いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「会社をやめて、ブログで食べていこう」と思っている若い人たちへ

ネットを回遊していると、ときどき、「会社をやめて、これからはブログで食べていこうと思います」と宣言する若者たちを目にします。
個人的な利害関係があるわけじゃないので、「ああ、頑張れよ」と思うくらいなのですが、彼らに対して、ネット上では逆風が吹き荒れることが多いんですよね。
僕は彼らに「危うさ」を感じる一方で、そういうのが新しい生き方のひとつであり、それで食べていけるという選択肢が世の中にあるほうが、生きやすいのではないか、とも思っています。
若いうちであれば、何かやってみてうまくいけば万々歳だし、失敗しても、「それもまた経験のひとつ」として今後に活かせるところもあり、ブラック企業、あるいは「どうしても自分に合わない場所」にしがみついているよりはマシなんじゃなかろうか。
でもなあ、そうやって「理解のある大人」であろうとしながらも、僕のなかには、なんだかすごくモヤモヤとした感触が残っていたのです。


最近『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方』……という本を読んだのですが、その中で、、モヤモヤしていた部分がけっこうクリアに言葉にされていたんですよね。

 職業選択の際に、誰もが気にする自分自身の将来の年収について。実はこれは職業を選んだ時点でだいたい決まっているのです。それは選んだ職業の年収が一定の幅で決まっているからです。「え? ホントかいな!」と思う人もいると思いますが、市場構造が一定であるならば、その市場にいる人の収入も「ある一定の幅」で決まってしまうのです。
 例えば、あなたがうどん屋の主人になったとします。競争力のあるうどんの単価、店舗のキャパシティー、原材料費、店舗にかかる諸費用、従業員人件費など、それらの相場は好き勝手にコントロールできないことがほとんどで、市場構造やビジネスモデルによってあらかた決まってしまっているのです。
 売上から費用を引いた後に残る資金から得る主人の年収も、最初からだいたい決まってしまっているのです。決まっていないのは「どの程度うどん屋として成功するか失敗するか」による上下幅の着地点です。成功したうどん屋の客単価と客数が想定できるので、うどん屋の大将の年収の上限も容易に試算することができます。逆に、失敗したうどん屋の大将の年収がどうなるか、リスクも予め試算することができます。うどん屋の大将の年収は「ある一定の幅」が最初から決まっていて、成功から失敗までのシナリオによってその幅の中のどこに定まるかが決まります。
 これはほとんどの職業においても当てはまります。市場構造やビジネスモデルが何かの理由で大きく変わらない限りは、その職業の収入の上下幅はだいたい決まっています。



この本の著者は、かなりワーカホリックというか、「自分の特性と職業をうまくマッチングできた稀有な人+ものすごく能力もある」ので、真似するのは難しそうなんですけどね。
ただ、この「職業選択というのは、少なくとも自分の収入の範囲を決めてしまうものである」ということは事実です。「そんなの言われなくてもわかってる」って思う人も多いかもしれないけれど。
大学生くらいで、「ブログの収入が月100万円」って聞くと「すごい、うらやましい!」って思いますよね。僕もそう思う。
でも、生涯収入レベルでいうと、若い頃に専門知識や技術を身につけて、経験を積んだ人と、ブログで仲間とわいわいやって、「こんな特別な自分」をアピールして広告収入を得た人とでは、前者のほうが圧倒的に収入の平均値は高くなるはずです。


「自分というキャラクターを売り物にしたブログ飯」を職業にしてしまうと、収入的な天井って、イケダハヤトさんとかはあちゅうさんのような「年収数千万レベル」が「天井」なんですよ。世界的には、もっと稼いでいるユーチューバーとか、いるみたいだけど。
そして、稼ぎ続けるためには、炎上するような発言を繰り返す「鋼鉄のメンタル」が必要だし、セミナーとか情報商材的なものを売る「ライフスタイルネズミ講」に手を染める人もたくさんいます。
それでも、10年、20年と食べていくのは難しい。
だからこそ、先駆者たちは、「芸能人化」して、タレント活動や著書の出版、講演で安定収入を目指しています。
そういう枠は、そんなにたくさんはありません。
先駆者たちはまだ若いし、メディアも「イケダハヤトの劣化コピー」なんて要らないはず。


