いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「子供ができたので、親になった」だけの男の話

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僕の後輩にも、「子供を持たない選択」をした夫婦がいます。
彼らは、「もともと子供好きじゃないし、育児にかけるお金や時間があるのなら、2人で旅行に出かけたり、美味しいものを食べたりして過ごしたい」という共通の価値観を持っており、それを公言していました。
で、彼らのうちの一方が、結婚後、「やっぱり子供が欲しい!」ということになって、大げんかの末に別れた、とかいうことになれば、溜飲が下がる人もいるのかもしれませんが、今のところは、仲良く2人で暮らしているようです。


僕自身も、あまり自分が好きじゃなくて、自分の子供を好きになる自信もなかったので、子供を積極的に欲しいとは思っていなかったんですよね。
でも、「絶対に要らない」というほどの強い信念もなく、「子供ができたので、親になった」という流れで、今に至っているわけです。


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コスパ」っていう言葉が、過剰反応を生み出しているのかもしれないけれど、この増田さん(「はてな匿名ダイアリー」を書いた人)は、「自分たちは自由意志で子供を持たない選択をしているのだから、それを周囲が責め立てないでほしい」ということを言いたいのだろうと思う。
それは尊重されるべきことだよね。


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こういうネット上での反応をみていて感じるのは、ネットでは「発言者を責めるコメント」が集まりやすい、ということなのです。
これとはまったく逆の「結婚していて、体質的な問題じゃないのに子供をつくらない夫婦はおかしい」というようなエントリが「はてな匿名ダイアリー」に書き込まれれば、「そんなの個人の自由だろう」「いまの世の中は、金銭的にも出産・育児はキツいに決まっている」というコメントがたくさんつくはずです。


「何か叩けるものは叩いてやろう」みたいな人がいるのは事実で、「まあ、そういう考え方もあるよね」とか「人それぞれだし、この人はそれでいいんじゃない」という考えの人は、いちいちコメントを書かないことが多いはず。
そもそも、「社会のため」「日本の少子化対策のため」に子供をつくる夫婦なんて見たことないのに、こういうときにかぎって「社会」を持ち出してくるのは、アンフェアじゃなかろうか。


実際のところ、少子高齢化は、これからの日本の社会を難しくしていくのは、まぎれもない事実ではあるのだけれど。


『ヒトはこうして増えてきた: 20万年の人口変遷史』という本のなかで、著者は、「出生、死亡、移住に着目してヒトの歴史を見直すと、四つのフェーズに大別できる」としています。
 第一フェーズは、アフリカで石器を改良して生活していた時期。
 第二フェーズは、ヒトの祖先がアフリカ大陸から西アジア、そして地球上の広い地域に移住した時期。
 第三フェーズは、ヒトが定住生活をはじめ、農耕と家畜の飼育を発明した時期(旧大陸では1万年以上前、新大陸では6000~7000年くらい前)。
 第四フェーズは、産業革命と人口転換の時期。


 この「人口転換」とは、「出生率も死亡率も高い『多産多死』から、死亡率だけが低下する「多産少死」を経て、最終的に出生率も低下する「少産少子」に移行すること」を指すそうです。
 日本では、この「人口転換」が1880年頃にはじまり、1950年代に終わっています。
 「少子化」は、半世紀くらい前からの潜在的な問題であり、最近にはじまったことではないのです。

 第四フェーズのもう一つの大きな特徴は、人口の認識に変化が生じはじめたことです。「世界人口」という認識が高まるとともに、地球環境や資源の持続性にとって人口が過剰と考えられはじめたのです。そのため、出生率の低下を目指す家族計画が推進されてきました。とはいえ、世界人口は現在でも一年間に7000人のペースで増加を続けているのです。人口増加に起因する環境問題、食糧問題、南北問題などは深刻の度を深めています。一方で、人口転換が終了し「少産少死」に移行した多くの国では、低い出生率がつづき人口減少がはじまっているのです。


 コスパ云々はさておき、避妊ができるようになり、個人個人が「自己実現」を目指すような社会、そして、子供がそんなに死なない社会では、出生率は低下するのが普通なのです。
 育児にはお金がかかるし、親の「生活の自由度」が失われるのは、まぎれもない事実なので。


 そして、『老後破産:長寿という悪夢』という本によると、

 1990年は、5.1人で、ひとりの高齢者(65歳以上)を支えていたのが、2010年には2.6人、2030年には1.7人となる。

 とのことです。
 「高齢者」に多く接しての実感としては、「65歳なんて、これからは高齢者のうちに入らなくなる」のではないかと思うのですが、若者世代への負担が増していくことも、間違いありません。


 少なくとも、自分の子供には「生まれてきてよかった」と思ってほしいけれど、正直、自信はあまりない。
 ただ、新しい時代には、新しい世代が、新しいかたちの幸福を見つけてくれるのではないか、と、楽観的に考えてもいるんですが。


