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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

日本のハロウィンと「誰もが発信する側になる社会」

海外反応! I LOVE JAPAN : 日本のハロウィンを外国人が大絶賛! 海外の反応。


もう皆さん過去のことになってしまっているかもしれませんが、なんか今年もすごい盛り上がりだったみたいですね、日本のハロウィン。
というか、「日本の」とはいっても、あの渋谷スクランブル交差点の喧噪は、九州の地方都市で生活している僕にとってはまったく別世界の出来事のようなのですが。
サッカーのワールドカップで日本代表が活躍したときの大騒ぎとかも、まあ、「テレビの向こうの出来事」ですし。


僕自身は、それでみんなが楽しんでいるのなら、良いのではないか、と思っていますし、受動的にしか楽しめず(というか、僕にとっては大概楽しくない)バレンタインデーよりは、子どもたちも一緒に楽しめるハロウィンのほうがはるかにマシです。
(まあ、マシとか言っている時点で、そんなに積極的ではないのもバレてしまいますが)


しかし、このハロウィン騒ぎをみていると「日本人って、こんなにコスプレ好きだったっけ?」と驚かずにはいられません。
僕はもう40代半ばのオッサンなのですが、その人生の大部分において、「コスプレ」って、学園祭とか職場の忘年会で、好事家がはりきってやるか、強制の宴会芸のなかで嫌々やらされるもの、でした。
嬉々として志村けんさんの白鳥をつけている人もいたけれど、大部分の人は「すみません、無理にやらされています感」を出していたものだったのに。
近年も、コミックマーケットなどで、キャラクターのコスプレをやっている人たちはいたけれど、あれは仲間内での符牒みたいなもので、大通りでみんなに見せるという習慣はありませんでした。


それが、なぜあんなにも多くの人が、嬉々として、「不特定多数」の人々の前で、コスプレをするようになったのか?


それはやはり、個人個人が発信者となる世の中というか、facebooktwitterやインスタグラムなどの影響が大きいのではないかと。
これまでは、「仮装パーティ」をするためには、自分を含む同好の士がそれなりの数いなければ成立しなかったのだけれど、今は、「ネットの向こうの誰か」を観客として想定することができるわけです。
今回の渋谷スクランブル交差点には、たくさんの取材も入っていましたし。


「日本人は目立つのが苦手」だというのは僕が勝手に抱いていた幻想で、「観ている人がいないところで目立とうとしている自分を見つめるのが苦手」だったのかもしれません。
小さくは忘年会、大きくなればコミケ、そしてSNSなどの「確実に観客が存在する場所」では、けっこう思いきったことができてしまう。
「発信する側になる」「他人に観てもらえる」というのは、けっこう快感であるということに、こんなに多くの人が気づいてしまった社会というのは、おそらく人類がはじめて経験するものなのではなかろうか。


「発信する」「観てもらう」ことによって、人の行動は変わっていくのです。
昔、不倫告白サイトみたいなのが乱立していた時期が、ネットにもありました。
それはまだ個人サイト黎明期のことだったのですが、当時は、「そういう不倫の当事者を応援する」という雰囲気のほうが濃厚で、「そんな反社会的なことはやるべきじゃない」と言うような人のほうが目立ちませんでした。
僕は彼らのやりとりを観ながら、そのサイトをやっている人が「自分に酔ってしまって、かえってめんどくさい方へ自分を追いやっている」ように見えたんですよね。
まあ、そういうのは他人事ではなくて、ブログを書くようになって、僕はそれまでよりも「面白いことがあったら、やってみよう」と思うようになったし、そう行動するようになりました。
僕の場合は不倫とかには行かずに、大嫌いだったジェットコースターに乗ってみたり、マイナーな展覧会に行ってみたり、という程度のことですが、「発信側」にならなかったら、たぶんやらないことを、やるようになりました。
何かを発信し、そのフィードバックを得ることによって、発信者自身も変わる。


