いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「うまくやれるのと、楽しくやれるのとは違う」

 お正月、家で妻と話していたら、小学校での「ママ友」たちとのやりとりがなかなか難しい、と珍しく愚痴めいた言葉が出てきた。


「けっこう若いお母さんも多いしねえ。だいたい、あんまり深い意味のない、同意だけが目的の『○○だよね~』『そうそう!』みたいなのが、すごくめんどくさくって」


 でもまあ、そんな中で、とくに孤立することもなく、それなりに頼ったり頼られたりしながらも、うまくやっているようにも見えたので、そう伝えたら、こんな言葉が返ってきた。


「でもね、うまくやれるのと、楽しくやれるのとは違うんだよ」


 子どものこともあるし、相手に悪気がないのもよくわかっているので、邪険にはできないし、うまくやっているつもりではある、ということだった。
 ただ、そうやって「適応」することは、精神的にかなりの負荷でもあり、ママ友たちとの会合を終えて家に帰ってくると、もう何もしたくない、という気分になるのだとか。


 ああ、それは僕にもわかる。
 僕自身も、「人に合わせるのが苦手」だと自覚しており、公の席ではなんとか周囲に合わせようと頑張ってしまう(そのためにアルコールの力を借りて、翌日ひどい二日酔いに悩まされることもある)。
 年齢とともに、そういうふうに頑張らなくてはならない席は、主催者と僕のお互いにとって不幸だからとなるべく避けるようにはなったのだが、そういうのは間隔が開くと、久々のときの緊張感が倍増することもあるのだ。


 世の中には「人間が大好きで、毎日仲間と飲み会でも苦にならない」という人もいれば、「プライベートでは、なるべく独りでいたい」という人もいる。
 まあ、大概は濃淡はあれどその中間で、ときに寂しくなり、ときにめんどくさくもなる、という人なのだと思うけれど。
 そして、傍目には「コミュニケーション上手」と思われている人でも、本人としてはものすごい緊張感を抱えて、なんとかうまくやりすごして、家に帰ってグッタリ、という人も少なからずいるのだ。
 いや、もしかしたら、世の中の「コミュニケーション上手」と言われている人の多くは、そんな感じなのかもしれない。
 だから、そこで「自分は無理に適応しているだけで、本当はつらいのだ」という感情に負けずに試行を繰り返していけば、慣れるし、自然にふるまえるようになるのかもしれない。
 そういう人が、偉くなっていく。
 なぜなら、いま偉くなっている人も、同じようにしてきたからだ。
 ただ、そんなふうに適応しようとしても、みんながうまくいくとは限らない。


 僕が仕事をはじめたとき、外来で患者さんに話しかけるのが苦痛だったのが、今は「日常業務」としてこなせるようになってきた。
 まあ、こういうのは「日常業務として役割が決まっているから、できる」というのはあるのだけれど。
 飲み会とかママ友のお食事会なんていうのは、お互いの関係において、よりいっそう臨機応変の対応が求められる席だからなあ。


 「自称・コミュニケーション上手」という人には、僕からみれば、「相手の反応を見ずに、自分のやりたいように振る舞って、自分自身が気持ちよければコミュニケーションがうまくいったと判断している人」も多いし。
 人間というのは一部の「病気の範疇のコミュニケーション障害」を除けば、みんな大なり小なり「コミュ障」で、あとは後天的な努力をするかどうか。
 あるいは、押井守監督のように、「他の人にはない能力を持ち、どうしても必要とされる人間になる」か。


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これを書きながら、以前ここに書いた、「良い先生の話」を思い出した。

fujipon.hatenablog.com



「いい人」であるというのは、ものすごくキツいことなのだ。
 仕事が絡んでくれば、なおさら。


「いい人」で、仕事ができれば、結局のところ、そこに仕事は集まってくる。
 頼む方だって文句を言われたり、拒絶されたりはしたくないものだし。
 でも、抱えきれないくらい仕事が増えれば、ミスをする危険は高まるし、多くの組織では、そういう「いい人」がほかの人よりも多く仕事をこなしても、インセンティブが与えられることはほとんどない。

 リーダーというのは、「憎まれ役」を引き受けなければならないことも多い。
 「誰かにやらせなければならない」仕事というのは、必ず出てくる。
 なんでも自分でやっていては、早晩自分自身が潰れてしまう。


 こんなことを考えこんでしまっている時点で、僕が「コミュニケーションというものを、自分自身でめんどくさいものにしている」ことは間違いないのだろうけど。



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僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

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