いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

孤独とテロリズム

www.sankei.com
anond.hatelabo.jp
nikkan-spa.jp


この宇都宮公園爆発事件のニュースをみてから、僕はなんだかとても気分が沈んでしまっていたのです。
(まあ、気鬱なのはそれだけが理由ではないのだけれど)
最初に感じたのは、関係ない人を巻き添えにするなよ、という爆死した人への「怒り」でした。
もちろん、その「怒り」はずっと続いているのです。
その一方で、(他人を巻き添えにせずに)自ら命を絶つという選択肢について、見知らぬ人には「できればやめてほしいが、強く言える立場にもない」としか言いようがない、とも感じています。
2番目のエントリで紹介されている裁判の様子などをみていると、「この72歳の男性がやってきたこと、今回やったことは『同情の余地無し』のような気もするけれど、この人からみた世界は、ずいぶん酷いところだったのだろうな」と考えずにはいられませんでした。


冒頭の産経新聞の記事には、こうあります。

 ただ、5年ほど前から妻子らと別居、1人暮らしをするようになったという。別居前には、夜中に栗原容疑者の怒鳴り声が聞こえていたといい、「夫婦間で口げんかが絶えなかった」と振り返る近隣住民もいる。

 一方、インターネットのブログや動画投稿サイトには、栗原容疑者が投稿したとみられる動画があり、自殺をほのめかすような文言も書き込まれていた。

 動画は全て実名で投稿され、妻との離婚調停をめぐる裁判所への不満などがつづられている。今月5日に公開された動画では「もう預金も住む場所もなくなる」「全てに負けた。私は社会に訴える」などの趣旨の文章を投稿。さらに「自暴自棄に陥っている」などのコメントも書き込まれていた。


 この容疑者は、家族にひどいことをやっていたのかもしれません。
 というか、この裁判での妻側の証言が事実であれば、情状酌量の余地はなさそうです。
 でも、いま72歳、自衛隊で働いていたというこの男性がこれまでの人生でみてきた世界、とくに昭和の半ばから終わり頃までの「このくらいあたりまえ」と、この2016年の「社会、家族のあるべき姿」は、かなり異なっているのではないかな、という気もします。
 70歳前後になって(ちょっと早い印象もありますが)、より頑固になったり、他人の話に耳を傾けなくなったり、というようなことは、人間の「老い」のひとつの現れでもあるんですよね。


 いずれにしても、家族も預金も住む家もなくなり、DV加害者と認定された70歳過ぎの男に「それでも生きろ」というのは、なんだかとても酷な話ではなかろうか。
 だからといって、「死んでもいい」なんて言えるわけもなく。
 年を重ねた末に孤独になると、「詰んでしまう」ことは十分ありえます。というか、そういう事例は少なからずあるし、これから、兄弟の数があまりおらず、一生独身、あるいは離婚して子どもとも音信不通、なんて人はどんどん増えていくはずです。
 「孤独のほうがラクだし、自由になれる」という人もいると思う。
 でも、リアルな孤独というのは、想像上の孤独とは、違う次元の世界なのかもしれません。


www.gizmodo.jp


 それこそ、「図書館の静けさ」と、この「世界一静かな部屋」のように。


 こういう「高齢者の孤独」の話になると、人生相談的に「会社での自分のこだわりを捨てて、地域のコミュニティに積極的に参加して友達をつくりましょう!」みたいなことが言われるのだけれど、実際のところ、人はそう簡単にコミュニケーション上手になれるわけではないし、お金がない、というのは、人付き合いの面においては、大きなマイナスです。
 香典の費用も無いので、葬儀にも出席できない、なんていう話もあるそうです。

fujipon.hatenadiary.com


 この容疑者は、事件の傍観者である僕にとっては「自分の復讐心を満たすため、あるいは自暴自棄になって、他者を巻き添えにしたひどい人間」ではあります。
 とはいえ、この人自身は、自分の正しさを信じていたようですし、それをネットで訴えても、何の反応もない、「炎上」すらしなかったということが、この人の「絶望」を深めてしまったようにも見えるのです。
 ネットに「炎上案件」は少なくないように見えるけれど、実際には「可燃性の材料」は、その何十倍、何百倍もあるはず。
 世の中には「炎上でもいいから、みんなに構ってほしい」という人も少なからずいるのです。
 にもかかわらず、そういう人の言葉に対しては、なんとなくみんな「関わらないほうがいい」のを嗅ぎ取って、スルーしてしまう。
 しかも、ネット経由で、良くも悪くも「みんなに構ってもらえる人」が可視化されているから、とにかく構ってほしい、こっちを向いてほしい、という人は「なぜ、自分の訴えは見向きもされないのだろう?」と思ってしまいやすいのかもしれません。
 

 最近、ネットでこんなエントリを読んだんですよ。
kze.hatenadiary.jp
(ちなみに、このエントリは、「誰もみてくれなくても、ネット上で創作を続ける人たちがいる」ことへの誠実な称賛が主題だと僕は読みました)


 たしかに、ネット社会というのは、いろんなものを「可視化」してくれました。
 便利である一方で、「フォロー、フォロワーの数」まで、ひと目でわかる世界をつくりあげてしまった。
「ものすごいPV(ページビュー:閲覧数)や収益がある」人もいれば、閑古鳥が鳴きまくってもその鳴き声すら誰も聴いてくれない人もいる。
 あの秋葉原事件や今回の事件の場合、社会の中での孤独感が、ネットでさらにわかりやすく「孤独な人」として可視化されなければ、ここまでの凶行に至ることはなかったのではないか?
 ネットがなければ、比べなくて済んだものとの「落差」に愕然としてしまったのではないか?


