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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

松本人志さんや福山雅治さんが「そっちをネタにするのって、ちょっとご免」と敬遠するようなことを、僕は平然とブログに書いているのだ。

numbers2007.blog123.fc2.com


www.sponichi.co.jp


福山雅治さん、吹石一恵さん、ご結婚おめでとうございます。


最近、あちこちで、「福山雅治さんが、『オールナイトニッポン魂のラジオ』を終了させた理由は「家族のことをラジオで喋りたくなかったからではないか」という推測を、松本人志さんや岡村隆史さんといった、「ラジオで喋ることにこだわりを持ち続けていた(いる)人」たちがしているのを見かけます。
僕自身は、福山さんのラジオは、日曜日の昼下がりの番組を出かけるときに流しているくらいで、熱心なリスナーではないのですけど。

僕の場合、こうしてブログを書いていると、どうしても「自分自身の話」や「家族の話」とくに子どもの行動をネタにしてしまいがちなので、こういう話を聞いていると、やっぱり、家族の話って、「そっちをネタにするのって、ちょっとご免」っていう感じなのかなあ、と、後ろめたくもなってくるのです。
そこまでして、何かを「書く」必要があるのだろうか?
もちろん、「拡散力」が段違いだから、僕があれこれ書いても、どうってことないよ、という言い訳もできなくはないけれど、ネットって、大きな影響力を持っている人につながってしまえば、どんな小さな音でも、突然、大音響になってしまうことがある。


ラジオが大好きなパーソナリティでさえ、「家族の話は……」なのに、なぜ僕は「家族ネタ」を書き続けているのか?
あるいは、ネットには、どうしてこんなに「身内の話」を書いてしまう人が多いのか?


ao8l22.hatenablog.com



「表現」とか「他者に注目されること」って、魔物に見入られることだと思うのです。
僕たちは、ネタにしている相手に許可をとっているわけではないし、相手がそれを望んでいるとは限らない。

個人を特定されないようにフェイクをまじえたりすることもあるけれど、それは「言い逃れ」みたいなもので、「書くなよ」と思う人のほうが、多数派なのではなかろうか。
でも、その声を、書く側は、聞こうとはしない。


息子との交流を描いた椎名誠さんの名作『岳物語』に関して、こんなエピソードがあります。


岳物語』は、不器用な父親と息子との交流を描いた「すばらしい作品」です。
でも、椎名さんの息子さんは、こうして自分がモデルになった作品が世に出てしまったことに、ずっと反発していたそうです。


「おとう、もうおれのことを本に書くのは、やめてくれよう」


岳物語』には、悪口なんて、書いてないんですよ、本当に。
読者からみれば「ほほえましいエピソード」ばかり。
それでも、当事者にとっては、とくに子どもであれば、自分のことが、自分の知らないところで「作品」にされて、多くの人の目に触れて、初対面の人に『あっ、あなたがあの岳くん!』とか言われるのは、たまらなく苦痛だったのです。
僕だって、自分の父親が、大人の友人の前で、「うちの子は……」なんて話すだけでなんだかイヤだったし。
「バカだ」と言われたら腹が立つ、「できる」と言われても「他人の前でそんなこと言って、恥ずかしくないのかよ」と反発する。
自分が「売り物」にされて、世間の目にさらされているような気がしていました。


個人的には、息子がネットを自分ひとりで使うようになったら、もう引退すべき時期かな、と思っています。
本当は、小学校になったらやめるつもりだったのだけれど、なかなかやめることができなくて。
妻だって、こうしてときどきネタにされているのを知れば、喜びはしないはず。


世の中には「自分が採りあげられないと物足りなく感じる人」というのもいますし、佐々木健介さん・北斗晶さんファミリーのように「自分たちが有名人家族であることを受け入れた上で、社会に自分たちができることを発信したり、他者と励まし合って生きること」を選択する人もいます。
それもまた、ひとつの選択であり、どちらかが正しいとか間違っているとか、そういうものじゃないのだけれど。


家族でも身内でもネタにできるものはする、というのは、表現したい人の「業」みたいなものなのかもしれません。
ただ、それを続けていると、自分で考えている以上に、自分自身や周囲の人を傷つけてしまうことがある。


身内の話って、諸刃の剣で、相手に親しみを持ってもらうのに役立つ、という場合もあれば、「自分のことばかり話す人」だとみなされるリスクもあるのですよね。
ただ、突き詰めていくと、普通の人間って、「自分の話」しかできないんだな、って僕は思っています。


しかし、いくら影響力が違うとはいえ、ラジオで喋り続けることをライフワークにしてきたような人たちがためらうようなことを、僕は平然とやり続けているのですよね。
「自分の話を聞いてもらいたいという欲求」って、恐ろしい。