いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

なぜ、泡沫候補と呼ばれても、彼らは立候補しつづけるのか?

映画「立候補」 [DVD]

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【ストーリー】
2011年11月。橋下徹が仕掛けた40年ぶりの大阪府知事市長W選挙。大阪は橋下維新か?反橋下か?まっ二つに割れ、
沸いていた。そこに現れた場違いな泡沫候補たち。スマイル党総裁「マック赤坂」、二度目の府知事選「高橋先生」、
7歳の娘をもつ61歳「中村パパ」。なぜ彼らは300万円の供託金を支払ってまでして、敗北必至の選挙に立候補するのか?
伝説の政見放送外山恒一」、泡沫の最高峰「羽柴秀吉」も外野参戦。この映画は、歴史に残ることのない、
存在を消し去られた敗者の記録である。


 この作品、2011年の大阪府知事と市長打ダブル選挙を舞台にしています。
 そこに立候補した「マック赤坂」さんら、4人の「泡沫候補」。
 彼らは、300万円の供託金を払って立候補し、規定の投票数に達しなかった場合には、その供託金は没収されてしまうのです。


 選挙の届け出って、まず、「届け出順を決めるための抽選」が行われるんですね。
 みんな、定時には集まってきているので、文字どおりの「先着順」ではない。
 候補者が多い選挙などでは、順番が早いほうがポスターの掲示場所や届け出順で表示される場合に有利なので、みんな「早い順番」を欲しがっているのです。
 その届け出のとき、マック赤坂さんは、いきなりこう噛みつきます。
「みんな同じ300万円の供託金を払っているのに、なんでメディアでは、最初から『主な3候補』が大きく採りあげられて、その他の候補は扱いが小さいのか?」と。
 原則論としては、これは正しい。
 政見放送の時間だって、みんな同じにしてありますからね。
 でも、メディア側からすれば、どうみても当選には程遠い候補と、当選が有力視される候補のために、同じように紙面や時間を割くわけにはいかない。読者、


 ちなみに、この選挙の結果を書いてしまうと、松井一郎さんが200万票で圧勝。
 マック赤坂さんら、4人の「泡沫候補」は、いずれも2万票台で落選しました。
 マックさんは最下位だったのですが、4人の泡沫候補のなかで、わずかな差ながら4位となった岸田修さんという人は、「なんで選挙に出たのか、よくわからない人」だったのです。

――岸田さんの選挙活動についてですが、どこで演説とかされますか?


岸田「いやー、そんなん。そりゃーあんまし、せーへんよ。説教はしないけどな。届出までやな」



――届出だけで選挙活動をする?


岸田「お金いるやん。掲示板とかあんなん。ポスター枚数1万2000なんぼとか、お金いるやんか。選挙ビラとか8万枚のはがきとかな。使うたら見返り求めるしな、人間やったらやっぱり。100円、1000円使うても見返り求めるやろ?」


 人生の思い出に、ということなのかもしれませんし、政見放送で「自分の言いたいことをテレビで喋れる、目立てる」というのは魅力なのかもしれませんが、それにしても、この人のやる気のなさには、けっこうインパクトがありました。
 300万円で「記念受験」、なのか?
 まあ、「最初はやる気だったけれど、どうせ無理だからと追加投資はやめて『損切り』した」と考えれば、合理的だと言えなくもないのですけど。
 でも、こういう「選挙活動を積極的にやらなかった人が、3万票近くを集め、泡沫組のトップだった」というのは、なんだか、いまの選挙に対するみんなの「冷笑」「諦め」みたいなものを反映しているのかな、と。


 この映画でのマック赤坂さんの選挙活動をみていると、正直、「この人は何かをやりたくてしょうがないんだろうけど、何をやりたいのか、よくわからないよなあ」と考え込んでしまいます。
 いちおう「大減税と小さな政府」というようなこととか、「みんながネガティブになっているのを、ポジティブにしたい」などと仰っているのですが、この人が府知事になったら、いちばん困るのは本人ではなかろうか。
 いま、会社の経営を任されているという息子さんも「会社とは関係ないし、父親がああいう活動をしているのを歓迎はしていないが、本気であることはわかる。もし本当に『金持ちの道楽』だったら、許せないけれど……」と仰っていました。
 この息子さんの「変化」も、この作品の見どころです。


