いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

最近のブログは「SNS化」しているのではないか、と思う。

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「国境がなくなった」のがメリットのはずだったインターネットで、異文化の人々の流入に嫌気がさして、ふたたび「国境」ができつつあるというのは、なんだか今のEUのありようをみているようで、感慨深いものがあります。
こういうのって、instagramやLINE、Twitterなど、ネットの中でも比較的新しい(とはいえ、ネットの世界では、Twitterあたりはもう「古株」なのかもしれませんが)サービスで、若者が中心に使い始めていたのに、そこに高齢者が参加してくることによって、「会社の人間関係が持ち込まれてしまう」のですよね。
高齢者側としては、悪気はないし、「好きにやっていいよ」と思っているつもりでも、上司がいる飲み会みたいなもので、参加している側としては、息苦しさを感じずにはいられない。


こういうサービスは万人に開放されているものなのだけれど、どの世界でも、すでにそのサービスを自分が利用していたというだけで、「先に自分たちが見つけていたのに、後から入ってきて、デカい顔するな」という気持ちがわいてくることはあるのです。


もう10年近く前だったか、僕が妻とふたりでデパートの「その場でパティシエがつくってくれる高級クレープの店」に入ったことがあったんですよ。
そこで隣の席に、おばさんたちのグループがやってきたのですが、そのうちのひとりが、「私、写真撮るね。自分のブログに載せるから」と、ずっと撮影しているのをみて、なんだかこう、モヤモヤと不快な気分がわき上がってきたのです。
「食事中に写真撮るなよ」とか、単に「うるさい」とか、「そんなブログ、面白くないし、周りはみんな呆れてるぞ」とか(内心の声)。
僕自身は、ずっと「ブログやっててさあ」なんて周囲にアピールすることもないまま、ずっと続けていたので(それは今もそうなんですが)、そういうふうに堂々とやっているおばさんに、ちょっと嫉妬していたのかもしれません。
それにしても、なんであんな「つまらない憤り」を、今でも記憶しているのだろうか。


あの頃の僕には「ブログは自分のための場所」みたいな、厚かましい気負いがあったのかな、とも思うんですよ。
そして、「後から土足で踏み込んできて、僕(たち)が耕した土地でいきなり種をまくところからはじめてしまう人たち」に嫌悪感を抱いていた。


でも、そういうのって因果応報で、LINEとかinstagramに参入してくる、おじさん、おばさんって、若い先行者にとっては、あのときの僕にとっての「クレープおばさん」みたいに見えているのでしょうね。
ネットにはデータ容量の限界はあっても、「占有地」は無いのに、なぜ、誰かが「侵略」してきたように感じるのだろうか。
合理的に考えれば、多くの人が参入してきたほうが、そのサービスが安定して長期供給されるというメリットが期待できるはずなのに。


ところで、この「ユーザーが小さなグループ化して、周囲との『国境』をつくる」という傾向は、SNSにだけみられているわけではない、と僕は感じています。
ブログというものに10年以上関わってきているのですが、どうも最近、ブログどうしで「言及」したり、「議論」したりすることが少なくなってきた気がするんですよ(当社比)。
ブログ黎明期というのは、論議を呼ぶようなテキストを誰かが書くと、トラックバックが山ほどついて、さまざまな人が、自分のブログで意見を表明していました。
賛成、反対、改良案、といったものだけではなく、嘲笑や誹謗中傷、なんていうものもあって、必ずしも綺麗なものばかりではなかったのだけれど、ネットに、ブログに書かれたものは、「議論の叩き台」として利用されるのが当然だ、という意識を多くの人が共有していたのです。


僕自身も、他者のSNSでの発言に対していちいち揚げ足をとるようなことはほとんどありませんが、ブログのエントリとして書かれたものに対しては「誹謗中傷やあまりにも筋違いな言及でなければ、どんどん他者が活用するべきもの」だと考えていました。


でも、最近になって、「それは僕のような古いブログ書きにしか通用しない『常識』なのだろうか?」と痛感することがいくつかあったんですよ。


『スーパーマリオメーカー』と「レベル1でドラゴンと遭遇してしまう問題」 - いつか電池がきれるまで

長文書くと読まずに引用されてしまうのだろうか。ゲーム実況者はクリエイターではないと言う人がいるけど、創作のレイヤーが繰り上がってるからこそゲーム実況という形でしか作家性を発揮できないという問題はある。

2015/10/13 13:12
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松本人志さんや福山雅治さんが「そっちをネタにするのって、ちょっとご免」と敬遠するようなことを、僕は平然とブログに書いているのだ。 - いつか電池がきれるまで

この文脈でこのブログ記事へのリンクを貼られるのぴんとこない(家族でも身内でもない)

2015/10/12 12:34
b.hatena.ne.jp


このブログ内で僕が言及したエントリの著者からのブックマークコメントなんですが、このリアクションに、僕は驚きました。
はてなブログ」って、文中に言及リンクが綺麗に貼りやすいというメリットがあって、ついついたくさん採りあげてしまいがちなんだけれども、そこまで「的外れ」だっただろうか?
(ちなみに、僕は自分で読んでいないエントリを文中で紹介することはありません)


このお二人は、いずれも『はてなブログ』で現在も活躍されています。


たしかに、「これが書くきっかけになったのだけれど、書いているうちに暴走していって、着地した場所は最初とは全然違う」ってことが少なからずありますが、まったく関係ないエントリを貼る習慣はないです。
「お前のことが嫌いだ」
「お前のような弱小泡沫サイトが、うちのような人気ブログにぶら下がってPV稼ぎをするなんて許せん!」
ということなのだろうか(……というような書き方は、イヤミったらしいので良くないですね。すみません)。


でも、本当に「この内容で、なぜここまで拒絶されるのか、わからない」のですよ、僕の感覚では。
トラックバックされて、言及されるのは、ブログの醍醐味」だと思うし、それによって多くの人の目に触れる可能性もあるし、自分になかった視点を知ることもできる。
誹謗中傷やスパム、互助会的なものは勘弁してほしいけれど、そうでなければ、紹介リンクは基本的に大歓迎なんだけどなあ。


SNSとの連動で、「文章をそのままTwitterで拡散する」ことや「揉めるのはめんどくさいから、『はてなブックマーク』で、こっそり(あるいは、一方的に)言及する」というのが当世のスタンダードで、「わざわざブログで、他人が書いたものについてあれこれ言う」のは、「異常」だとか「迷惑」だと考える人が、ブログでも増えてきているのではないか、というのが僕の仮説です。
はてなブログ」には、言及されたら通知が来る仕組みがあるのですが、読んでくれたであろう人の数に比べて、他のブログで言及される頻度は、かなり少なくなっている印象があるんですよ。
昔の「ブログ文化」を知っている人間としては。


ただ、それは良いとか悪いとかではなくて、「オッサン、日頃からの付き合いもないのに、勝手に言及するんじゃねーよ」というのが、今の若い世代のスタンダードだ、ということなのでしょう。
あるいは「自分が許容できる範囲でだけ、言及してください」。


おふたりには、槍玉にあげるような形になってしまって、大変申し訳ない。
悪意はなくて、ただ、「僕の感覚は、今のブログの世界では通用しなくなってしまった」という実例を挙げるのに必要だったので、こうして紹介させていただきました。


同じ「ブログ」なのだけれど、今のブログって、僕がずっとイメージしてきた「ブログ」とは、名前が同じでも、ずいぶん違ったものになってきている、そんな気がするんですよ。
昔のほうが良かった、とばかりは言えないけれど、ブログまで「SNS化」してしまうのは、やっぱり寂しい。



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