いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

清原和博さんと「男らしさ」という呪縛

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清原、逮捕か……
驚きはしませんでした。
ああ、そうか、今日だったか、というのが、率直な印象でした。


物心ついたときからカープファンだった僕にとって、清原選手というのはつねに「相手チームの選手」で、正直なところ、あまり好感は持っていませんでした。
西武時代の1986年の日本シリーズでは、カープが1引き分けのあと3連勝しながら、まさかの4連敗を食らったのも覚えています。
まあ、日本シリーズの清原では、巨人相手に日本一を決めた試合で涙ぐんでいたシーンも印象的だったんですけどね。


清原選手の野球選手としての成績をいろんなサイトなどで眺めていると、プロ入りして高卒でいきなり30本もホームランを打ち、立派な成績を残しているのですが、「清原なら、もうちょっとホームランを積み重ねられたんじゃないか」というような「もったいない感じ」があるのです。
そういう「底なし沼のような期待」は、キツかったのかもしれないなあ。


僕が清原選手を好きになれない最大の理由は、彼が看板として背負ってきた「番長」とか「男気」みたいなものへの反発でした。
僕は「男らしさ」とは極北の人間であり、ジメジメした自分の性格が厭になることが多いのです。
「男らしくない」とか責められるときの「男らしさ」って、何なのだろう?


ある時期からの清原さんは、もともとのキャラクターもあったのでしょうけど、写真週刊誌の「番長日記」などの影響で、「男らしさの象徴」的な役割を担ってきました。
直接関係のない人々にとっては、「その稚気、愛すべし」みたいな感じだったのかもしれませんが。


六本木や銀座で、毎晩高いお酒を頼み、ホステスをはべらせて豪遊。
酒場でちょっと暴れたりしても、「豪快」「清原らしい」と苦笑とともに、なんとなく許されてしまう。
次から次へと女性と浮き名を流す。
ヤクザのようなスタイルや、恫喝的な態度、仲間へのイジメのような「からかい」も「男らしい」と(半ば呆れられつつ)許容されていました。


野球に関しては、500号ホームランがかかった、2アウト満塁での打席で、阪神藤川球児投手に変化球で三振させられると「(ストレートで勝負してこないなんて)キンタマついてるんか」などと恫喝した、という話が記憶にあります。
「アホか、勝負なんだから、わざわざ相手が打ちやすい球を投げてやる義理なんかないだろ、それを『男らしさ』にすり替えるなよ、引退試合とかならともかく」と僕はその記事に毒づいていました。


ただ、清原という選手は、ある意味「昭和のプロ野球選手」の生き残り、というロマンチシズムを体現した選手だったのかもしれません。


オリックスのエース、金子千尋選手が、著書『どんな球を投げたら打たれないのか』のなかで、こんなエピソードを紹介しています。

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 入団2年目のシーズン前の紅白戦で、イチロー選手と対戦したとき、金子投手は、初球に、当時いちばん自信があったというカーブを投げました。。

 それをみて、当時オリックスにいた清原和博選手が「ストレートをほうらんか!」と怒りをあらわにした、というのが、翌日のスポーツ紙の記事になりました(金子投手は記事をみるまで知らなかったそうですが)。

 入団2年目の若手なんだから、イチロー選手とストレートで「真っ向勝負」してみろ、と。

 このエピソードは、今年のオールスター戦で”全球変化球宣言”したことと、少し重なるところがあるかもしれません。真っ向勝負=ストレート勝負という感覚が、僕にはないからです。

 最高の打者を打席に迎えたとき、自分の最も自信のあるボールを投げることこそが、プロの真っ向勝負だと思うのです。

 だからこそ、僕は今年のオールスターで変化球を投げ続けましたし、プロ2年目の宮古島キャンプでの紅白戦では、世界のイチローさんを相手に一番自信のあったカーブを投げたのです。

 結局、イチローさんには3球目か4球目を打たれて、ファーストゴロでした。一塁のベースカバーに入ったあと、ベンチに戻るイチローさんとすれちがったのですが、このときイチローさんと言葉をかわす機会がありました。

