いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『スーパーマリオメーカー』と「レベル1でドラゴンと遭遇してしまう問題」

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ニコニコ動画』で、ランキングが『スーパーマリオメーカー』の動画で埋め尽くされている、ということの是非が問われています。
僕はそんなに最近のゲーム実況は観ないので(観るのは、昔のマイコンゲームの動画がほとんどです)、あんまり一時のランキングにとらわれていても、しょうがないんじゃない?どうせ何ヵ月かしたら、また他のゲームの話になるだろうし、という感じなのですが、これだけ話題になっていると、『スーパーマリオメーカー』というソフトには、けっこう興味がわいてきました。


www.youtube.com


それで、Amazonのレビューなどを読んでみたのですが、実際に遊んでいる人の(一部の)声として、いや、嘆息みたいなものとして、こういう意見がけっこうあったんですよね。


www.amazon.co.jp


 いろんな人がつくったコースを遊べるのは良いのだけれど、自分がつくったコースを配信しても、ほとんど他の人には遊んでもらえないのが虚しい。
 注目されるのは、一部の人がつくった「全自動マリオ」とかだけ。


 うーむ、これはまさに「インターネット時代の孤独」みたいなものなのかな、と。


 僕はオールドゲーマーなので、昔から、多くの「エディット機能がついたゲーム」をみてきました。
 『倉庫番』とか『ロードランナー』とか『フラッピー』とか。
 ちょっと時代が新しくなると、『RPGツクール』などの「ツクールシリーズ」なんていうのもありました。
 最近でも、プレイステーションの『リトルビッグプラネット』には、エディット機能がついていましたね。


 僕も昔は「面エディット」をやって、弟や友だちに遊んでもらっていた記憶があるのですが、当時は、雑誌などでコンテストが行われることはあるものの、基本的には「顔が見える知り合いに遊んでもらう」あるいは「自分で遊ぶ」ことが前提でした。
 それが、いまの、とくに『スーパーマリオメーカー』に関しては、「つくったコースをリアルタイムでネットで配信して、世界中の人に遊んでもらえる」ようになったのです。
 これは画期的なことであり、遊ぶ側にとっては、死ぬまで遊び切れないほどの、大量のコースが目の前に現れました。
 ところが、実際にそうなってみると、大部分の「普通の人がつくった、普通のコース」は埋もれてしまい、誰にも遊んでもらえることがないのです。
 そして、その現実というか「人気がある人との格差、実力差」みたいなものを思い知らされ、打ちのめされる結果になってしまった。
 もちろん、そんななかで、「もっとすごいのを作ってやる!」と情熱を燃やしている人や、「子どもが作ったコースを、家族で遊んでいる」という人も少なからずいるわけですけど。


 僕が子どもの頃の「創作」って、まず、つくった小説なり漫画なりを、身近な人(家族や友だち)に見てもらうところがスタート地点でした。
 そこで、自信をつけたり打ちのめされたりしながら、次のステップとして、雑誌に投稿する。
 そして、プロの目利きの洗礼を浴びて、生き残ったものが、読者の目にさらされ、評価される。
(同人誌、という選択もあるにせよ)
 けっこう、ステップアップの手段が明確だったんですよね、昔は。
 いまは、いきなり「世界」と戦えてしまう。
 それは、「ものを作ろうという人々」にとって、プラスの面ばかりなのだろうか?
 まだ未熟な時期に「世界の壁」を思い知らされて、打ちのめされ、「やっぱり、任天堂のゲームデザイナーがつくった面のほうが面白いや」と、創作する側から降りてしまう人が増えるのではないか。


 もっとも、「そこで降りるようなヤツは、どうせその階段をのぼりきることなんてできないんだから、早めに降りてしまったほうが時間を有意義に使える」という考え方もあって、それも間違いではないんですよね。
 こういう時代なのだから、こういう時代に負けないような気概と能力を持っている人を選別するのは、正しいのかもしれません。
 「せっかく作ったのに、遊んでもらえない人がかわいそうだから、この平凡なコースで遊んでくれない?」ってお願いされても、僕だってやらないし。
 「本当に万人が遊んで面白いような、バランスがとれたコース」って、それはそれで『ニコニコ動画』では人気にはなりにくそうではありますが。


 これは、『スーパーマリオメーカー』だけの話ではなくて、「小説家になろう」とか「ユーチューバー」「個人ブログ」などでも同じなんですよね。
 技術的な参入障壁が低くなっている一方で、並大抵の覚悟では、「新規参入」して成功することができなくなっている。
 インターネットは「クリエイターの裾野を拡げている」ようにみえて、実は「もしかしたら、大樹に育つかもしれない芽を、芽のうちに絶望させ、枯らしている」のかもしれません。
 「やってみよう」という母数が減れば、全体の質も、将来的に低下してくる可能性はある。
 

 そういう意味では、スポーツの世界とかは、「レベル1でドラゴンと遭遇してしまう可能性」が低いようにマネージメントされているような気がします。
 

 ただ、いまの世の中って、「こういうふうに『世界の壁』にぶち当たって困惑するユーザーの反応もまた、コンテンツである」とも言えるのですよね。
 われながら、悪趣味だとは思うのだけど。



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