いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「特養落ちた日本死ね」が目立たない理由

anond.hatelabo.jp


これを見つけて、たしかにそうだよなあ、と思ったんですよね。


anond.hatelabo.jp

「保育園落ちた日本死ね」は国会でまで採りあげられて、社会問題となっているのですが、高齢者介護の問題というのは、保育園問題よりもさらに切実で、今後の見通しも厳しいはずなのに、と。


でも、最初のエントリのブックマークコメントを読んでいて、いろいろと教わるところがありました。

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「特養は落ちるものじゃなくて、順番待ちをするもの(そして順番はなかなか回ってこない)」
「準備期間がそれなりにあるから」
「いま親の特養待ちをしているのは50代以降くらいの世代だから、ネットで不特定多数の人々に不満をアピールできるほど、ネット慣れしていないから」


など、さまざまな意見があるようです。
たしかに、いま保育園を必要としている世代は、若い頃からネットが身近なものにある「インターネットネイティブ」が多くなっているけれど、僕より少し上の50代、60代くらいになると、ネットに対する親和性もさまざまで、今でも「ネットショッピングなんてやったことがない」という人も身近にいます。
それが良いとか悪いとかじゃないんですよね。
僕だって、いまだに『LINE』とか『インスタグラム』というのを使ったことがないし。


僕自身は、育児は現在もそれなりに関わっているのだが、身内の介護というのは縁がない人生を現時点では送っています。
だが、ずっとそれが続く、というわけにもいかないでしょう。
僕自身の両親はもう死んでしまったけれど、配偶者の親だって、ずっと健康でいてほしくても、そうはいかないかもしれない(というか、そうもいかない可能性が高い)。
育児と介護というのは、別々の話であるようで、日本の核家族化、という観点からみれば、昔の大家族時代は、親が働きに出ているあいだ、祖父母の世代が子供の世話をしてくれていたという面もあったのです。
 
先日、介護保険に関する講演をきいたのですが、2050年の試算では、現役世代(20〜64歳)1.2人で、65歳以上の高齢者1人を支えなければならない時代になるのだそうです。
僕はその時代に生きていれば、高齢者側のわけだけれど、現実問題として、そんなマンツーマンに近いような状況で、お互いにまともに生活していくことが可能なのだろうか。
今から、34年後。まだ先の話ではあるが、そう遠い未来でもありません。
現実的には、「高齢者」の枠組みを外して、元気な人は70代前半でも「現役」として働いてもらうしかないのでしょうけど(実際、いまは60代後半くらいでも「お年寄り」という感じがしない人が多い)、それでも、日本人のほとんどが、介護する人かされる人になっている、という未来予想図は、かなり気が滅入るものではあります。


高齢者に現役として頑張ってもらう、とはいっても、いろんなものがコンピュータやオンライン化によって「省略」されていて、「本気でそれを目指せば、人間の仕事はどんどん無くなっていく時代」ではあるので、彼らの「仕事」を見つけるのも難しい。
介護そのものを機械にやってもらう、というのも、かなり現実的になってきているので、あまりにも悪いほうに考える必要はないのかもしれないけれど。
おそらく、「自力で食事を摂れなくなった人を、人為的に長生きさせることを諦める時代」も来るのだと思う。いや、もうそうなりつつある。
その一方で、「日本人をその状態で『生かす』ことをやめよう」と思う人でも、自分の身内がそうなったら、「とりあえずの延命の手段があるのに、それをやらない」という選択をすることには、ためらってしまう。


率直なところ、「保育園」というのは、これからどんどんネットにも書き込まれるであろう「もう介護に疲れた、日本死ね」に比べたら、まだ解決できそうな問題なんですよね。
なんのかんのいっても、子供の「成長」というのは、多くの親にとって「喜び」とか「やりがい」でもあるのだけれど、高齢者の介護は「あんなに元気だった親が、今は……」みたいなせつなさとか苦しさが先に立ってしまう。


もしかしたら、「特養落ちた日本死ね」と書き込まれないのは、「このままいくと、死ねってわざわざ言わなくても、どうせ日本死んじゃうよね」と多くの人が思っているからではないのだろうか。


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