いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「本を捨てる」ということ

現在、大変心苦しい作業をしている。
本を捨てなければならないのだ。
3年に一度くらい、仕事の都合による住環境の変化に伴って、だいたい1000冊くらい処分することになるのだが「残すのは段ボール一冊にしてくれ」と厳命されているので、どれを残すべきか、大変悩ましい。
しかし、ものが捨てられない人間だった僕も(どのくらいかというと、昔の『ファミ通』が捨てられず引っ越しの際に全部持っていったくらいだ)、最近は少しは思い切って本を処分できるようになった気がする。
ひとついえるのは、感想を書いてしまった本は、なんとなく僕のなかでは「全うした」気分になるので、処分しやすい、ということだ。
その一方で、「これ、良い本だったよなあ……」なんて、しんみりしてしまうこともあるのだけれども。


僕も長年本をたくさん買ってきて、処分する基準というのがだいぶ変わってきた気がする。
以前は、とにかく「好きな本、気にいった本から残す」という方針だったのだけれど、今は「また読みたくなったら、すぐに買えそうな本」は、自分のなかでの評価にかかわらず、処分するようになった。
そもそも、Amazonがあれば「ここで手放したら、もう二度と会えないかもしれない本」というのは、そんなにありはしないのだ。
僕は古書収集家でも、珍しい本を追い求めているわけでもない。
それなりにメジャーで、それなりに売れている本を読むために買っている。
そういう人間にとっては、Amazonは巨大な書庫のようなものだ。
いや、買うのは時間もお金もかかるんだけれど、それでも「いざとなったら買えるさ」と自分に言い聞かせると、なんとか「処分する」のほうに分類することができる。


レア度×面白さ=保存優先度


これはこれでシンプルな式なのだが、それだけでは、やはり段ボール一冊に減らすは無理だ。
そして、本を眺めていると、つい考えてしまうのだ。
ああ、この本を取っておいたら、いつか、ふたりの息子が将来読んでくれるかな、と。
戦争に関する本とか、生きづらさに向き合う本、ひたすら楽しい物語など、「父のオススメ本」みたいなのを残しておきたい、という衝動に駆られてしまう。
その直後、僕自身は父親の蔵書というものに、ほとんど手をつけたことがないことを思い出すのだけれど。


思えば、僕の父親は医師会雑誌とかを眺めては「へえ、この開業医の先生のところ、娘婿募集、年収2000万円保証だってよ」みたいなことをつぶやき、水戸黄門を眺めている姿しか記憶にないし、母親もたまに流行りの小説を手にとるくらいだった。
家には誰も読んだことがないような『日本文学全集』が、立派な本棚に入って、埃まみれになっていた。
僕の両親は、「文学全集をセットで買うこと」が教養につながると信じていた人たちの時代を生きてきたのだ。
そんな両親から、なんで僕のような内向的で本を読むことで休み時間をやりすごすような子どもが生まれてきたのか。


まあ、親が読ませたい本など、子どもは読みたくないよな、と思いつつ、『夜と霧』くらいは、と「保存リスト」に入れておくことにした。
縁があれば、息子は息子でいつか自分でこの本を買うような気もしなくはないが。


僕も最近読む本の半分、あるいはそれ以上が電子書籍になっている。
というか、そうでなかったら、本の整理にこの2倍もの時間がかかることになっていただろう。
電子書籍は便利だ。
どこででも、電波さえ届けば、すぐに新しい本が手に入れられる。
長年、バックパッカーたちが受け渡してきた「シルクロードを何往復もした文庫本」みたいなエピソードは、今ではもう流行らない。
電波さえ、つながればいいのだ。
だが、その一方で、本を共有するという点では、紙の本ほど簡単ではない。
いくら親しい人でも、自分のスマートフォンを何時間も誰かに貸しっぱなしにするのは難しい。
電子書籍だったら、ちょっと恥ずかしいような本でも平気で買えるし。
電子書籍のおかげで、蔵書というのは、属人的、個人的なものになった。
「親の本を書棚から抜き出して、こっそり読む」みたいなことは、電子書籍では起こらない。
ただ、Amazonのことだから、そのうち「家族間での電子書籍共有サービス」くらいは、近いうちに実現しそうなものだ。


本の山をみていて、思う。
よく読んできたものだ、そして、読んだはずで、付箋もついているのに、内容をあまり覚えていないものだな。
本をたくさん読めば読むほど賢くなるかというと、必ずしもそうではない。
同じジャンルのなかでの、微細な違いみたいなものがわかるようになるくらいだ。
そういう能力は、普通の生活にはまず役に立たないし、お金にもならない。
それを得るために必要なコストに比べて、メリットは小さい。
そして、どんなに本を読んでも、僕が死んだら、それで終わりだ。
すでに、ものすごいスピードで読んだ本のことを忘れ始めてもいるし。


それでも、僕は本を読み続けている。
勉強したいから、とか役に立つから、ではなくて、そうせざるをえないから。
本の山を眺めていると、自分が失ってきた時間の墓標が目の前に並んでいるような気がしてくる。


夜と霧 新版

夜と霧 新版