに進化を止めつつあるように見えるのです。


中村うさぎさんとマツコ・デラックスさんの人生相談本『信じる者はダマされる』のなかで、こんな話が出てきます。

マツコ:ドラマだけじゃなくて音楽とかもそうなんだけど、もうね、モチーフが枯渇してきてるように思えるのよ。よく『パクリ』って言われるけどさ、オリジナル作品でも、すごくオーソドックスな仕上がりだったりしたら、実際、あるよ。似たようなものが。音楽もバッハの時代から何世紀もずーっと作ってきてるわけじゃん。ホントのパクリもあるかもしんないけどさ。映画の『E.T.』(1982年)はあの時代だから作れたんだよ。今はもう、これだけ宇宙モノがたくさんあってさ。


中村うさぎ特撮技術もね。


マツコ:そう、これだけCGが発達したからね。当時の新しさとか興奮っていうのは、やっぱりあの時代だから感じられたんだろうし。時代が進んで、いろんな手法がさんざんやりつくされたら、そりゃテレビとか音楽とかにかぎらず、推理小説とかでもさ。


うさぎ:もうね、アガサ・クリスティとエラリー・クィーンがやりつくしたわよ! って。


マツコ:そうなのよ。そうやって薄くなっていくしかないのよ。今、十代の子はユーチューバーみたいなのをおもしろいと思って見てるじゃない。「これでいいの?って、アタシは思う時もあるんだけど、やっぱり十代の頃って経験値が少なかったり、いろんなものを十代に見てない段階だから、酸いも甘いもわかった四十女が見て感動するレベルとは違うじゃん。


 酸いも甘いもわかってはいないけれど四十男としては、結局のところ、「コンテンツを消費する人たちがどんどん入れ替わっていくのだから、新しいジャンルが云々なんていうのは、いつまでもここにしがみついている人間の知ったかぶりみたいなものなのかな」とも考え込んでしまうのです。
 いまからテレビゲームに接する僕の息子たちにとっては、はじめて遊ぶゲームって、すごく新鮮みたいですし。
 「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」とか、本当に楽しそうに遊んでいます。
 というか、僕も最近は、ゲームのチュートリアルがやたらとめんどくさく感じるし、プレイ時間を引き延ばすオマケ要素とか「そんなのやるくらいなら、他のゲームやりたいのに」としか思えないし、遊ぶと面白いんだけど、長くなりそうなので一度セーブしたあとなかなか再開できないゲームもあります。3D酔いもするしなあ。


 とか言いつつも、心のどこかで、「もう、これから新しいジャンルって、生まれることはないのだろうか? まだまだ鉱脈はあるのではないか?」と考えずはいられないのです。
 音楽が300年、映画が100年かかってたどり着いたところに、テレビゲームは40年で到達していまったのだろうか?


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