いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「こんなクズ産むんじゃなかった」と投書したお母さんに、岡田斗司夫さんの「逃げなさい。さもなければ、母を助けなさい」を思い出した。

togetter.com


 これ、昨日見つけて読んで、このお母さん、この家庭は、どうすればいいんだろうな、って、考えていたのです。
 率直に言うと、「これ、もう詰んでいるんじゃないか」とも思いました。
 この大学教授の回答って、たしかに正論なのです。
 「お母さんは『あんたなんか生むんじゃなかった』なんて言うべきではない」し、「即刻、心と態度をあらためるべき」ですよね。
 でも、この相談内容を読み返してみると、お母さんの側も
「一時は、息子の人生は息子が決める、私は明るくしてさえいればいいと、自分に言い聞かせていました」
って仰っていて、このお母さんは「理性の欠片もない、憎悪に凝り固まった鬼母」じゃなさそうです。
 自分自身を客観視できるくらいのインテリジェンスはあるし、今の状態は良くないとわかっているのだ けれど、「その場」になると、自分をコントロールできなくなってしまう。
シングルマザーで経済的な負担と家事の負担を一手に引き受けていて、報われるところがないことに疲れている、子どもも言うことを聞いてくれないし、両親からは責められるし……という感じなのではなかろうか。
 だからといって、子どもにこんな罵声を浴びせるのが許される、というものではないけれど。


 清原選手が「悪いとわかっていても、覚せい剤をやめられなかった」のと同じような構図なのかな、と。
 息子さんがスマホゲームにハマっている(ように見える)のも、「そうやって自分を殻に閉じ込めておかないと、外界があまりにハードすぎるから」なんですよね、たぶん(単純に、ゲームが面白い、というのはあるのかもしれないけれど)。
 中3で、家に帰るとそんなふうに責められる毎日では、ゲームの世界に籠もるしかなさそうではあります。
 まさに悪循環。
 でもまあ、中学生が家でスマホゲームばかりやっているというのは、家でファミコンばかりやっていた 中学生だった僕には、あまり責められない話ではありますね。


 「親が子どもを愛せない」という事例は世の中に少なからずあるというか、僕も「自分の血を分けた子どもなんだけど、なんか苦手」という話を、何度か聞いたことがあるのです。
 「子どもが自分に似ているところがある」のは、親近感を抱く理由になるのだけれど、嫌悪感を生むこともある。
 「とにかく、自分の子どもがかわいくてしょうがない」という親もいれば、「自分の子どもなんだから、かわいいはず、かわいいと思わなければ!」と理性による底上げを必要とする親もいるし、「自分の厭なところを見せつけられているようでかわいくない」という親もいる。
 なかには、「かわいい」と「憎らしい」をジェットコースターのように行ったり来たりする親もいる。
 というか、「かわいいけど、いろいろ大変なことも多い」というくらいの親がいちばんの多数派ではなかろうか。


 困ったことに、こういう「子どもを愛する才能に乏しい人」だからといって、子どもをつくらないとは限らないし、子どもが生まれてみないとわからない、ということもあるのです。


fujipon.hatenablog.com


 これは母親にかぎったことでもなく、父親側にもいえることで。
 僕自身、もっと良い親になるはずだったのに……と反省することばかりです。


 この事例の場合、乳幼児ならともかく、もう中3まで大きくなってしまったのであれば、とりあえず「ご飯を食べさせ、学校に行けるように経済的に支える」のと、「自分の思い通りにはならないということを受け入れ、反社会的行為以外は、諦める」というくらいしか無いのではなかろうか。


 もしかしたら、この投稿は「釣り」かもしれないのですが(母親の自分に対する見方が、あまりにも客観的すぎるような気がするので。でも、それはもしかしたら、この母親自身が発達障害だから、なのかもしれません)、こういう家庭って、少なからずあるからこそ、こうして話題になっているのではないでしょうか。


 こういうのを読んで、「親失格!」「プリントアウトして精神科へ」って言うのは簡単だけれど、明るくて円満な家庭環境で育った人って、そんなに多くはないような気がします。
 どんな家庭にも、内側に潜り込んでみれば、多少の瑕疵はある。
 あくまでも僕の観測範囲だけれど。


topisyu.hatenablog.com


 このid:topisyuさんのエントリを読んで、「400字でまとめるとしたら、こんな感じだよなあ」と思いました。
 そして、ちょっと前にネットで話題になった、ある人生相談のことを思い出したのです。


[悩みのるつぼ]父親が大嫌いです - FREEexなう。

逃げなさい。さもなければ、母を助けなさい。


 岡田斗司夫さんの回答が話題になった、この人生相談。


 あの愛人騒動以来、すっかり威信値が下がってしまいましたが、岡田斗司夫さんの「悩み相談マスター」っぷりには、僕も感動したものです。

d.hatena.ne.jp

 共感のコツは相談者と”同じ温度の風呂に入る”ことにあります。

 恋愛で悩んでいるとか、借金のことで困っているとか、いろんな悩みがありますよね。

 その時に、ついつい僕たちはその相談者と”同じ温度の風呂”に入らないんです。

 その人が熱くて困ってるとか、冷たくて困ってるといっても、自分は服着て標準の温度で快適に過ごしながら、つまり安全地帯から「こういうふうにすればいいよ」と忠告してしまう。

