いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「日本死ね」の人の年収と「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー」の憂鬱

togetter.com


この人の年収云々より、働きたいのに、子どもを預けられなくて働けないという状況が存在するほうが問題だと思うのだけど、結局「見えやすいものを叩く」ほうに行ってしまうのだな、と思いながら、これを読んでいたのです。


そもそも、あの書き込みをした人が誰かを確実に裏づける証拠も現時点ではないわけだし、「日本」が「殺害予告された!」と警察に訴えるということもありますまい。


年収がいくらだろうが、子どもは泣くときは泣くし、高収入だから放置しておいても大丈夫、なんて訳が無い。
中世の王侯貴族や現代の大富豪のように「乳母」とか「専用ベビーシッター」みたいな人がいるような大金持ちならともかく、世帯年収1000万円でも、どちらかが病気になったり、親の介護が必要になったら、一発レッドカードであることには変わりないはずなのに。


fujipon.hatenablog.com
人が働く理由のいちばん大きいものは「食べていくため」なのだけれど、それだけとは限りません。


以前、一緒に働いていた人に、こんな話を聞きました。

 私の友達は内科医なんだけど、ダンナの留学で、家族で地元から遠いところに引っ越したんだよね。
 そこで子供が生まれたんだけど、どうしても「普通に」仕事がしたいって。
 医者の世界って、仕事を離れると、最前線でやっていくことはどんどん難しくなっていくし、ここでずっと育児のために休んでいたら、みんなから遅れてしまうのが怖いって。
 それで、臨床医として、普通に病院に勤めていたんだけど、そうすると、夜間とか休日の緊急呼び出しもあるよね。
 いつも定時に上がれれば保育園に預けて、というのも可能なんだけど、夜の緊急呼び出しは、保育園ではどうしようもない。ダンナも忙しい科の医者だったから、夜も何時に帰ってくるか、いや、帰ってくるかどうかさえわからない。
 だから彼女は、仕事を続けるために、3件のベビーシッターと契約してたんだって。
 緊急時に預かってくれるというのも含めての契約なんだけど、1件だけだと、相手も事情で預かってくれないこともあるから、何らかのトラブルがあっても、どこかで必ず預かってもらえるように、3件。
 えっ、それはお金がかかったんじゃないか?って。
 もちろん。
 医者としての自分の稼ぎは、ほとんどそのベビーシッター代で消えてしまってたみたいよ。
 それでも働きたかったし、自分だけが仕事で置いていかれるのは、どうしても嫌だったんだって。


 こういう人だって、いるわけです。
 このやり方が正しいかどうかはさておき、ここまでやって「いま、働く」ことに生きがいを見いだしている人もいる。
 

 僕自身が経験してきた(とはいっても、妻に比べるとはるかに少ない時間ですが)「育児」に関していえば「子どもとずっと一緒にいる」というのは、離れて過ごす不安がない一方で、毎日そればかりだと、かなり気詰まりなものでもあるのですよね。
 ほんと、一瞬でも目を離すと、死んでしまうかもしれない生き物の責任を持つというのは、こんなにも「重い」ものだとは、自分が親になるまで実感できていませんでした。


 現状、緊急避難的な措置として、「子どもを預けなければ、食べていけない人」が優先されるのは、やむをえないと思う。昔みたいに、祖父母をアテにできる時代じゃないし。
 でも、そこで、「自分より少しだけ年収が高い」人をバッシングしても、一過性の快感が得られるだけで、世の中何も変わらない。
 「正体」とされている議員の「疑惑」については「なんだかなあ」と思うけれど、保育所の問題が、「言っていたのが、悪いヤツみたいだから」という理由でウヤムヤになってしまうとしたら(ならない、と思いたいけど)、誰がいったいこれで得をするのだろう。


d.hatena.ne.jp


この本のなかに、こんな記述があります。

 あなた方も容易に想像できるだろうが、主人の奴隷に対する態度より、奴隷同士のほうがはるかに暴力的だ。奴隷たちは常に地位の奪い合いをしていて、どっちが上だ下だと口論し、些細なことで侮辱されたと騒いでけんかをするし、それが単なるいいがかりであることも少なくない。