考えてみてほしいのは、あなたが本当に求めているのは何か、ということなんですよ。
ブラック企業を辞めたい、今の会社にいると、もう心がヤバい、のであれば、ブログで食べていけるかどうかはさておき、退職するというのは致し方ない選択です。むしろ、そうするべきでしょう。
あるいは「組織のなかで働くのが、どうしても合わない、このままでは自分自身を致命的に傷つけてしまいそうなほど追い詰められている」というのも、緊急避難的に会社を辞めるべき事例です。


「自分の可能性を試したい」のであれば、何か自分のセールスポイントにできるような専門性を持ってから、それを武器にフリーランスになることをおすすめします。
これはもう、年齢に関係なく。
いまの世の中、若い人でも経験と実績」を持っている人はいるし、その逆の場合もあります。


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東大を出て官僚として人脈みたいなものを築いていた人でも、その「背景」を失えば、仕事を貰うのも大変だったみたいです。
「自由」になって、やりたいことをやるはずが、稼ぎがなく、貯金も尽きそうになってしまって、結局、前の職場でやっていたことをスケールダウンしたような仕事で食いつなぐことになっています。
 

純粋に「自由な時間がたくさん欲しい」のであれば、僕が知る範囲でも、看護師の資格をとって、「1年の半分くらい仕事をして、あとは世界中を旅する」ことは可能です。
医者でも、健診や当直のアルバイトを生業にすれば(いろんな面での社会保障が常勤よりもめんどうになるかもしれませんが)、それなりの収入で、自由な時間やまとまった休みを確保できます。
おそらく、「ブログ飯」よりも安定しているし、そんな働きかたでも、「プロブロガー」よりも平均収入は上です。


fujipon.hatenablog.com

ただし、これに書いたように、「向き・不向き」がある仕事なのも事実なので、万人にオススメできるものではありません。
僕も生まれ変わったら、もうやらないと思います。
今回の人生では、いまさら他のことをやろうとは考えていないけれど。


「稼ぐ」という観点からいえば、「ブログ飯」って、自分のライフスタイルやキャラクターを売りにしているかぎり、マイナースポーツで食べていこうとするようなものなんですよ。
どんなに突出した実力を持っていても、稼げる「天井」はそんなに高くはなく、稼げる人はごく一部です。
日本のメジャースポーツであるプロ野球では、とりあえず1軍に定着できれば、チームのファン以外にはほとんど知られていないような選手でも、数千万円くらいの年俸はもらえます。
もちろん、プロ野球選手になることそのものが「狭き門」なのですが。
 

僕はダメ医者で、この業界では低収入ですが、おそらく、日本の「専業作家」で僕より小説で稼げている人は、1000人もいないはずです。ごめん、ちょっと遠慮しました。おそらく、もっと少ないでしょう。
そもそも、専業作家で食べていける人は100人くらいしかいないのではないか、と言われています。
みんながなりたがる職業で、特別な資格や修業期間が要らないものって、それゆえに競争が激しく、仕事が安く買い叩かれやすい。
素晴らしい作品を書いている人でも、それに見合った報酬を得られないことが多い。
その「市場」(医療を「市場」と言ってしまうのは抵抗がありますが、この場では御寛恕を)の規模や収益構造が違うと、稼ぎの平均値は違うのが当然なのです。


24時間応召義務があり、負っている責任やリスク、常に電話の音におびえる生活を考えると、いまの収入が割高だとも思えないのですが、額面としては、やはり、それなりではあります。
「お金を稼ぐ」のが最大の目的であれば、「ブログ飯」というのは、いまや、小説家以上に競争が激しい割には安定性に乏しく、ライバルも多いので、専業ではキツいんじゃないかと思います。
楽しみながら稼げる内職的な副収入としては、悪くないけれど。
医療などの専門職が絶対に安定しているなどとは考えていませんし、おそらく近い将来、ロボットに取って代わられる仕事も多いはずです。
それにしても、Googleさんの気持ちひとつで変わってしまうよりは、仕事がなくなっていくにしても、ソフトランディングにはなるでしょう。


