いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『花束を君に』と『恋をしたのは』

anond.hatelabo.jp
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このふたつのエントリを読んで。
あのとき、何か自分にできたことがあったのではないか、あれは自分のせいだったのではないか……
そういうことが、僕自身のこれまでの人生のなかにも、いくつかあります。
いや、細かいことまで入れたら、「いくつか」どころじゃないんだけれど。
そういう後悔とか自責の念って、そう簡単に乗り越えられるようなものじゃない。
というか、僕の場合は、それをずっと抱えながら生きている、というよりは、生活のなかのふとした瞬間、夜眠ろうとして目を閉じたときや、映画館で予告を観ているときなど、ひとりになったときに、唐突にそのことが頭に浮かんできて、「うわーーーっ」としか言いようのない気分になることがあるのです。
歳月によって、その頻度は減ってきたけれど、なかなかゼロにはなってくれない。
僕自身も、「そういうものだ」というのがわかってきたところがあって、「それ」がやってくると、布団から離れて本を読んだり、目の前のスクリーンを眺めながら、「スプリンターズSは何が来るかな……」などと、嵐が過ぎ去るのをひたすら待つのです。


こういうのは、誰が悪いとか、誰の責任だとか、そういうふうに割り切れるものではないし、答えなんて誰も持っていない。
僕は自分の両親の子どもであるのと同時に、今は、2人の子どもの父親でもあります。
そんななかで、自分がそんなに立派な親ではないし、いろんな「よくないところ」を子どもたちに見せてしまっている、という自覚もあります。
たぶん、「良い親」って、「この人たちは幸せなんだな」って子どもが思える、そんな存在でさえあれば良いのだと思う。
でも、こんなわかりやすいことを、実行するのは本当に難しい。


ランディ・パウシュさんという人がこんなことを仰っています。

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 僕は子供のころの夢についてくり返し語ってきたから、最近は、僕が子供たちにかける夢について訊かれることがある。
 その質問には明確な答えがある。
 親が子供に具体的な夢をもつことは、かなり破壊的な結果をもたらしかねない。僕は大学教授として、自分にまるでふさわしくない専攻を選んだ不幸な新入生をたくさん見てきた。彼らは親の決めた電車に乗らされたのだが、そのままではたいてい衝突事故を招く。
 僕が思う親の仕事とは、子供が人生を楽しめるように励まし、子供が自分の夢を追いかけるように駆り立てることだ。親にできる最善のことは、子供が自分なりに夢を実現する方法を見つけるために、助けてやることだ。
 だから、僕が子供たちに託す夢は簡潔だ。自分の夢を実現する道を見つけてほしい。僕はいなくなるから、きちんと伝えておきたい。僕がきみたちにどんなふうになってほしかったかと、考える必要はないんだよ。きみたちがなりたい人間に、僕はなってほしいのだから。
 たくさんの学生を教えてきてわかったのだが、多くの親が自分の言葉の重みに気がついていない。子供の年齢や自我によっては、母親や父親の何気ない一言が、まるでブルドーザーに突き飛ばされたかのような衝撃を与えるときもある。


(中略)


 僕はただ、子供たちに、情熱をもって自分の道を見つけてほしい。そしてどんな道を選んだとしても、僕がそばにいるかのように感じてほしい。


 そうだよなあ、と僕は思っていました。
 親になってみて痛感しているのは、「子どもがいまやりたいこと」と「子どもが人生でやり遂げたいこと」は、必ずしも一致するものではないし、「いまやりたいこと」をやるだけでは、「ないたいもの」にはなれないのではないか、ということなのです。
 親は子どもの言うことを聞かず、いろんなものを押しつけてしまう。
 どこまでが「子どもの人生のため」で、どこからが「自分の人生への復讐」なのだか、わからなくなってしまう。
 自分ができることはできるはずだと思ってしまうし、できないことは、できるようにしてやろうとする。
 自分が子どもだったことにはわかっていたはずの「ボーダーライン」みたいなものが、「責任」というプレッシャーで覆い隠されて、見えなくなる。


 結局のところ、誰が悪いとかそういうのではなくて、みんなそれなりに懸命に生きるしかなくて、そこには、その結末があるだけで。
 でも、その結末を他人事にはできない。
 悲しいとか悔しいとかいうのと同時に、「これで、自分は周囲からどう見られるのだろう?」という不安もある。
 僕だって第三者としてなら、「何かあったから、そういうことになったんだろうな」と想像してしまうから。
 そして、そんな利己的な自分を、また自分で責める。どんどん、沈んでいく。