「最後の球種はスライダー?」

 イチローさんがそう声をかけてくれたので、「そうです」と答えました。

 すると、イチローさんは少し笑みを浮かべて「ナイスボール」と言ってくれたのです。

 時間にすればほんの数秒の短いやりとりでしたが、イチローさんの言葉は、プロに入ってからずっと自信を持てなかった僕に、前を向く勇気を与えてくれました。

 三振をとるよりも、効率的にアウトを取りたい。

 それを信条としている金子投手は、合理的な思考の持ち主です。

 これは、清原選手を代表とする「体育会系の真っ向勝負をよしとする野球観」「ストレートを投げることが真っ向勝負だという野球観」と、「アスリートとして、とにかく結果を出すことを突き詰めていくという野球観」の世代交代の象徴のような場面だったような気がします。


 この場面に関しては「金子投手が若手であり、公式戦ではなくて紅白戦という状況だった」ので、清原選手の「ストレートで勝負してみろ」というのは、ひとつの考え方ではあるんですよね。
 公式戦で、相手ピッチャーに「なんでストレート投げないんだ」は、論外だとしても。


 そういう意味では、清原和博という人は、「生まれた時代が悪かった」のかもしれません。
 あるいは、そういう、任侠映画のような「男らしさ」を求める人々が清原をまつりあげていくうちに、本人もその役割にハマって、なおさら自分を追い詰めていったのではないか、とも思うのです。
 あの藤川投手への発言にしても、昔の「やんちゃな野球人」って、その手のことをポロッともらすことは少なからずあったけれど、記者たちも採りあげなかっただけなのではないか、とも。
 一部の「信者」以外にとっては、清原選手の「男らしさ」は、ネタとして、面白おかしく消費されていただけなのに、本人は、それが「清原らしさ」だと思い込むようになってしまった。


 そもそも、そういう「男らしさ」の押しつけって、僕のような「インドア人間」には、かぎりなく迷惑なんですよ。
 世の中は、これだけ「男女平等!」という建前になっているのに、「男らしくない」という発言は、「女のくせに」よりも、ずっとカジュアルに使われている(ような気がする)。


 毎晩飲み歩くのが「男らしさ」なのか?
 付き合う異性をとっかえひっかえするのが「男らしさ」なのか?
 言葉遣いが荒いのが「男らしさ」なのか?
 ヤクザみたいな格好をして、周囲を恫喝しながら歩くのが「男らしさ」なのか?
 先輩の言うことに盲目的に従うのが「男らしさ」なのか?


 ヤクザは「男らしい」けれど、覚せい剤は「男らしくない」のか?


 こうして、清原さんが「男らしさ」に向かっていくことによって、現実での居場所は少なくなっていったはずです。
 スクリーンの向うにいる「極道」や「任侠」に憧れる人は少なくないけれど、実際の生活では、なるべく近づかないほうが無難だとみんな思っているから。


 僕だって、『龍が如く』で、自転車やポリバケツを振り回す夜もありますが、現実では、そういう人たちとの接点は、医者と患者としてだけです。
 逆にいえば、その場合は、逃げたり避けたりできない、というのは、医療という仕事の怖さでもありますね。
 まあ、医療の場でのトラブルというのは、頻度としてはそんなに多くはない。でも、無いわけでもない。


 有名人って、大変だとは思うのです。
 僕などは、40年以上も生きてきて、「覚醒剤、買いませんか?」と声をかけられたことはありません。
 普通に生きていたら、そんなもののはず。
 ところが、有名になると、いろんな誘惑にさらされるし、利用してやろうという人も近づいてくる。
 きっと、ものすごくめんどくさいんだよね、有名人って。
 僕なんか、ときどき薬のメーカーの人が宣伝のために、にじり寄ってくるのでさえ、めんどくさくてたまらないもの。


 今回の逮捕については、もしかしたら、清原さんは、誰かに止めてほしかったんじゃないかな、こうして捕まって、むしろホッとしている面もあるんじゃないかな、という気がしてなりません。
 薬物、覚醒剤への依存って、一度陥ってしまうと、本人の意思の強さだけでどうにかなるようなものじゃないから。


 自分に清原くらいの才能があったら、クスリなんかやらないのに……
 多くの人が、そう思うはず。
 でも、あれだけの大スターがこうなってしまったことには、たぶん、それなりの「理由」があるんだよね。
 ヒーローとして、「男らしく」生きるのも、難しいのだな。