いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「母の日」なので、忘れられない「親孝行」の記憶を遺しておきます。

「母の日」なので、母親の思い出を書いておく。
もう10年以上も昔の話で、僕がこの世からいなくなったら、この世界から消えてしまうはずの記憶だ。


当時、僕はまだ駆け出しの研修医で(今でもそんなたいしたものじゃないけれど)、救急部をローテーションしていた(あの頃、僕が所属していた医局では、内科にも、救急部ローテーションがあったのだ)。


当時、僕の母親はずっと体調が悪くて、実家と病院を行ったり来たりしているような状態だったのだが、その日、「朝から様子がおかしい」と弟から連絡を受け、実家に行ってみると、たしかに「普通ではない」状態だった。
うわごとのようなことをずっと言っており、話の辻褄があわない。
嫌がる母を救急車に乗せ、一時間かけて、僕が同乗して研修先の病院に連れてきたのだ。
このときは幸いにも治療が奏効し、次第に病状は落ち着いていった。


その日の朝、僕は母親の病室で仮眠をとっていた。
そこに、指導医の先生がやってきた。
なんだか、他の患者さんのことでバタバタしているみたい。


「先生、お母さんの採血してもらってもいい?」

「ああ、いいですよ」


見栄を張って、いかにも簡単なことのように返事をしたものの、身内の採血というのは結構緊張するものだ。
外科の先生は、「絶対に身内は手術しない」という人がけっこう多いと聞く。
やっぱり、平常心ではいられないから。


採血は、僕にとっては日常の仕事だったのだけれど、相手が母親というのは、ふだん接している患者さんとは異なるプレッシャーがある。
少し緊張しつつも、それを気取られないように、かなり細くなっている母親の肘の血管に針を刺した。


よかった、一回で成功した…


なんとか無事に採血を終えてホッとしていると、母親は僕に言った。


「お前、採血うまいねえ。全然痛くなかったよ」


本当に、痛くなさそう、というか、母は、なんだかとても嬉しそうにみえた。


僕の採血の腕は、褒められたものじゃない。
研修医時代は、採血に行かなければならない朝は本当に憂鬱だった。
ああ、また患者さんたちを不快にさせてしまうのだろうな、と。


痛くなかった、って……
身体に針を刺されて全然痛くない人間なんているわけないじゃないか。


僕は、うまくいって当然、というような顔をつくり(うまくできたかどうか、自信はないけれど)、病室を出て採血管を検査室に持っていきながら、涙が止まらなかった。


あれから10年以上経つのだけれど、このときほど医者になってよかった、と思ったことはその後もない。
もう嫌だ、やめよう、というのは、何度もあるのだけれど。


あんまり医者に向いてなさそうな僕がいままで仕事をしてこられたのも、あの言葉のおかげかもしれない、と思う。


あれはたぶん、僕の人生における、数少ない「親孝行」だった。


最後の授業 DVD付き版 ぼくの命があるうちに

最後の授業 DVD付き版 ぼくの命があるうちに

最後の授業 ぼくの命があるうちに (SB文庫)

最後の授業 ぼくの命があるうちに (SB文庫)

アクセスカウンター