 ネット以前にだって「津山事件」は起こっていた。
 ただ、あの事件には、加害者から被害者への「怨」があらかじめ存在していたのです。
 ネットで相手にしてもらえないと、「社会全体」を恨むようになる人がいる。
 そして、社会に対する復讐として、無差別テロを行なうようになる。
 

これこそがテロなんだと思った: 極東ブログ


 finalventさんのこのエントリを読んで、ああ、これは確かに「テロリズム」なのかもしれないな、と思いました。


fujipon.hatenadiary.com

 それと同時に、この本で紹介されている「ホームグロウン・テロリスト」が、信仰やイデオロギーよりも「孤独感」から生み出されているのではないか、とも感じるのです。


 ヨーロッパに住んでいる、イスラム教圏からの移民の二世、三世の若い、真面目な女性たちが、「ヨーロッパのキリスト教世界に受け入れられない」という不満や「シリアの子供たちを救いたい」という善意から、「イスラム国」に参加してしまう。
 でも、そこで待っているのは、「テロリストの子供を生むための機械」のような扱いなのです。
 本当にひどい話だ……
 「イスラム国」からすれば、戦闘員には「若い妻」が必要で、そのためには手段を選ばない、ということなのでしょうが……
 男性戦闘員は、移民の二世・三世のなかの仕事のない失業者や日本で言うところの「ちょっとグレた若者」が多いそうです。
 彼らは概して中流で貧しくはなく、イスラム移民でも宗教的な戒律に厳しくない家庭で育っているのだとか。
 

イスラム国」の支配地域では、女性は黒いベール着用を義務付けられ、違反すれば鞭打ちだ。男性に従属し、一人で外出することもままならない。西欧で自由を謳歌してきた少女たちはなぜ、そんな場所に身を投じようとするのか。しかも、生活に不自由のない家庭に育ったまじめな学生ばかりだ。
 イスラム女性を研究するスイス・フリブール大の助手ジェラルディーヌ・カシュトに疑問をぶつけてみた。すると、「女性の多くは抑圧された人たちへの共感が強い。矛盾に満ちた社会に嫌悪感を抱き、正義の社会を作りたいと思っている。それで、『別のすばらしい世界がある』という過激派の訴えに引き寄せられてしまうのです」という答えが返ってきた。
 西欧社会でイスラム教徒の少女たちは「生きにくさ」を感じているのかもしれない。彼女たちは西欧で育ったのに、キリスト教白人社会には溶け込めない。両親の母国であるアルジェリアバングラデシュは異国の地でしかない。生まれた国で少数派のイスラム教徒として生きるしかない。

 これは、実際に行ってしまった女性の多くは、後悔しているんじゃないかな……
「まじめで正義感が強い」人たちなのだろうし。


 生まれた国では疎外され、両親の母国は自分にとっては「行ったこともない国」でしかありません。
 いまの僕からみると、「なんでイスラム国に……」と考えてしまうのですが、彼らの立場だと、そういう選択をしてしまう気持ちも、わからなくはない。
 そういう「若者らしい動機」でも、「イスラム国」に渡ってしまえば、そう簡単に脱出するわけにはいかない。

 渡航歴にかかわらず、欧米社会に生まれ、そこで過激思想に傾倒し、祖国を標的とするテロリストたちは、「ホームグロウン・テロリスト(自国生まれのテロリスト)」と呼ばれる。欧米各国がいま、もっとも恐れるテロリストたちだ。


 疎外感がテロリストを育て、彼らがテロを行なうことによって、イスラム教徒への差別感情がさらに高まっていく。
 イスラム教徒のなかで、過激派はごく一部なのに、憎しみはどんどん増幅されていく。


 こういう「経緯」みたいなものについて考えると、結局のところ、欧米各国の「ホームグロウン・テロリスト」を生んでいるのも「孤独感」ではないか、と思えてくるのです。
 人は、満たされていれば、テロリストには、たぶんならない。
 それは、日本という国に生まれた僕の偏見なのかもしれないけれど。
 そして、こういうテロは、予測も難しいし、関係のない人が犠牲になってしまう。


 もちろん、孤独に対する耐性は人それぞれだし、孤独感や絶望感が、必ずしも無差別に他者を傷つけるようなテロリズムに繋がるわけではありません。
 むしろ、自分自身を傷つけるほうに向かうことのほうが、頻度としてはずっと高いはずです。
 

 もちろん、こんな死にかたを許したくはない。
 でも、あと30年経って、自分が同じような状況に置かれても、絶対こういうことはやらない、と言い切る自信が無いのです。
 どうしたら孤独にならずに済むのか、正直、よくわからないんだ。


イスラム化するヨーロッパ(新潮新書)

イスラム化するヨーロッパ(新潮新書)