いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

インターネットの「テキスト系コンテンツ」の書籍化の歴史

ada-bana.hatenablog.com


ここに書かれていることに、ほとんど異論はありません。
「『はてなブログ』には、商業出版の著者になれそうな、突き抜けて個性的な人が少ない」という内容については、そうだろうな、と思うんですよ。
タイトルが「あんまりおもしろい人がいない」という「釣り」どころか「投網」レベルになっているのはいかがなものか、という感じなのですが。


はてな」は、ちょっと人と違うと、「それは非常識だ」「やり方が合理的じゃない」と、ブックマークコメントとかで叩かれることも多いし。
アメブロ」は、「他人と違うことをやっている人」に、けっこう好意的というか「個性的で、すげーじゃん!」みたいに持ち上げてくれる、facebook的な「ぬくもり」がある(ある種の「ポジティブ同調圧力的」でもある)。
まあ、それやって持ち上げておいて、火がつくと全方位的に叩かれる、というリスクもあるんですけどね。
はてな」って、どんなに叩かれている人でも、というか、叩かれていればいるほど、「援助者」が出てくるような気がするし。
それでも、どちらが「個性的な人が続けやすいか」というと、「アメブロ」なのかな、と。


冒頭のエントリと、ブックマークコメントでの反応などを読んでいて、思いついたことがあったのです。
そういえば、最近、「ブログの書籍化」で、売れた本って、あったっけ?


ちょっと前の話になりますが、2010年前後の時点で、すでに「ブログの書籍化は売れない」っていう出版関係社の話を読んだ記憶があるんですよね。
そこで、僕がこれまで観測してきた範囲で、インターネットの「テキスト系コンテンツ」の書籍化の歴史を辿ってみようと思います。
本ってほんとうに腐るほど出ていますし、実際に僕が読んできた本についての話が中心になりますので、興味がある方、こんなのもあった、という方は、ぜひ教えて(あるいは、もっと詳細な改訂版をつくって)いただければ幸いです。
ちなみに、今回は「写真やイラスト、絵を中心としたブログや、趣味(「巨大魚釣り」とか「工場萌え」とか)を紹介するブログ」は採りあげませんでした。あまりにも範囲が広くなりすぎるので。
あと、もともとブログでも書いていて、本を出したのだけれど、本の内容はブログとは全く関連がない、という著者も外しました。
WEB漫画も扱いません。それだけで本一冊書けるくらいになりそうだし。
要するに「ネットでの『テキストサイト』や『WEB日記』、あるいは『テキストを中心とした、2ch発の書籍」についての話です。前置き長いですね、でもこれをはっきりしておかないと、先に進めないので。


テキストサイト』というのは、1999年くらいからネット上で盛り上がりはじめた「文章中心のコンテンツ」です。
「ネット上のテキストコンテンツの書籍化」というのは、日本のインターネットの黎明期から、かなり積極的に行われていました。


書籍化の初期の代表作といえば、このあたりでしょう。

POPOI―27歳いまどき?OLのセキララ日記

POPOI―27歳いまどき?OLのセキララ日記

我が妻との闘争

我が妻との闘争

両者とも、2003年に出ています。
好きだったな、『POPOI』。入江舞さん、元気かな。
と、すっかり「懐かしの人」モードなのですが、2003年ということは、まだ干支ひと回りしかしていないわけで、ネットの世界の流れの速さを感じます。
初期は「ネットで人気のコンテンツを、そのまま本にする」というのが「書籍化」の中心でした。


そういえば、この時代、人気があった研修医の日常を描いたブログに書籍化の話が持ち上がったのですが、その際に出版社側から出された条件が「ブログの過去ログを消すこと」だったというのを聞きました。
結局、その作者は考えた末に過去ログを消すことを拒否し、書籍化も流れてしまったのですが、当時は「出版社側」のほうが「本にしてやるのだから」という姿勢でいたのでしょうね。


そして、「テキストコンテンツの書籍化」がまだ初まったばかり、だと思われた2004年に、ひとつの作品が「ネット発のテキストコンテンツの歴史」を変えました。


それが、これ。

電車男 (新潮文庫)

電車男 (新潮文庫)