基本的には「ラクして稼ぎたい」はもちろん、「自由な時間がほしい」からといって、会社を辞めてブログで食べていこうというのは、かえって自分の首を絞める結果にしかなりません。
実際に、ブログで稼ぐことに成功している人たちって、ものすごくマメで、時間に追われながら情報を集め、更新していますから。
目立ちたい、チヤホヤされたい、という理由でも、競争は激しく、ネガティブな反応を投げつけられ、賞味期限が短いのを承知の上ならどうぞ、という感じです。
より若い人、新鮮な人は、次から次へと出てくるし、すでに実績がある人も、まだまだ若い。


「ブログ飯」が、どういう人に向いているかというと、とにかくブログを書くのが人生で何よりも好きで、お金にはこだわらない人、だと思います。
というか、「ブログが好きでたまらない、ブログさえ書ければ死んでもいい」か、「組織で働けない事情を抱えている」のでなければ、早まらないほうがいい。
ブログだって、なんらかの専門的な知識や実績を持っている人のほうが、圧倒的に見てもらいやすい。


この話、よく例に出すのですが、ナイツの塙さんが『怒り新党』の関係者による花見の様子をブログに書いたら、アクセスが22万あって「有名人ランキングで88位」だったそうです。
 (彼らにとっては)職場の花見の他愛もないような話で、22万!
しかも、「有名人ランキング」には、22万より上の人が、87人もいるのです。
ブログで有名になるよりは、有名になってからブログをやったほうが早いんじゃないか、とさえ思えてきます(もちろん、そんなに簡単に「良い意味での有名人」になれるわけないんだけど)。


会社をやめる前に、もう一度、本当に自分が望んでいるものについて、考えてみてください。
最優先事項が「もっと稼ぎたい」とか、「もっと自由に生きたい」のであれば、もう一度考え直してみたほうがいい。
むしろ、「ポジティブにみえる動機のほうが、ヤバい」のです。
理想と現実のギャップに苦しむ可能性が高い。
いま勤めている会社や職業との相性が悪くないのなら、それを続けながら「収入アップ」や「自分の時間をつくる」ようにするほうが、ラクだし、うまくいくはずです。


ただ、世の中には、本当にブログで稼いでいる人がいるのだ、というのを最近になって知りました。
僕には、それが見えていなくて、「ブログ飯」の人たちを内心嘲っていたのです。
彼らは、「自分のライフスタイルやキャラクター」ではなくて、「自分が持っている情報」を売っています。
人間、有料Noteには500円払うのにもためらいますが、本当に自分にとって大切な情報には、金に糸目をつけないところがあるのです。
今の僕なら、「より条件が良い職場を探してくれるエージェント」や「自分や家族にとって有利な資産運用をしてくれる人」、あるいは、そういう人とのつながりをつくってくれる人には、それなりの対価を払います。
そういう場合、「信頼できる人からの紹介」というのが一般的だし安心なところもあるのですが、転職とかの場合は、知人の紹介だと、やりづらい場合もありますし。
 

「有益な情報を、本当にそれを必要としている人に」
それができているブログで、かなり稼いでいる人が少なからずいるのです。
その管理人たちの「素顔」は、ほとんど見えないのだけれど。
というか、わざわざ自分のキャラクターを売りにする必要もないのだし。


なんで僕はこんなエントリを書いているんだろう、と思いながら、ここまで書いてきました。
ひとつは、自分自身の曖昧な野心みたいなものにケリをつけたかった、というのがあります。
そして、ふたつめは、これまでの「会社をやめてブログ飯」という若者たちへのネット上での批判が、あまりにもいいかげんというか「自分がうまくいかなかった怨念を若者に投影し、どうせダメだと呪っているだけ」にみえて、うまく言葉にできていないと感じていたから、なんですよね。
「社会はそんなに甘くない」って多くの人は言うけれど、それは、僕自身も若い頃に言われて、「何それ」としか思えなかった言葉だったから。


先に死んでいく人間としては、「レベル1で、『ひのきのぼう』しか装備していないのに、ドラゴンと戦ってはいけないよ。レベルを10まであげて、『どうのつるぎ』を買ってからにしたほうがいい」というくらいは、言い残しておきたいのです。


めんどくさいオッサンで、ごめん。


fujipon.hatenadiary.com

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