 人間の悪意は、より近くにいる人、比べやすい相手に、向かいやすい。


 バカみたい、と思うのだけれど、こんな偉そうなことを書いている僕自身も競馬場で外れたとき、近くでおっちゃんが「獲った獲った!」とはしゃいでいるのを目の当たりにすると、「オッサン、俺の金を取ったな!」って、内心舌打ちをしてしまうわけです。
 そんなのオッチャンだって総合的な収支はおそらくマイナスで、儲けているのは胴元の日本中央競馬会だけなんですよね。
 でもまあ、これに関しては、「そもそも馬券なんて買わなければいい」のも事実なので、自業自得だとしか言いようがないのですが。
 子どもは「イヤなら育てなければいい」というわけにはいかない。
 イヤなら生まなきゃいい、というのは事実なのだけれど、現実的には「つくるのは好きだけど、育てるのは苦手」という人はたくさんいるし、子どもが欲しかったし、生まれたときはハッピーだったけど、育児ノイローゼになってしまう、という人だっています。


 これは必要な政策なので、自民党が、民進党が、という綱引きに利用されるのではなくて、少しでも良い方向にいくように、協力して取り組んでいただきたいのです。



……と、綺麗事を並べていたら、こんなのを見かけてしまって。


anond.hatelabo.jp


「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー」か……
ネットでは、「正義」と「露悪」が二極化しやすいところはあるというか、極端なものが採りあげられ、目立ちやすいのは事実だと思うのです。


ちなみに、「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー」について検索していたら、こんなのを見つけました。
www.nhk.or.jp
NHKでも話題になっているので、それなりに一般的な言葉なのではないかと。

「メタとしては、“ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー”と“食人族”、ほんとうに野蛮なのは、いったいどっち? ということです」


ちなみに、“ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー”とは、
“インターネット上で社会正義の名のもとに、口舌の刃を振り回す人たち” のこと。

「正しい」ことは、人を追い詰める。
ある種のコンプレックスを刺激する。
d.hatena.ne.jp


東日本大震災後、僕が住んでいる西日本の地方都市でも、原発反対デモが行われていました。
老若男女が集まり、子どもを一緒に連れてきたと思しきお母さんたちが、太鼓を叩きながら「げーんぱつはんたーい!」と街を練り歩いていたのをみたとき、「原発反対派」だったはずの僕は、なんだかすごく居心地が悪かった。
その理由をずっと考えているのだけれど、いまだによくわからない。
彼らは僕の気持ちを「代弁」してくれているはずなのに。
自分にはできないことをやっている人たちへの嫉妬、みたいなものなのだろうか……


保育所について、「これは日本の問題」だと多くの識者は言うし、俯瞰すれば、そうだろうと思う。
でも、この増田さん(上の「匿名ダイアリー」を書いた人)は「自分には関係ない問題」だと言っています。
「人類やコミュニティの未来」なんてものを考えなければ(それは、ある意味「死後の世界」みたいなものでもある)、それは、たぶん正しい。
自分が死ねば世界は終わり、だと思えば。
この人だって、高齢になって身の回りのことができなくなったときに「自分の意思で野垂れ死にをする」ことができるかどうかはわからないけれど、そういう「介護」を人質みたいにするのも、あまり筋が良くないような気もするのです。


「地球が温暖化しているから、お前らは昔のままの暮らしをしろ」あるいは「オレたちの国でつくったものを買うだけにしろ」と言われたら発展途上国は怒るし、「もう日本は少子化高齢化でどんどん貧しくなっていくんだから、お前らは贅沢なんか期待せずに慎ましく暮らせ(俺たちはバブルのときにさんざん楽しんだけどな)」と言われたら、若者だって、「何それ」っていうのが本音じゃないかな、とは思う。
その「断絶」を埋めるのは難しい、というか、不可能ではなかろうか。


全日本国民の「総意」がまとまることなんてありえないから「政治」がある、と考えたほうが、たぶん良いのだろうと思います。
何にでも「君の気持ちもわかる」って言っていると、たぶん、誰の気持ちもわからなくなるのです。
僕は、いまの僕の立場から、言えることを言うしかない。


……と、カッコよく締めるほどの確信もないまま、このエントリを終えることにします。


「正しさ」よりも、仲間をたくさん集めたもの勝ち、なのかもしれない。


奴隷のしつけ方

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