 僕はこの『子供は人生で一番高い買い物だと思う』というエントリを読んで、親になる前の自分を思い出していました。
 親になる前、というか、自分が子供だった頃、若い頃のこと。
 前漢の初代皇帝となった劉邦は、負けてばかりの武将で、ある戦での逃走中に、馬車に一緒に乗っていた自分の息子を「逃げるのに邪魔だ」と馬車から何度も蹴落としたそうです。
 それを、御者が何度も何度も救い上げに行ったのだとか(ちなみにその何度も蹴落とされた子供が、二代皇帝になったのです)。
 フィクションでは(というか、劉邦の伝承も、本当に史実かどうかは微妙なんですが)、手塚治虫先生の『どろろ』で、主人公の百鬼丸は、父親が「天下統一」と引き換えに、子供を悪鬼たちに売り渡すのです。
 戦国時代をひもとくと、「国と国との同盟が敗れた際に、人質だった相手国の子供を処刑する」なんていうことは、頻繁に起こっています。
 自分が親になる前の僕は、そういう話に対して、「まあ、天下をとるためとか、自分の国全体のためなら、子供ひとりが犠牲になるのもしょうがないんじゃないか」みたいな感覚だったんですよ。
 子供ひとりの命で天下人になれるんだったら、そのくらいのことをやる人がいても、おかしくはないだろう、と。


 でも、自分が親になってみると、そういうのはダメだ、絶対にありえない。
 今、目の前のいる息子の命をくれたら、世界の支配者にしてあげる、という悪魔がやってきたとしても、答えは秒速で「No」なんですよ。
 想像上の「子供」に対しては冷淡に対処できても、それが一度自分の前にあらわれてしまうと、失うのが怖くて仕方ない。
 「子供を持ってしまった人たち」の中にも、僕のように、子供を持つ前までは、「子供って、いなくてもいいんじゃない?」って考えていた人は少なくないはず。
 

 個人的には、「生まない」選択はありだと思う。
 ただ、迷っている人には、「可能であれば、親になってみるのも良いんじゃない?」と言っています。
 人生、やってみて後悔するよりも、やらなくて後悔することのほうが、尾を引くものだから。


 「コスパ」って言葉には抵抗があるかもしれないけれど、「子供を持つこと肯定派」には、「お金や時間を遣う以上の、精神的な充足感がある」という考えもあるでしょうし、「その人にとっては、子供を持つことのコストパフォーマンスが、持たないよりも良い」とも言える。


 実際、子供を持つことって、リスクは大きいですよ。
 経済的な問題もあるし、どんなふうに育つかなんて、わからない。
 犯罪の被害者、加害者になるかもしれない。
 義父は、「同窓会に行くと、同世代(60代半ばくらい)の友人たちは、みんな自分自身の体調か、子供たちの問題(仕事がないとか結婚相手が見つからないとか、離婚してしまったとか)に悩まされているのだよなあ」と述懐していました。
 子供の存在は、必ずしも自分自身の将来を保証してくれるものではない。


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こういう話を読むたびに、「子供を持つことが最適解ではなさそうな人に、子供ができてしまう悲劇」みたいなことも考えずにはいられません。
その一方で、「子供が欲しいのに、できない人」もいる。


僕は、結果的に「子供がいる人生」を送ることになりましたが、それを自分なりに肯定して生きていくしかない、と考えてはいるのです。
なんのかんの言っても、仕事を終えて家のドアを開けたときに「おかえり〜」と6歳の長男が走って飛びついてきたときの「重さ」が嬉しいし、もうすぐ1歳の次男が、はじめて自分でスプーンを持って離乳食を口まで運んだときには、「人間って、こうやって、生まれたときにできなかったことが、ひとつひとつできるようになっていくんだな」と、人生の秘密を一つ解き明かしたような気分になりました。
自分自身では、なんでも自然にできるようになっていたつもりだったけど、それは、周りがいろんな積み重ねをしてくれた結果、なんだよね。
そんな「あたりまえのこと」が、それまでの僕には実感できていなかった。


子供がいなければ、もっといろんなところに行けたかもしれないし、教育方針で、夫婦喧嘩をしなくても済んだかもしれない。
そう思うことも、あります。


それでも僕は、自分の選択を、後悔したくない。


子供を持つこと、持たないことそのものが幸福だったり、不幸だったりするのではなく、子供の有無にかかわらず、幸福な人もいれば、そうでない人もいます。


僕は、ずっとずっと、消えてしまいたい、というのと、死ぬのが怖くてしょうがない、の間をフラフラしていたのです。
でも、子供たちを見ていると、「ああ、これで自分は死んでも良いかな」と、ふと思うことがあるのです。
ちょっとだけ、「やりとげた感じ」がする。


まあ、「コスパが悪いことを、あえてやる」っていうのは、最高の贅沢、でもありますよね。
「子供って、ここまで言うことを聞いてくれないものだとは思わなかった……」と、苦笑することも多いし、「子供サイコー!」とか自分に言い聞かせないとやってられないことも、いっぱいあるんですけど。



ヒトはこうして増えてきた: 20万年の人口変遷史 (新潮選書)

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老後破産:長寿という悪夢

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