いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

老兵は死なず、ただ(若者の視界から)消え去るのみ。

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そうか、伊集院光さん、「深夜の馬鹿力」から、『ゆうゆうワイド』(の時間帯)に行ってしまうのだな……
まあ、最近は、というか、この20年くらいはラジオの深夜放送もすっかり疎遠となり、出かけたときに車で日曜日の午後の山下達郎さんか福山雅治さんか安部礼司を聴くくらいになってしまった僕ですが、この「世代交代」に、ちょっとしんみりしてしまったのも事実です。
そうか、伊集院光さん、深夜ラジオから「卒業」しちゃうのか……
(と思いきや、現時点では、「深夜の馬鹿力」も続けるみたいなのですが)


深夜放送で若者に人気を集めていた「人気パーソナリティ(僕の世代的には「DJ」なのだけれど)」が、昼間の番組に行ってしまう、という事例でいちばん印象に残っているのは、笑福亭鶴光(ちなみに、僕はずっと「つるこう」だと思っていたのですが、正式には「つるこ」だそうですね。最近知って驚きました。自分でも「つるこう」って言ってたし!)さんです。


僕が小学校高学年から中学生だった時代、「鶴光のオールナイトニッポン」は、「深夜放送の王様」でした。
1974年から1985年まで、11年間も続いたこの番組は、当時の男子にとっては、「下ネタがガンガン流れるドライブ感満載のフリーダムな放送」だったんですよ。


「ええか〜ええのんか〜さいこうか〜」
ヤッターマン、コーヒー、ライター、続けて言ってみて」


アシスタントの若い女性やゲストに、こんなツッコミ(?)を入れていたのですから、今だったら「セクハラ」と炎上しているかもしれません。
当時は、ネットもなく、けっこう暗黙のゾーニングというか、「まあ、若者向けの深夜放送だから」ということで、たまにPTAから「有害番組!」と怒られるくらいで済んでいたんですよね。
いまは、深夜放送での発言でも、ネットで拡散し、いろんな人に知られてしまいますから、「古き佳き深夜放送らしさ」みたいなものは、失われてしまったのかもしれません。


オールナイトニッポンが終了してしばらくしてから、鶴光さんは夕方のラジオ「鶴光の噂のゴールデンアワー」のパーソナリティになりました。
そのとき、高校生だった僕は、「あれだけ深夜放送に君臨してきた人だったのに……」と、「都落ち」のように見ていて、「あの鶴光さんのトークが、夕方でも通用するのだろうか?」「普通の人向けに、マイルドな内容になるんじゃないか」と思っていたのです。


ところが、この「ゴールデンアワー」は16年間も続く、人気長寿番組になりました。
当時の僕からすれば「深夜放送から夕方の番組に移ること」には「左遷」のイメージがあったのだけれど、必ずしもそうじゃなかった。
エロトークも時間帯にあわせて「封印」されたのかと思いきや、そうでもなかったみたいです。


ただ、鶴光さん自身にも「迷い」はあったのです。
Wikipediaの『鶴光の噂のゴールデンアワー』の記述によると、

主婦層をターゲットとした夕方の当番組開始にあたり、鶴光は「わしは玉置宏になるんや」と、当時主婦層に絶大な人気を誇っていた朝の番組『玉置宏の笑顔でこんにちは』を意識し、『オールナイトニッポン』で培ったエロトークを抑えた番組を心がけ放送していた。その後、放送を聞いていた『オールナイトニッポン』時代のディレクターで当時ニッポン放送の専務だった亀渕昭信に「誰がそんな番組やれと言った!お前の持ち味は何だ?」と怒鳴られ、番組にエロトークを入れるようになった。


当時の僕は「鶴光さんのトークは、高齢者にはウケないはず」と思いこんでいました。
でも、『ゴールデンアワー』は、16年間も続く長寿番組になりました。
あらためて考えてみると、11年も続いた「鶴光オールナイトニッポン」のリスナーたちは、みんなそれぞれ年を重ねて、学生は社会人となり、若者は中年になりました。
夕方の番組のほうが、聴きやすくなった人も少なからずいた。
鶴光さんは、当初「リスナーの年齢層にあわせて、自分のトークの内容を変えよう」としていたのですが、聴いていたのは「鶴光さんと一緒に年を重ねてきていて、オールナイトニッポンの鶴光のままがいい」という人たちだったのです。
まあ、結局みんなエロトーク的なものがけっこう好きなのだ、というのはあるのでしょうけど。


伊集院光さんが昼の番組をやるということは「自身の年齢にあわせて、高齢者向けにシフトしていくのか」と考えてしまいがちだけれど、実際のところは、「今まで応援していたリスナーも伊集院さんと同じように年を重ねてきて、ライフスタイルも変わり、昼のほうが聴きやすくなっている」という面もあるのだろうな、と。
そこでうまく「若者一般向け」から、「自分を応援してくれている人向け」にシフトチェンジできない有名パーソナリティもいるのだけれど、伊集院さんは、うまくそれをやっていくのではなかろうか。
なんのかんのいっても、週に1回深夜に喋り続けるのって、けっこう体力的にはきつそうだし。