 とくに男性はこれをやってしまいがちです。女の人が男性相手に相談をすると、ムダに疲れてしんどいというのをよく聞きます。

 というのも、男性はすぐに回答を出そうとする。

 僕と同じで、役に立とうとするあまり、その人に対していま自分が言える一番論理的で、行動可能で、こういうふうにすれば状況が改善されるのにといった指針を、手早く言おうとしすぎるんです。

 結論だけじゃダメなんです。それよりもっと前の段階で、「相手と同じ温度の風呂に入る」これが結論です。


 いやほんと、これは大事なことだよなあ。
 岡田さんの場合は、相談者の女性と「身体的にも同じ風呂に入ってしまった」のが、やりすぎだったわけですけれども。


 そもそも、この最初のお母さんの相談って、この「父親が大嫌いです」に似ているんですよね。
(もしかしたら、冒頭の投稿は、この「父親が大嫌いです」が元ネタの「釣り」かもしれませんね)


 どうしても好きになれない、うまくやれないのを、どうしたら良いのか?


 この新書で紹介されている、岡田さんの「人生相談テクニック」の数々は、かなり具体的に「用法」が書かれています。
 「精神論」や「概念」じゃなくて、すごく「実践的」なんですよ。

 あんがい簡単なんです。相談文の中で”解決可能な問題”はどれだろうかと仕分けしてみれば、すぐわかります。

 深い悩みに落ち込んだ場合や、「もうどうしようもない」というジレンマに陥ってしまった場合、僕がいつも使う方法を紹介しましょう。

 その悩みを、三つに分けるんです。


1 今すぐ「私が」手を打たなければならない問題

2 年内に「私か誰かが」手を打たなければならない問題

3 「人類が」いずれ解決しなければならない問題


 この三つです。

 たとえば「どうして人は争うんでしょう」という悩み。これだって立派な悩みです。

 でも、これは人類が手をつけるべき問題であって、「今後100年の間に解決すればいいな」という類の問題なんですね。

 それとは反対に、「どうやれば来週のローンの支払いができるでしょうか」という問題。これを解決できるのは「私」だけ。そして期限も決まっている。

 これは「今すぐ考えるべき問題」なんです。

 岡田さんは「悩み」って、この3つのフェーズが入り混じって、問題を大きくしている場合が多いと指摘しています。


 このフェーズに沿って解析してみると、「子どもを愛するようにしなさい」というのは、人によっては「3」にあたるのです。
 「人間なら、何があっても、自分の子どもを愛するべきだ」というのは、「理想」であって、「目の前にいる人間への現実的な解決法」ではない。
 「愛しにくい」のであれば、なるべく自分自身の精神状態に余裕を持つようにして、「苛立ちや不快を行動に出さないようにする」しかない。


 僕の考えでは、このお母さんにとっての「1」って、「子どもに苛立ち、キツく言わなければならないくらい、自分が精神的に追い詰められていることを自分で認識すること」だと思うのです。
 そして、そのことを、子どもや両親に、ちゃんと伝えたほうが良いのではなかろうか。
 仕事も家事も忙しいとは思うのだけれど、両親がいて、子どもも高3、中3であれば、このお母さんが「家庭から離れる時間」をつくるのは、けっして不可能ではないはずです。
 お金を渡しておけば、勝手にピザをとったり、コンビニ弁当食べたりしますよ。
 自分で「嫌だ」と感じているものに固執して、さらに自分自身と相手の傷を深めているように僕にはみえるので、外界と接する風穴を開けることが必要ではないかな。
 それは趣味のサークルでもいいし、仕事帰りに映画1本観るだけでもいい。
 「うちの子もそうだよ」って誰かに言ってもらえるだけでも、少しはマシになると思う。
 家に居て罵声を浴びせてくる母親よりも、お出かけして機嫌良く帰ってくる母親のほうが、子どもにとってもありがたいはず。
 

 まあ、こんなことを偉そうに書いていますが、僕自身も仕事とか家庭のことについては、他人にあれこれ言えるようなものではありません。
 もっと自分の時間が欲しい、とか、つい考えてしまいます。
 もっと笑顔あふれる家庭をつくるはずだったのに、と、自分がイヤになることもあります。
 というか、そんなことだらけで。


 でも、そんななかで、少しでも良くなれば、マシになれば、とは思うのです。
 やっぱり、なかなかうまくいくものでもないんだけどさ。


 親っていうのも、子どもっていうのも、つらいよね。
 「本当につらいときには、逃げろ」って言うけどさ、逃げ場や逃げるべきタイミングなんて、その場にいると、なかなか判断できるものじゃないし。


 ただ、こうして新聞に投書できたというのは、それだけで、「問題解決に一歩踏み出した」とも言えるのです。
 だから、このチャンスを、なんとか活かしてほしい。
 自分のやりきれなさを、次世代にぶつけるという負の連鎖を、ここで断ちきってほしい。
 育児というのは、引きこもりなどの状況でなければ、いつかは終わるものだし、このお母さんの場合、もう少しで一区切り、というところまで、来ているのだから。


オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)

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