いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

尾木ママのブログに感じるのは「暴力性」よりも「無邪気さ」や「無防備さ」なのです。

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あの置き去り事件については、問題をある程度切り分けて考えたほうが良いのではないかと思います。
親があんな場所に(短時間のつもりだったとはいえ)置き去りにしたことは悪いことだし、もしアメリカなら、児童虐待で逮捕されていたでしょう。


matome.naver.jp


とはいえ、僕の感覚では「あそこまでやっちゃいけないのはわかっているのだけれど、その前にやっていたという「人や車に石を投げるという行為」にカッとなってしまった親の気持ちも理解はできるのです。
そりゃ、怒るよなあ、7歳とはいえ、そのくらいの分別は持ってほしい、と思うよなあ、って。
だから、置き去りにしていい、というわけではないのですが。


この「尾木ママのブログが大炎上」というのをみて、なんとも言えない気分ではあるんですよね。
実際のところ、行方不明になってから6日間も手がかりがなく、あれだけの人が捜索し、警察犬を連れてきても反応なし、手がかりも全く見つからず、報道によると、親の証言もあいまい、ということで、僕も内心、「これ、本当に『置き去り』なんだろうか……」と思うようになっていました。
ネットでは「家宅捜索したほうが早いんじゃないか」なんて書き込みも少なからずあって、それに「イイネ!」がたくさんついていたのです。
世間話的にも「見つかるといいけど……なんか怪しいね」と口にする人がたくさんいました。
僕も「あの両親がそんなことするわけないだろ!」と反論したりはせず、「そうだよね……」と軽く首肯していたのです。


もちろん、思うだけ、身近な人と世間話として疑いを表明するくらいで、罪に問われるわけではありません。
状況から考えたら、そういう意見が出るのも、致し方なかったと思う。
僕はあの男の子が見つかって、「今の科学捜査っていうのも、そんなにアテにならない場合もあるんだな」と感じました。監視カメラもNシステムもないところが、日本にもたくさんある。
まあ、だからこそ、「わざわざあんな人けのない場所に置き去りというのはおかしい」という推測も生まれてくるわけで、なんでも悪意に解釈しようとすれば、キリがなくなってしまいます。


僕は尾木さんが「信じてあげられなかったこと」については、責められないと思うんですよ。
だって、僕自身、疑いの気持ちを抱いていたのだから。
ブログで尾木さんに罵声を浴びせている人たちだって、「ちらりとも疑ったことはない」のだろうか。


要するに、この問題は「尾木さんが自分の影響力も考えずに、自分の思ったことをブログに書いて、親への悪印象を広めてしまったこと」は責められるかどうか、という話なんですよね。
「親が置き去りにしたのが真実かどうか、失礼ながら疑ってしまいます」という「推測」を書くのは、有名な教育評論家であり、社会的影響力のある人物として「適切」なのかどうか?


逆に「名無しさん」が、「家宅捜索しろよ」と書くのは、「影響力が少ないから」許されるのか?


そして、7歳の男の子が奇跡的に発見された際、疑うような発言をした人は「喜ぶより親に謝罪しろ!」と責められるべきなのか?


少なくともこれは、刑法で規定されているような「犯罪」ではないと思うのです。
尾木さんも「みんな同じようなことを言っていたのに」って気持ちはあるのではなかろうか。


ameblo.jp

このエントリを実際に読んでみると、僕はあんまり違和感がなかったというか、あの当時、リアルタイムで多くの人が感じていたことが書かれているだけなんですよね。両親が云々というより、なんでこれだけの捜索をしても見つからないのか、という疑問がメインです。
コメントも、少なくとも発見前に「こんなことを書くんじゃない」というものはなさそうです。
(ただし、アメブロなので、コメントがフィルタリングされている可能性はあります)


ameblo.jp

この発見後のエントリのコメント欄をみても、あんまり酷いコメントはなさそうなので、おそらく実際にはかなり厳しいものがたくさん来ていたのを、アメブロの担当者が「調整」していたんでしょうね。