どうせ死ぬ身であるのならば、やらないで後悔するより、やってみて後悔するほうがマシ。
僕はそう思います。
というか、年をとってきてから、そう思うようになりました。


blog.esuteru.com


そういえば、昨年はハロウィンの後の「ゴミ問題」が報道されていたのですが、今年はこんな動きもあったようです。
実際、西野さんと「西野さんのやることを無くしてしまおうとした人々」が、どのくらいの活動をやったのかは、これを読んだかぎりではよくわからなかったのですが、ただ馬鹿騒ぎをしているだけではなくて、こんな「自浄作用」も起きてきている。


まあでも、こういうのを観ていると、「ネットによる相互監視社会」を心配しがちな僕でも、「ネットでみんなが緩くお互いの行動をチェックする社会というのは、そんなに悪くないのでは?」などと考えてもみるのです。


d.hatena.ne.jp


『評判の科学』という本のなかに、こんな話が出てきます。

 すでに、カメラ付き携帯電話とウェブの力を組み合わせることで、悪い行動を暴露するサイトも登場しています。たとえばIhollaback.org(アイホラーバック、「大声あげるわよ」の意)のようなサイトでは、通りで女性に嫌がらせ(ストリートハラスメント)をしている男性の写真やレポートを投稿できます。Dontdatehimgirl.com(「彼とデートしちゃだめよ」の意)とiparklikeanidiot.com(「アホみたいな駐車をしています」の意)は読んで字の通り。とはいえ、こうした行動の監視方法には、利益だけでなく限界や落とし穴もあります。人々が自分の評価を誇張しようとしたり、こうしたシステムを悪意を持って利用したりする可能性があるからです。極端な評価を無視するシステムなどを設計すれば、武器代わりのフィードバックを防ぐことはできるでしょう。ただ、人間の複雑さは、そう簡単には修正できません。<<

 ネットでのうわさは、現実世界でのうわさと同じように、セクハラをする人や暴力的な警察、ブラック企業、偽善に満ちた政治家といった、身体的、財政的、政治的な力を乱用する人々に対抗する武器として役立ちます。行動が暴露される可能性はどんどん増えています。グーグルではイメージ検索に顔認証ソフトを組み込もうとしているので、バスで性器をちらりと見せてきた男性の写真を撮れば、相手が誰なのかを突き止めてフェイスブックのページを見つけ、その人の友だちに知らせることができるようになるでしょう。


 ネットのおかげで、酷い接客や、公共交通機関のなかでの暴言などは、拡散される可能性が高くなりました。
 それは、ある種の人々の暴発を抑止することにつながっているはずです。
 もっとも、こういう「監視と拡散」は、過剰になりやすいのも事実で、こんな事例が紹介されています。

 また、ネットの匿名性のために、人々は批判的で攻撃的になるし、学期末レポートの盗作や、他人の携帯電話を盗み見するといった小さな罪を犯した人が、辛辣な言葉でさんざん非難された例はいくらでもあります。何かばかなことをしている姿がユーチューブに流されると、皮肉なコメントが津波のように押し寄せます。その良い例が、ゴルフボールを回収するときに使う棒を、ライトセイバーのように振り回す自分の姿を録画した、ギスラン・ラザ、別名スター・ウォーズ・キッドと呼ばれる少年です。ラザの同級生がネット上に掲載した映像は、その後9億回以上も再生されました。その結果、彼は転校し、精神科の治療まで受けたのです。


 こういう「誰もが発信する側になる社会」には、良いところも、悪いところもある。
 それはときに、発信者自身にはコントロール不能な、大きな波になって跳ね返ってくることもある。
 ただし、全体的にいえば「良いことも、悪いことも、みんなに知られる可能性が高くなった」にすぎない。
 

 まあ、日本人のハロウィンへの違和感も、おそらくみんな「慣れていないだけ」なのだと思います。
 今では誰も文句を言わなくなった、バレンタインデーとかのほうが、よっぽど「ひどい」よ。
 モテない僕にとってはさ。
 この「コスプレ祭り」が、これから本当に定着するのか、正直、半信半疑でもあるのだけれど。


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