本は大ベストセラーとなり、テレビドラマや映画にもなりました。
僕も本を買って読んだのですが、最後、電車男エルメスの気持ちが通じたことを祝福する『2ちゃんねる』住人たちのAA(アスキーアート)の洪水には、目頭が熱くなりました。
電車男』のネット発コンテンツとしての大成功には、ふたりのロマンスというよりも、その背景にいる「名無しさん」たちの声を丁寧に掬いとった編集者の慧眼があったのではないか、と思うのです。
メインストーリーだけをまとめて本にしても、絶対に味わえなかった「周囲をまきこんでの興奮」が、そこにはあった。


この『電車男』は、「書籍化されたテキスト系コンテンツ最大のヒット」であるのと同時に、あまりに完成度が高すぎて、これを頂点に「テキスト系コンテンツの書籍化」は、衰退期に向かっていくことになります。
「2匹目の『電車男』」をみんなが狙ったのだけれども、結局、これを超えることはできなかった。
この頃から、インターネットが「ごくあたりまえのツール」になってしまったことも、影響しているかもしれません。


この『電車男』と同時期に、個人のテキスト系サイトは、ブログ時代へと移行していきます。
なかでも、「ブログの女王」と呼ばれたこの人の存在感は大きかった。

眞鍋かをりのココだけの話 (ココログブックス)

眞鍋かをりのココだけの話 (ココログブックス)


これも売れました。
この眞鍋さんのブログは、「芸能人としての人気」だけではなくて、内容も面白かったんですよね。
高校時代から自分でサイトをつくっていたという眞鍋さんは「ネット的なふるまい」「ネット好きの人たちの趣味嗜好」をよく知っていたのではないか、あるいは、眞鍋さん自身が「ネット住民的」な人だったのではないかと思われます。
仮に芸能人じゃなかったとしても、ブロガーとして人気になっていたのではなかろうか。


眞鍋さんに続け、と「芸能人ブログ本」ブームがやってきたのですが、芸能人で「テキストブロガー」として眞鍋さんを超えられた人は、ひとりもいないと思います。



生協の白石さん

生協の白石さん

これも大ヒット。
何気ないやりとりでも「ネットで拡散」されると、なんだかすごく面白いものを見つけたような気分になる、まだそんな時代でした。



この『電車男』『眞鍋かをりのココだけの話』『生協の白石さん』の時代が、「ネット発のテキスト系書籍の最盛期」だったのです。
2004年から2005年にかけて。
その後は、「ネットでのコンテンツをそのまま本にする」というやり方では、うまくいかなくなってしまった。
インターネット環境が圧倒的に良くなり、高速回線が普及したことにより、「直接ブログのほうを見たほうが速くてタダ」ということになったし、そもそも「本をわざわざ手に取るより、いま持っている携帯電話(スマートフォン)で見たほうが手っ取り早い」という時代にもなりました。
実際のところ、「ネットのコンテンツをそのまま書籍化したもの」が物珍しいものとして売れたのは、2003年から2005年にかけてのごく短い間でしかありませんでした。



ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

2ちゃんねる』のスレッドまとめ系では、2008年にこのスマッシュヒットが出て、映画化もされましたが、『電車男』の盛り上がりには遥かに及ばず。


2013年に出たこちらの本では、「まとめ」が作られた時点で、内容の真贋+「フィクションをフィクションと明言しないまま、事実のように書くことが許されるのか?」という論争になりました。
著者が「自分がつくったフィクションである」と書籍化のときに表明しましたが、ネットでの反応は冷淡で、肝心の本はあまり話題にならず。


眞鍋かをりさん以降も「テキスト系ブログの書籍化」は続いていくのですが、多くは商業的に大成功とはいきませんでした。

僕秩プレミアム! (アフタヌーン新書 004)

僕秩プレミアム! (アフタヌーン新書 004)

僕秩プレミアム! (アフタヌーン新書)

僕秩プレミアム! (アフタヌーン新書)

これが2009年。
人気テキストサイト、とくに「ネタ系」のサイトは、意外と書籍化されておらず(あの『侍魂』も書籍化はされていません(僕が調べた範囲では見つかりませんでした))、紙の書籍になっても、大ヒットはなかなか難しいようです。
いやそもそも、文字だけの小説があまり売れてないんだから、シロウトの「ちょっと面白い人」が書いたものが、そんなに売れるわけないじゃないか、と言われると、返す言葉もないのですが。


「ネットのテキストコンテンツをそのまま書籍化したもの」が、なかなか成功せず(ブログの書籍化は売れない」というのが出版業界で「定説」になってきました。
一方で、「ネット発の書き手」は、どんどん増えていったのです。