若い頃の僕は、「若者文化」だけが正しいと思っていて、そこから外れていくものに対して冷淡でした。
自分や周囲の若者たちの観測範囲から外れると、あれはもう「時代遅れのコンテンツ(なんて言葉は、当時は知らなかったので、「番組」とか「タレント」だったのですが)」なのだからと、みなしていたのです。
若い人間には、可能性もあるけれど、その一方で、自分の視野から外れるものを切り捨ててしまう「傲慢さ」もある。
年長者たちが住む世界が無くなってしまうわけではない。
自分が年を重ねてみると、若者たちが目を配らないところに、彼らは移動しているだけ、なんですよね。


人間というのは、自分が若い時代に触れていたコンテンツが、ずっと「今のもの」であると思い続けてしまいがちです。
もちろん、短期間で流行ったり廃ったりするコンテンツはあるのだけれど、サザンオールスターズMr.Childrenは、僕にとって、「古いもの」とは思えないのです。
僕が子どものころ、演歌好きの大人に「なんであんな古くさいものが好きなんだろう」と疑問を抱いていたのだけれど、彼らにとっては、演歌が「人生の伴走者」だった。
それが古いとか新しいとかじゃなくて。


逆に、僕はいまの若者が好む音楽とかにはついていけない。
というか、EXILEとか「怖いお兄さんたち」にしか見えない。
でも、そのEXILEも、現在の「年齢的な若者」からすれば、「もう固定化された古いコンテンツ」なんだよね、きっと。
そう言いながらも、なんとなく「りょうせいばいが〜とまらなーい!」とか車のなかで、口ずさんでしまうこともあるのですが。
もしあの騒動がプロモーションだとしたら(たぶん違うだろうけど)、天才だよな考えた人。


老兵は死なず、ただ(若者の視界から)消え去るのみ。


でも、消え去った先で、老兵たちは、けっこう楽しくやっているのだな、と、自分がこの年齢になってみると、わかってきました。
流行とか頑張って追わなくてもいいと思えば、気楽でもありますし。



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「メディアクリエイター」でもなんでも、やってみればいいんですよ。
年齢が若いということの最大のメリットは、もし、物事がうまくいかなくても、それを経験として次にうまくやれる時間的・精神的な余裕があることだと思うから。
うまくいけば、万々歳、なんだけどさ。


どうせ僕にはそれを同世代的に「評価」することなんてできないのだから。
子どもが小学校に入ってみて痛感したのは、僕自身の固定観念の強さでした。
「自分が30年前とかに受けていた学校教育が、現在も標準的なもの」だと、とくに学ぶこともなく、思いこんでいたんですよ。
そんなわけないのに。学校だって、30年も経てば、変わっていくのに。
僕が仕事をしている病院だって、20年前とは違った場所になっているのに。


僕は、自分の居場所で、自分が楽しくなるようなことをやっていきたい。
メインストリームから黙殺されるような気がするのは少し寂しくもありますが、昼間のラジオも、けっこう良いものですよ。
そこは「負け組」の場所ではなくて、「その環境にあった人たちのための楽園」なのです。



最後に、おっさんからひとつだけ、言わせてください。


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ある(一般的に「カルト」と目されている)新興宗教の信者たちは、こんな話をして、信者を勧誘しているのです。

(私たちの)神を信じていない者たちは、間もなくやってくる「審判の日」に地獄に落ちて未来永劫苦しみ続けるのですよ。

あなたは、神を信じて永遠の楽園に行くのと、神を信じずに地獄に落ちるのと、どちらを選びますか?


バッカじゃねえの?俺は神なんか信じずに地獄に落ちてやるぜ!

……というふうに考えるのは、もうすでに相手の術中にハマっているのです。

実は、こういうふうに「選択の幅をあえて狭めて、答えが2つに1つしかないように思い込ませる、というのが、「カルトの洗脳テクニック」なのです。「神なんか信じないから地獄に落ちてもいい」という人は、常に「やっぱり地獄に落ちたくないから、神を信じてみようかな……」と考え直してしまう危険性を孕んでいます。

ここでの「模範解答」は、「俺は神を信じないけど、地獄に落ちることはない」。


ネット上でも、他人を貶めるために、あるいは、自分の優越感を満たすために、こういう「本来はもっとたくさんの選択肢や答えがあるものを、自分があらかじめ設定した2つのうちの1つしか選択できないように思い込ませようとする人」がたくさんいます。

どうか、目の前に選択肢があらわれたら、「本当に、この選択肢の中から『答え』を選ばなくてはならないのか?」と、ほんの少しだけでもいいので、考えてみてください。


「満員電車に乗って死んだ魚のような目をして生きるか、『メディアクリエイター』になるか?」


それ以外の選択肢なんて、腐るほどあるんです。
自分で自分を縛らないで。
僕は「他者を貶めることによって、自分の正しさをアピールしようとする」存在は、まず疑ってかかったほうが良いと思っています。


オッサンって、案外楽しいですよ。
ブログでは全然儲からないけど、儲からなくてもいいや。好きでやってるから。


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ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録

ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録



ちなみに、この長ったらしいエントリは、笑福亭鶴光さんのことを書きたくて書いたことを告白しておきます(これを書く時間を捻出するために昼飯食べ損なった……)