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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

テレビカメラの前で「平常心を保つ」のは難しい

colopon.hateblo.jp


ああ、とりあえず大事に至らなくてよかったなあ、と思つつ。
こういう「通りがかりの一般人(たぶん)についていく」っていう番組、けっこうありますよね。
ブックマークコメントでは、番組名も挙がっているようなのですが、その番組は「ニセ取材」が現れて抗議されて以来、最初に身分と取材目的を明かして了解を得ているそうです。
下請け制作会社の暴走、みたいなことも考えられなくはないのだけれども。


僕が住んでいる地域の深夜番組でも、「通りがかりの人にお願いして、いきなり夜食をつくってもらう」という企画が放送されていたのです。
ところが、なかなか「いいですよ」と言ってくれる人があらわれず、取材者たちは疲労困憊。夜遅い時間まで、いろんな人にあたってみても、色よい返事はもらえず。
結局、最後は地元の大学生の男3人組が、アパートでチャーハンをつくってくれたのですが、こういうのって、けっこう大変なのだなあ、と思いました。
それこそ、その大学生3人組が「仕込み」の可能性もあるのですけど。


このエントリに対しては「本当にテレビの取材かどうかわからないし、危険だよ」という反応もあります。
書いている方も、途中、タクシーの中で「ちょっと立ち入り過ぎなのでは」と思うような質問をされたことを記録しています。
基本的に、無難に生きようと思うのであれば、こういう取材みたいなのはお断りしたほうが良いのでしょうけど、酔っ払っていて気が緩んでいると、つい「いいですよ」って言ってしまったり、取材している人たちが「本当に見つからなくて困ってるんです、お願いします!」って言ってきたら、情にほだされてしまったりすることもあるのかもしれませんね。
だからこそ、酔っ払っている人を狙うのはアンフェアだとも思うのだけれど、そういう人をターゲットにしないと、なかなか「とれ高」が確保できない、というケースもあるのでしょう。


若い頃の僕だったら、こういう話を読むと「脇が甘い」と一刀両断していたのではないかと思うのですが、実際にいろいろ体験してみると、自分の「権威とかメディアに対する弱さ」に愕然としたのです。


4年前、花火大会に出かけたとき、偶然、地元のテレビ局の取材を受けたんですよね。
日頃は「ケッ、テレビカメラが自分に向けられても、興味ないですって、邪険に断るに決まってるだろうが!」と思っていたにもかかわらず、長男と共にアナウンサーらしき人にマイクを向けられてみると、すごい緊張とともに「相手が期待しているようなコメント」を口にしてしまっている自分に愕然としました。


花火大会の会場でインタビューされて、家族の前で「お前らのインタビューなんて受けねえ!」と荒ぶっている中年オヤジ、というのも、それはそれでいかがなものか、という話ではあるのですが、素っ気なく「あっ、僕はいいです」みたいな態度をとる予定だったんですよ、それまで僕が頭のなかでやってきたシミュレーションでは。

 
ところが、こんなにマスコミやメディアへの信用が失墜し、ネットで自ら動画配信できる時代になっても、「テレビに出る」というのは、僕にとって「特別なこと」だった。


そんなミーハーな自分に、愕然としてしまいました。
都心とかに住んでいると、街頭アンケートなどでマイクやテレビカメラを向けられることに慣れるのかもしれないけれど……


「メディアの力」って、バカにできません。
テレビカメラの前で舞い上がらない、平常心でいられるというのは、それだけでひとつの「能力」であり「技術」なのだよなあ。
テレビに出ている「素人」には、多かれ少なかれ、なんらかのバイアスがかかっていると考えたほうが良いと思います。
(プロはプロで、なんらかのバイアスを「かけている」のでしょうけど)


冒頭の事例でいえば、タクシー代を相手が払ってくれるというのは、「タクシー代払ってもらったから、家に入れてあげないと悪いかな……」と相手に思わせるという心理的な効果を狙っている可能性もあります。
いやほんと、これを読んで思ったのは、「大事に至らなくてよかった」なんですよ。


ただ、視聴者側として、僕がそういう「リアリティショーとリアルの境界」みたいなものを毛嫌いしているかというと、そうでもなくて、この件で名前が出ている番組もときどき観ますし、稲垣早紀さんの『ブログ旅』をDVDで全巻見届けているんですよね。
(稲垣さんはもちろん「プロ」なわけですが、旅先で関わる人たちは「素人」なわけです。ある程度は事前に準備されているところはあると思うのですが。じゃないと海外の旅とか絶対無理だろうし)
視聴者としては「素人のプライベートな部分にどんどん踏み込んでいく」のが面白い、と感じてしまうこともあるのです。


テレビとか大手メディアって、僕くらいの中年には、まだまだ「神通力」がけっこうあるみたいです。
ユーチューバーになりたい、って思っているような、いまの子供たちは、既存のメディアにそれほどの「神々しさ」を感じないのかもしれないけれど。


ちなみに、花火大会のときに受けたインタビューでは、1秒も顔が映ることはなく、コメントも使われず、投票用のコインを乗せた僕と長男の手のひらが、チラッと画面に出ただけでした。
あんなに緊張して損した……