 繁華街や駅のなか、学園祭のさなかの京都大学の門前や他候補の演説が行われている場所へ、マックさんは秘書とふたりっきりで乗り込んでいって(この秘書というのがまた、印象的な存在なんですよ)、無視されたり、罵声や「帰れ!」コールを浴びたりしながらも、「スマイルダンス」を躍り続けている。これがまた、映像でみると、微妙というか、「踊り慣れていないオッサンの盆踊り」みたいで、なんだかいたたまれなくなってきます。
 警察官や京都の公安に対しても「公職選挙法」を持ち出して、演説をやめないマックさん。
 その一方で、京都大学の門前に堂々と車を停めて演説をはじめようとして女子学生にたしなめられると、「なんの権利があってやめさせるんだ」「お前は就職できなくなるぞ」などと恫喝しまくり(そもそも、大阪府知事選なので、京都大学は選挙区外なんですが)、繁華街ではたくさんの車が行き交っている大きな交差点の真ん中に立って「スマイルダンス」。
 それは、さすがに迷惑だろ……
 「権力に屈しない」のは痛快にみえるのだけれど、「自分よりも弱い立場のもの」にも強く出るし、他人の「迷惑」にも「公職選挙法をみろ!」と無頓着。
 大きな権力や集団に対して、個人で戦いを挑んでいるのは凄いけれど、そういう戦い方しかできない時点で、選挙で選ばれる「リーダー」としては不適格なのではないか、とも思うのです。
 

 選挙で選ばれた政治家に対しても、僕はそんなに信頼はしていないというか、「選挙の結果で、何かが変わった?」とか、「尊敬する政治家はいますか?」という質問に対しては、うまく答えることはできないのです。
 しかしながら、「それなら、お前が演説台の上に立って、自分の主張をしてみろ!」と言われると、「そんなことできるはずがないじゃないか」と逃げるしかない。


 なんでこんな人たちが「立候補」するんだろう?
 そう思うのだけれども、実は、いまの日本の選挙で、議員として政治をやろうとすれば、「立候補」するしかない。
 昔のアテネのように、抽選で政治的な仕事が割り当てられたりはしない(アテネだって、重要な仕事や危機的な状況下では、抽選で決めていたわけではありません)。
 そして、供託金さえおさめれば、誰だって、「立候補」することはできるのです。
 たぶん、300万円を捨てることになるのですが、300万円というのは、大金持ちじゃなくても、「本気」であれば、出せない金額ではない。
 出ようと思えば、出られるんだよね、僕だって。出ないけど。


 選挙制度って、民主主義って、何なんでしょうね。
 マック赤坂さんは、やっはり「普通じゃない」と思うけれど、秋葉原安倍総理が応援演説したときに、たくさんの日の丸が揺れ、大歓声を浴びていたのをみて、「こういう『盲信』みたいなのも怖いな」と感じました。
 

 結局、観たあとも、「マック赤坂さんが、それでも選挙に出続ける理由」って、よくわからなかったんですよ。
 本人だって、当選するとは思っていないのではなかろうか。
 それでも、立候補せずにはいられない。「スマイルダンス」をやらずにはいられない。
 選挙は一度出たらクセになる、とか言いますが、こういう人が立候補しつづけられる国であることは、健全なのか、不健全なのか。
 いろいろ思うところはありながらも、うまく言葉にできないのですが、機会があれば、ぜひ観ていただきたいドキュメンタリーです。


 あらためて考えてみると、僕も、世の中でのポジションは「立候補する勇気もないマック赤坂」あるいは「マック赤坂をバカにして溜飲を下げている群衆のひとり」みたいなものなのだよなあ。


d.hatena.ne.jp


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