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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「そんなことをしたら、子どもがいじめられるかもしれない」

www.sugatareiji.com


みんな大嫌い、叩くとブックマークが集まるイケダハヤトさん。
僕も正直、ファンってわけではないし、社畜的人生をおくっている人間としては、読んでみてイラッとすることも少なくありません。


でもね、冒頭のブログのこの部分だけは、どうしても受け入れられなかった。

だって本名出して戦うんでしょ?
自分は炎上したって悪口言われたっていいけどさ、家族はどうすんのさ。
学校でいじめられたらとか考えちゃうよ、僕は。
子供に親のせいで迷惑をかけるなんてことはしたくないよ。


 僕の父緒は医者でした。
 子どもの頃、周囲からずっと、「お父さんはお医者さんだからねえ」とか「じゃあ、あなたも医者にならなきゃね」とか言われるのが、ものすごくイヤだった。
 テストで多少良い点をとっても「お医者さんの子どもだからねえ」なんて言われて、すごく悲しかった。
 いやいやいや、テストで良い点数がとれたのは、僕が嫌々ながらも勉強したからだし、いちいち「親が医者」とか言われるのは、ものすごくめんどくさかったんですよ。親は親、僕は僕だろ、と。
 テストだって、親が受けたわけじゃない。
 日曜日に診療をやっていた病院に勤めていたので、土曜日くらいしか日中に父親に会えず、家に帰ってきたときにはクスリのニオイがする父親に、なんだかちょっと誇らしい気持ちと、この人が、普通の(まあ、何が普通か、なんていうのは難しいところなんだけれど)会社員とかだったら、こんなめんどくさいめにあわなくてもすむんだけどな、という反発がないまぜになっていたんですよね。


 いまから考えると、父親がそうやって仕事をして、お金も稼いでくれたおかげで、僕は「本だけは好きに買っていいよ」と言われて育ってきましたし(だから、こういうブログを書いたりしているのだろうと思う)、お金に関する苦労というのは、かなり少なかったと思う。そう、今は感謝しているのです。もう父親はこの世にいないのだけれども。
 

 自分の息子たちも、きっとあの頃の自分と同じように、周囲から要らんプレッシャーをかけられていて(ましてや、両親とも、ですからね。医者なんて、石を投げればぶつかるほどありふれた職業なのに、年輩の人にとっては、まだ多少なりともファンタジーを持たれる仕事らしい)、「あのクソ親父、普通の会社員とかだったら良かったのに」とか思われるのだろうな、と考えずにはいられません。
 僕は自分の長男に、「自分のなりたいものになればいいよ、トミカをつくる人とか最高じゃん。でも、みんなに遊んでもらえるオモチャをつくるには、それなりに勉強しなきゃダメなんだぜ」なんて言っているのです。
 息子がなりたい職業として、「画家」「バスの運転手」「電車の運転手」「おかしやさん」などと並べているのを「うんうん」と聞いていて、最後に、ちょっと上目遣いにこちらをみながら「お医者さんもいいかな」なんて言っていると、正直なところ、「いやそんな気を遣わなくてもいいから」と思う。
 でも、よくわからないんだよね。
 僕もそこで気を遣う子どもだったし、「医者になれ」というのと「医者にはなるな」というのは、それはそれで同じくらいの「強要」なのかもしれないし。
 なりたいものをみつけられる判断力を身につけてほしいのだけれど、そのためには、ある程度は、勉強するのを強要せざるをえない面もある。


d.hatena.ne.jp


(まあこの本の感想を読んでください.本当に名著だから。いまは文庫もあるし)


 それで、冒頭のブログを読んで、これだけは言っておきたいのは、イケダハヤトさんがどんなにしょうもない「ライフスタイルネズミ講」っぽいものの教祖であったとしても、それが明らかな犯罪行為でないかぎり、「子どもがいじめられるかもしれないから、そんなことはやるな」って言うのは、筋が違うというか、あまりにも下衆だということなんですよ。


 僕は医者という仕事をやってますけど、仕事をして、お金を稼ぐという行為において、自分なりに頑張っているとは思うんです、いや、思いたい。これはこれで、けっこうつらいものですし。
 でも、その一方で、仕事をしてお金をもらうっていうのは、ある意味、意に染まないことで理不尽に責められても頭を下げたり、妥協をしたり、不機嫌になったり、子どもに誇れるようなことばっかりじゃない、という実感もあるんですよ。
 きれいごとばかりで生きていければいいけれど、残念ながら、そんなに世の中はシンプルではない。
 

 「そんなことをしたら、子どもがいじめられるかもしれない」って、なんて安っぽい嫌がらせなんだ。
 それなら、悪役プロレスラーはどうなんだ。
 野球選手だって、チャンスで凡退したら子どもがいじめられるかもしれない。
 お笑い芸人だって、そうだろう。
 そもそも、世の中、そんなカッコいい仕事ばっかりじゃないよ。
 自分のやりたいことをやると、どうしても、周囲に影響が及んでしまうような「仕事」もある。


 だいたいさ、そんなことを言う人は、自分の子どもが、親の仕事で他人の子どもをいじめるのを「しょうがない」と思っているのかね。
 僕だって、川崎の事件の犯人の父親の証言を聞いていたら、「これは親の育て方にも問題があるんじゃないか」って感じたよ。
 親と子は関係ない、って言い切れるほど、アドラー心理学をマスターしているわけじゃない。
 でもね、何もしていない子どもを、「親が炎上ブロガーだから」という理由でいじめる子どもがいたら、それは、そのいじめる側のほうが悪い、絶対に悪い。


 子どもが、いろんな理由で、自分の親の仕事にコンプレックスを抱くことはあるのだと思う。
 それは、しょうがない面もある。


 だからといって、赤の他人が、「お前の仕事で、子どもがいじめられるから、そんな仕事はするな」って言う資格などありはしない。
 その仕事が明らかな犯罪ならともかく。


 そもそも、親なんて、親として懸命に生きても、結果的に子どもに迷惑をかけてしまうことなんて、いくらでもある。
 あるいは、その頑張りが、子どもにとっては「ウザい」ものになることもある。
 椎名誠さんの『岳物語』は名作として名高いけれど、書かれた息子さんは「おとう、もう俺のことを書くのはやめてくれ」と言っていたそうだ。


 それが僕に理解できたのは、父親が死んでしまったあとで、僕はそのことについて、いまでも申し訳なく思っている。
 僕はあの頃、子どもだった。
 ただ、誰でも子どもの時期はある。
 だから、僕の息子が僕の仕事を嫌ったり、憎んだりしても、仕方が無いとは思う。
 もちろん、僕にできる範囲で、説明はするつもりだけれど。
 でも、赤の他人が息子に「あなたのお父さんの仕事は恥ずかしい」と言っていたら、そいつを許すことはできない。


 イケダハヤトさんが嫌いで、言っていることが間違っていると思うのなら、本人の矛盾を指摘すればいい。子どもを人質に取らないでくれ。


最後の授業 ぼくの命があるうちに (SB文庫)

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