その代表格といえば、なんといってもこれ。


この「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」は、著者の岩崎夏海さんがブログにプロットを書いたものを、加藤貞顕さんという伝説の編集者が見て、執筆を依頼し、大ベストセラーにしたものです。
もしドラ』そのものがネットに書かれていたわけではないのだけれど、加藤さんは、岩崎さんとそのアイディアを「見出した」わけです。


「ネット上の面白いコンテンツを見つけて、そのまま書籍化する」というモデルは、ほとんどうまくいかなかったのです。
それはやはり「ネット向け」に書かれているものであり、紙の書籍を読む人の嗜好とは、ちょっとズレているものが多かった。
そして、いまの時代では、ネットに存在しているものを書籍化しても、お金を出して買うことにためらってしまう。


そこで、編集者たちは、「ネットのコンテンツをそのまま書籍化するのではなく、ネット上の面白そうな書き手を探し、その人たちにオリジナルの(ネットでは公開されていない)文章を書かせる」ことにしたのです。


最近では、この本がその成功例でしょう。

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと



書く側も、『小説家になろう』のような「登竜門的なサイト」に応募するもの以外は、「書くのだったら、ネットのコンテンツの転載では売れないのではないか」と考えるようになった。
あるいは、「1エントリ完結」ではない、長い物語や論考を、ネットとは別に、書籍に書くようになったのです。


考える生き方

考える生き方

考える生き方

考える生き方


あれだけ膨大なコンテンツを持っていたfinalventさんがはじめての著書で書いたのが「自分の半生」だったというのは、僕にとっては意外でした。
でも、finalventさんは、ブログが「お金」を結びつくときに失われるのは「お金にならない、普通の人の言葉」なのではないか、と考えていたのではなかろうか。
僕は「普通の人の、普通の言葉」が好きでブログをずっと読み続けているので、冒頭のエントリの「おもしろくない」ブログこそ、僕にとっては「面白い」のです。
ネットの個人サイトやブログの最大の長所って、「歴史上はじめて、お金にならない普通の人の人生が可視化されたこと」ではなかろうか。
変わった人、突き抜けた人って、お金になるから、「見えやすい」んですよ。
実際、「個人の体験を書籍化した人の仕事や考え方」を読むと、「こりゃ、ついていけないな……」というものばかり。
ずば抜けて成功する人は、「特異な存在、正規分布外の人間」である可能性も高い。
僕はそういうのに触れるのに疲れていたし、自分の人生に役立つとも思えなかった。
「お金にならないブログが存在しうることこそが、ブログ文化の『豊かさ』ではないか」と考えているのです。


脱線してしまいました。そろそろ締めます。


2010年以降で、「テキスト系ブログのなかで、商業的にも書籍化して成功した」のは、この方くらいではないかと。


ちきりんさんの「ブログと書籍についての考え」を読むと、「紙の本や電子書籍を売るためにブログを書くのではなくて、ブログへの集客のために、紙の本や電子書籍を出しているのだ」と仰っています。


最近では、こちらの方も「書籍化」されていますね。

暇な女子大生が馬鹿なことをやってみた記録

暇な女子大生が馬鹿なことをやってみた記録

この「暇な女子大生」さんをみていて感じるのは、「なんか、テキスト系コンテンツの文化って、一周して、『POPOI』の時代っぽくなってきたんじゃないか?」ということなのです。
イベントとかもやって勢力的に活動されているところは、違うといえば違うのですが、結局は「書いている人のキャラクターそのものこそが、コンテンツ」というところに、回帰してきているような。
なんだか、ラジオのパーソナリティ的な存在だな、と感じます。



今後は、「インターネットや、ブログにまで手が届かない高齢者やネットをショッピングとメールとYahooニュースにしか使わない人」にアプローチする手段として、「書籍」が使われることが多くなりそうです。
いままでは「書籍化」はステータスであり、憧れ(僕にとっては、ですが)だったけれど、これからブログをやっていく人にとっては「(ブログをアピールするための)ひとつの手段」になっていく、いや、たぶんもう、そうなっているのではないかな。


「ネット発」は、当たり前すぎて、宣伝文句としても弱くなってしまった。
むしろ、「ネットでは一文字も書いたことがない新鋭作家のデビュー作!」とかいうほうが、ちょっと「そそる」よね。

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