いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「蘇る『無断リンク禁止!』の世界」の片隅で

なぜか、ここに来て突然、「無断リンク禁止!」という懐かしい言葉をけっこう目にしています。
無断リンク」についての議論なんて、もう10年前くらいに通り過ぎてきたつもりの僕としては、もうただひたすら「懐かしい」という感慨しか浮かんできません。


参考までに、10年以上前に書いた「無断リンク」についての記事を上げておきます。
fujipon.hatenadiary.com
fujipon.hatenadiary.com


若いですね(とはいっても、10年前でもかなりのオッサンだったわけですが)。
この「無断リンク論争」の話になると、ekkenさんのことを思い出さずにはいられません。
風の噂で、亡くなられたと聞いておりますが、僕が「嫌だと表明している人にあえてリンクして叩くような行為は自粛するべきではないか」と言うと、「それはマナーの問題であり、マナーとルールを混同すべきではない」と諭される、というのを何度か繰り返していたのを覚えています。


結局、その後の僕は「個人的なスタンスとしては、望まない人にリンクはしないが、他人どうしの争いには口を挟まない」という感じでやってきました。
たしかに、ネットで世界に公開しておいて、「リンクするな」って言うのはおかしな話ですから。
ただし、僕も当時から「無断リンクが悪い」のではなくて、「リンクして揶揄したり誹謗中傷する行為が問題だ」とは書いていたようです(自分で書いたものに「ようです」って変なんですけど、もう10年も前の話なので)。


今、あらためて考えてみると、ルールとしてはあの頃ekkenさんが言っていたことのほうが正しかったのではないか、という気がします。
「基本的に自由」にしないと、「自分にとって不快なものは、すべて無断リンクとして断罪する」ことが可能になってしまう。
現在のように、ネットがお金や評判と密接に結びつくようになってしまうと、「ネット上の嘘や他者を陥れるための言葉」へのカウンターも必要です。


個々の「そんなに悪いこと言っているわけではないのに、リンクしてきた他のブログで過剰に叩かれている人々」については、結局のところ、悪質なものに関しては「叩いている側も可視化されて、かえって恥ずかしい思いをする」わけで。
まあ、これはあくまでも「ブログ対ブログ」であって、個人サイトへの「名無しさん」による絨毯爆撃みたいなのは、あまりにも無慈悲すぎると今でも思うのですけど。


昔に比べて、ブログの内容に対して、ブログで言及されるという機会は、かなり減っているように感じます。
ブログの女王眞鍋かをりさんの全盛期の2004〜2006年くらいは、人気のあるブログに対してトラックバックを飛ばして言及するという「トラックバック全盛」の時代でした。
人気ブログの「おこぼれ」を頂戴しようという狙いもありました。
そして、当時は、けっこうブログ同士でやりあったりもしていたわけです。


それから10年経ってみると、ブログの紹介や言及は、TwitterFacebookなどのSNS上でなされることが多くなりました。
はてなブックマーク」は相変わらず利用され続けていますが、いつも同じような人がブックマークしてホットエントリに上げてくるサイトが乱立していることもあり、以前ほどの影響力はなくなっているようです(ただし、ごく一部の「ものすごくブックマークを集めたエントリ」には、いまでもそれなりの宣伝効果はあるみたいです)。


言及通知がたまに送られてきて「なんか久しぶりだな」と思って観に行くと(いまの「はてな」のシステムだと、言及された場合、少なくともそのエントリを書いた人は、その言及先を見に行くと思います)、エントリをたくさん貼り付けただけで、個々についてのコメントすら書かれていない、「未完成ニュースサイト」みたいなものが多くて、ちょっとがっかりします。
まあ、「ひとこと言いたい」くらいであれば、ブックマークコメントやSNSで十分ですしね。
そもそも『はてなブログ』では、スタート時点から、「トラックバック」というシステムそのものを止めてしまいました。
それはそれで、昔からネットをやっている人間としては、せっかくだから、キャッチボールしませんか?って気分になることもあるのですけど。
ただ、そう思うようになったのは、僕もこうしてやたらとキャリアだけは長い「ブログを書いている人」になったから、なのかもしれません。
「今日の飲み会は無礼講だ!」って宣言する、「本当に無礼なことを言われたらキレそうな上司」みたいだと思われていそう。


最近ちょっと考えているのは、ブログもSNS化してきているんじゃないか、ということなんですよ。
もともと「友達どうしがつながる」ことが前提なFacebookやLINEはさておき、「制限公開」でない人については、どこからリプライがとんできても良いはずのTwitterでさえも、「フォロー外からすみません」という挨拶が飛び交っているのをよく見かけます。
「その前置き、必要?」って思うのだけれど、いまの時代のSNSって、かなり「仲間の囲い込み」みたいなものが一般化しているように感じます。
そして、その影響なのか、ブログでも、「仲間以外には言及しにくい」雰囲気になってきているような気がするのです。
その一方で、「仲間同士」となると、「そんなのいちいち、言及する必要あるの?」というようなことでも繋がりをアピールしたり、いつも同じ人と言及しあったりしている。
僕にとっては、なんだかちょっと居心地の悪さもあるんですよ。
えっ、いつからネットって、ブログって、そんなになっちゃったの?って。


10年前は「無断リンク禁止」は議論の対象だったけれど、いまは「暗黙の了解としての『無断リンク自粛』」が、ネットの「趨勢」になっているのです。
ブログでも「仲間以外」が割り込んでくると「えっ?」って思っているようにみえる人が少なくない。
そもそも、SNS文化からブログに入ってきた人たちに、「昔の『はてな』は手斧が飛び交っていた」なんて言っても、信じがたいはず。僕だって、手斧が好きなわけじゃないけど。
「互助会」とか言っても、「長文SNS」だと(あるいは「お金儲けの手段」だと割り切って)考えれば、「なんでわざわざ議論するためにリンクとかするの?」「仲間と仲良くするのは当然じゃん」と反発されるだけです。
結局のところ、「他者のツールの使い方に文句を言ってもはじまらない」のだろうし、そうなると、お互いに関わらないようにするのが、いちばん平和、だということになるのでしょうね。


2016年というのは、いろんなところで、「分断」が顕在化した年だと思います。
「境界がない世界」だったはずのネット上でも、「分断」は、確実に進んできているのです。


fujipon.hatenablog.com
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分断社会ニッポン (朝日新書)

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