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『洋子さんの本棚』(小川洋子平松洋子著/集英社)という本のなかに、こんなやりとりがありました。

小川洋子河合隼雄先生とお話しした時にうかがったのですが、病や心の苦しみを抱えてカウンセリングに来る人たちは、自分の身に起こったことを必然にできない。いろいろな過去を、これは起こるべくして起こったとは思えない。後悔を昇華できないんだそうです。


平松洋子そうしてあの時にこういうことをしちゃったんだろう、どうしてあの時にこうしかできなかったんだろうということに、とりこまれていくということですね。あの身を苛まれるような苦しさは、逃げ場がなくてつらい。


小川:すでに起こってしまったことを、あれは必然だった、必要なことだったと思うためには、自分にある意味嘘をついて、物語にして昇華しないといけない。それが出来ないと病んでしまうんですね。


平松:ただ、あれは必然だったと自分の中でおさめていくにも、やはりエネルギーが要る。認めていく、肯定していく力。それを生きる力と言ってもいいのだけれど、何か前に向かっていく力を持つことは大事ですよね。自分をせいぜい、たかだかだなと思いつつ、まだ自力でわかっていない、何か知らないものがあるんじゃないかと目を向けていく。自分ひとりで出来ることって本当に限られていると思うので、そこで誰かと一緒にいてもいいし、仕事でも何でもいいんですけど、そうすると自分の中に自分でも思っていなかったようなものがふっと開く瞬間がある——生きる力って、出会う力でもありますね。


 後悔は、そう簡単に「昇華」できるようなものじゃない。
 僕だってそうだ。
 ただ、この増田さん(「はてな匿名ダイアリー」の書き手)にとっては、宇多田ヒカルさんの『花束を君に』が、その「前に向かっていく」きっかけになったのだろう、とは思うのです。
 そして、こういう曲をつくって、誰かに聴いてもらうことが、宇多田ヒカルさん自身にとっても「生きる力」になっているのではなかろうか。
 思いを形にする、誰かに伝えようとする、という方法でしか、前に進めない人もいる。


 もちろん、これで増田さんたちの、つらい経験との付き合いが終わる、なんてものじゃないと思います。
 暗い衝動や発作に襲われることは、少しずつ頻度が減っていくとしても、これからの人生でもあるだろうし、こんなふうに自分「だけ」が幸せになっても良いのだろうか、っていうこともあるんじゃないかな。
 僕には、幸せになって、というより、生きているなかで、少しでも幸せだと感じられる時間の割合が長くなることを願っています、としか言えないのです。


 世の中には、こういうトラウマを抱えて生きている人がたくさんいて、でも、ほとんどの人は、それを他人には見せずに生きている。
 もしかしたら、「そんなの自分には関係ない」って人のほうが、少数派なのかもしれませんね。


 この宇多田さんのアルバムを聴きながら、やっぱり、僕はアーティストの楽曲を「その人」の背景抜きでは聴けない人間なんだな、と痛感しています。
 というか、同じ曲が宇多田ヒカル以外の人の手によって創られて、歌われていたら、どう感じただろう?
 いや、今の宇多田ヒカルじゃないと創れない曲なのだから、その想定は無意味、なのかな。
 そして、言葉だけでは陳腐になってしまう、素直に受け入れづらいことを伝える力が、音楽やゲームに加工されると生まれてくる。

 
 少し話は変わるのですが、映画『聲の形』を観に行ったとき、エンドロールで流れるaikoさんの曲『恋をしたのは』、というか、aikoさんの声を聴いていたら、なんだかすごく泣けてきて、自分でも驚いてしまって。
 ものすごく良い曲、と感じたわけじゃないはずなのに、なんだか、すごく沁みたんですよ。
 大ファンというわけではない僕にとっては、どの曲も同じように聴こえるaikoさんなのですが、「ああ、こうして心地よく時計の針を進めてくれるBGMみたいな曲って、貴重なのかもしれないな」って、思ったのです。
 aikoさんは、自分の役割みたいなものを考えてああいうスタイルの音楽活動をしているような気がします。
 『カブトムシ』『三国駅』とか、じっくり聴くと本当にすごい曲なんだけど。
 宇多田さんとaikoさん、どちらかが正しいとか必要・不必要じゃなくて、どちらにも必要とされる場面がある。


 なんというか、「結論」なんて出さなくてもよくて、「やりすごす」こと、「ただ日常を生きる」ことが正解に近いような気もしているのです。


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Fantôme

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恋をしたのは(初回限定仕様盤)

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こちらは随時更新中の僕の夏休み旅行記です。
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