いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕は「ご出身はどこですか?」と聞かれるのがつらかった。

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なんかめんどくさいですよね、いろいろと。
たいして興味もないくせに、余計なこと聞いてこなくてもいいのに、とか思うよ本当に。
でも、年齢を重ねてきてわかったのは、「他人に対してどう接していいか悩んだり困ったりしているのは、自分だけじゃない」ってことなんですよ。
僕は「仕事として、型がきまった会話」は大丈夫なのですが、「世間話」みたいなのがとにかく嫌いで苦手で。
外来とかで、「先生、ご出身はどこですか?」なんて聞かれるだけで、転勤族で故郷を持たず、昔住んでいた土地にも愛憎半ば、という僕は、ちょっと身構えてしまっていたのです。
いや、過去形じゃなくて、今でもちょっとそんな感じです。
そういう質問って、「どこそこに住んでいたんですけど、あそこはあまり良い思い出がなくて……」みたいな「受け」は定石にはありませんよね。
人間には愛する故郷があって、それを誇らしげに語るのが当然だという「押しつけ」みたいなものが伝わってきて、悲しくなります。


「あー、あそこの○○先生、昔から知ってるんですよ。先生もお知りあいでしょ?」


知らないっつーの!


医者なんて、ごくありきたりの職業で、飛行機のなかで石を投げれば20回に1回くらいは医者にあたるんじゃないかね(本当に投げちゃダメですよ)。


こういうのって、他人には理解しがたいかもしれないけれど、本人にとっては突つかれたくない「逆鱗」みたいなものって、あるんですよね。


でも、いろんな世代や立場の違う人とかと話をせざるをえない経験をしていくと、なんというか、こういう「知らない人との会話の導入部」って、そんなにバリエーションが無いものだなあ、と痛感せざるをえないのです。

fujipon.hatenablog.com


このエントリなど、まさに「そういう話」です。

 
 このなかで紹介している吉田尚記さんの『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』という本のなかに、こんな話が出てきます。

 コミュニケーションには、こう来たらこう受ける、こう受けたらこう出すという「型」がたくさんある。それはある種のパターンで、反復可能だし人に教えることもできる。定石を駆使するだけで、いまこうなってるからこっちに振ってみようとか、相対的なコミュニケーションがとれるようになったんですね。

 定石って意外とあるんです。誰しもたくさん身についてる。「ありがとう」って感謝されたら「こちらこそ」って返すのも定石。「どうも」も「どういたしまして」も「そんな」も「いえいえ」も全部、定石です。そうやってずっとコミュニケーションをモニタリングしていたら、いつのまにかコミュニケーションの盤面解説ができるようになっていたんですね。それが三つ目のステップです。
 テレビでプロの棋士が、棋譜を示しながら盤面解説するでしょう。「この一手はこういう意図があって、その流れだったら次はこんな手が考えられる」みたいな分析をする。同じように、コミュニケーションをゲームと捉えると、その流れから「この質問だったらこう受けるのがベスト」とあ、「この答えだったらこっちに話を振ったほうがいい」とか分析できるんです。


 ものすごくひらたく言ってしまうと、「なんでその学部を選んだの?」と聞いてくる人は、本当にあなたの志望動機に興味があるわけではないことがほとんどです。
 どちらかというと、「よく知らない人と会話をしていく糸口として使いやすい話題だから、それをまず利用している」だけなんですよね。
 将棋でいえば、初手で角の斜め前か飛車の前の歩を前に突くようなものです。
 他人はみんな「コミュニケーション上手」みたいにみえるけど、実際は相手もどう話しかけようか困っているなかで、「これが会話のフックになるのではないか」という一縷の望みとともに「なんでその学部を選んだの?」って聞いてくるだけなんですよね。
 だから、その「意味」を深く考え過ぎても、消耗するばかりで、良いことは何もありません。
 なんでみんなが聞いてくるかといえば、「あまり男性が行かない学部の女性」というのは、わかりやすい「疑問」だからだし、相手も自分の好きなことであれば話しやすいだろう、というイメージによるもの、ただそれだけです。
 ちなみに、知り合いの男性看護師も看護学生時代、同じように「なんで男なのに看護師に?」と(主に女性から)訊ねられて辟易したと言っていました。
 僕だって、やっぱり「なんで医者になろうと思ったんですか?」って聞かれると困ります。
 僕の場合は性別とは関係なく、そんなたいした理由じゃないからなんですが。


 もし、あなたが相手側だったと想像してみてください。
 同じようなシチュエーションで、理系のあまり女性がいない学部の学生が飲み会で隣の席に座っていたら、相手もちょっと緊張している様子で、こちらから何か話しかけるとしたら?
 やっぱり、「定石」に頼ってしまうと思うんですよ。
 だから、「ああ、相手も何を話していいかわからなくて、困ってるんだな」と心の中で苦笑してしまえばいいのです。
 多くの場合、本当にそうなんだから。
 そして、そういうときに、やわらかく受け流したり、その機に乗じて自分の個性をアピールする練習をすると、先々、役に立つと思うんですよ。
 僕はそういうことを若い頃に意識していなかったため、ずっと困り続けてきました。
 世の中にはいろんな人がいて、なかには、「好きじゃないけど、敵にまわすとめんどくさい人」もいます。
 いや、たしかに「マイノリティ理系女子」じゃなかったら、しなくてもいい苦労を強いられていると感じるのはあたりまえのことなんですけどね。
 でもさ、そういうのは、あまり自分のなかでネガティブな解釈をしないほうが、たぶん、ラクですよ。
 生きていれば、もっと深い話や楽しい話ができる人にだって、少なからず出会えるでしょうし、そういう人たちでも、親しくなる最初のきっかけは天気の話や「なんでこの組織に入ったの?」ということが多いのです。
 あんまり他人に期待しすぎないほうがいい、そして、あんまり自分を特別だと思わないほうがいい。
 ……とか言いつつ、僕もいまだに、「お郷はどちらですか?」が来ると、けっこう身構えてしまうんですけどね。
 もう、こういうのって、映画とかの宣伝をする芸能人みたいに「想定問答集」をつくって準備しておいたほうが良いんじゃないかな。
 悩んだり怒ったりしても、疲れるだけだから。


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