僕は尾木さんのブログって、これまで見た記憶がないのですが、これだけ高頻度に更新されていることに驚きました。
本人ではなく、本人のコメントを元にスタッフが更新しているのかもしれないけれど。
そして、7歳の男の子について何度も言及していて、心配していたんだなあ、というのも伝わってきます。
少なくとも、多くの人が話題にして、拡散したからこそ、大規模な捜索が行われ、あの時点での発見につながったのではないかと思います。というか思いたい。


けっこう難しいよねこれは。
「社会的影響力がある教育評論家」だからといって、この程度の「疑い」を自分のブログで表明することすら許されないのか?
「嘘を事実のように書く」のはアウトだけれど、「疑いを抱いてしまっていること」も表に出してはいけないのか?
でも、もしあの男の子が見つからなかったら、「尾木ママも疑っていた」ということで、両親へのバッシングを加速させるきっかけになっていたかもしれない。


今回の件に関しては、僕も「見つかった!」というのを聞いて、「本当によかった!」と嬉しくなりました。うちの長男と同じ年齢でもあり、子どもに苛立つこともある親としては、他人事とは思えなかったので。
生きていて、無事でいてくれさえしたら、取り返しがつく可能性は、十分にある。
そして、「疑ってしまっていた自分」を恥じました。
なんでも疑うのが「リテラシー」だと思いこんでいたのです。
ただ、やみくもに誰がか言ったこと、書いてあることを信じる、というのは、今の世の中では危険すぎる生き方であることも、事実ではあります。


今回の事件に対する世の中の反応って、日に日に「なんか疑わしい状況だよなあ……でも、それを口に出したり、ブログに書いたりするのは憚られるよなあ……」という感じになってきていましたよね。
息をひそめて、絶望的な「やっぱり!」っていうのを待ち構えていた。


結果的にそれは、最高の形で裏切られたわけです。
ただし、これはあくまでも「ものすごい幸運」であり、再現性を期待すべきではないでしょう。
それは、あの一家だけではなく、僕も肝に銘じなくてはなりません。


尾木さんと同じことを考えたことが無い者だけが、尾木さんに石を投げよ。


ただ、尾木さんも「実際にこうしてブログに書いてしまったこと」には責任がありますよね。
発信することによって恩恵を受けている人は、それに伴う責任も負うべきでしょう。
テレビ番組のなかで謝罪したということなので、僕としては、尾木さんをこれ以上責めてもしょうがないんじゃないか、と思うのですけどね。
「発言力」がある人は、やはり、用心はすべきなのでしょう。
熊にとっては「ちょっとじゃれてみた」だけでも、相手が人間なら、命を奪いかねません。
そういう「力の不均衡」というのが当事者にとっては自覚しにくいのが、ネットの世界ではあるのです。


ただ、これによって尾木さんにはイメージダウンというデメリットがあるわけだし、尾木さんが支持されているのって、こういう「脇が甘くても、思ったことを言葉にしているから」なんだよなあ。


今回、尾木さんのブログを読んでいて、「なんかいろんなことを適当に書き散らかしていて、あんまり発言の責任とか意識してなさそうだなあ」とも思いました。
尾木さんは、いま69歳だし、ネットリテラシーとか言われても……
尾木さんのブログには、「暴力」というより「無邪気さ」「無防備さ」が目立つのです。
だからこそ、危なっかしく感じるのです。
周りの人は、もうちょっと尾木さんのネットの使い方について、考えてあげたほうが良いのではなかろうか。


でも、こんな内容のブログに触発されて、両親を責める人がそんなにいるとも思えないんだけど。
(もともと責めたかった人が「便乗」することはあっても)
いまのネットユーザーというか国民は、そんなにバカじゃないと思うぞ。


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