いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ある大型書店の「受験参考書コーナー」での出来事

先日、地元の大型書店を散策していたときに、ひとりのジャージ姿の男の子がいました。
彼は身長160cm弱くらいで、まだ幼い感じ。
学習参考書コーナーの前で、何やら本を手にとっていたのです。


なんとなく気になって、彼がページをめくっている本にさりげなく目をやると、懐かしの「赤本」(大学受験用の各大学の過去問を集めた参考書)です。
ああ、赤本なんて、もう四半世紀くらい手にとってないなあ。
絵本コーナーと受験参考書コーナーというのは、人生のごく短期間においてだけ、濃密な関係がある場所ですから。


ふうん、で、どこの大学を受けるんだろう?


そう思ってまたチラ見すると、「東京大学」の文字が。
おおっ、このまだ幼い感じのジャージのヤツが、東大受けるのか!
と意外な感じがした直後に、あらためて考えたんですよね。


いやしかし、単に参考書コーナー付近をブラブラしていて、赤本をみかけ、自分が受けるわけでもないけれど、「東大の入試問題って、どんな感じなんだろうな」という、興味だけで少し立ち読みしていただけ、かもしれないな、と。
僕だって、「そういう時期」はあったし、「東大」だからこそ「記念立ち読み」みたいなことも起こりうるのではないか。
地元の国立大学とかだったら、まず、受験を考えている人しか手に取らないと思うけど。
そもそも、大学受験にしては、まだ幼くもみえるしなあ、でも、見かけだけじゃわからないというか、自分が40過ぎると、中学3年生くらいから高校3年生くらいまでって、自分がそのくらいの年代だったときみたいには「判別」できないんだよなあ。


それこそ「東大受けるの?」って聞いてみたいくらいだったのですが、もちろん、そんな「キモいおっさん」ロードを直進するわけにはいきません。
その男の子は、何秒かその赤本のページをめくったあと、本を置いて、去っていきました。


ほんと、通りすがりの他人の行為だけで、その背景みたいなものを読み取るのって、すごく難しいことだよなあ、と。
「東大の赤本を読んでいたから、東大受けるんだろ、偏差値高いんだろ」とも言い切れない。
まあ、だから何だ、っていう話なのですが、ある人がネットに書いていることと、その「人格」を結びつけるのも、同じようなものかもしれませんね。
自分が見ている一部のものだけで、他人を判断するのは、シャーロック・ホームズでもないかぎり、至難の業、なんだよなあ。