いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「特別模範騎手」藤田伸二の引退に思う。

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 藤田伸二騎手が今年(2015年)の札幌開催の閉幕とともに引退を発表しました。
 引退式などはせずに、「静かに去る」とのことです。
 以前から、北海道で過ごすのが大好き、という話はきいていました。
 一般的な騎手や調教師の「引退」のタイミングである2月末にこだわらずに、好きだった札幌競馬の閉幕にあわせてターフを去る、というのも、ずっと「自分のやりかた」を貫いてきた藤田騎手らしいな、と。


 歴代8位、現役5位のJRA通算1918勝。G1レース、17勝。
 勝負強い騎手で、とくに大一番に強かった。
 強面で、逃げ馬に乗るときは、他の騎手を恫喝して自分の馬を行かせる、なんて噂もありました。
 Wikipediaにも、競馬学校で同級生だった人が語っていたという「藤田伸二という騎手」の話が出てきます。

 中央競馬の元騎手で競馬評論家の安田康彦は、藤田にはレース中に自身が騎乗する競走馬の進路を開けるよう大声で騒いだ上、従わない騎手に対しレース後に食ってかかる傾向があり、競馬学校の同期(第7期)にあたる安田でさえ「ホンマはやったらアカンこと」と認識しつつ「うるさく言われるのが嫌で」藤田の言いなりになっていたと告白している。安田は藤田を「あの人は客観的に物事を考えられない」と評している。

 何度も「フェアアプレー賞」を受賞し、「1996年より2008年まで12年間も、レースでの騎乗停止がなかった」という「模範騎手」であった一方で、2006年12月には飲食店で店員に暴行したということで、3ヵ月の騎乗停止処分を受けています。
 お酒のことを「やんちゃ水」と呼んでいた大の酒好きで、タバコも「中学2年生から切らしたことがない」と公言していました。
 

 すごく上手くて、圧倒的な結果を出してきた騎手ではあったのだけれど、近年は急に騎乗数が減り、競馬ファンのあいだでは「藤田、どうしたんだろう?」って言われてはいたのです。
 2013年の著書『騎手の一分』のなかでは「もう現役に未練はない」というようなことも書いていたので、今回の引退発表は、「ああ、『大好きな札幌での競馬』を最後にしたかったのだな、と、僕には驚きはありませんでした。
 大きなトラブルや怪我があったわけでもないのに、こういう形でJRA日本中央競馬会)と「決別」してしまったのは残念ではあるけれど。


 著書『騎手の一分』のなかで、藤田さん(騎手、じゃないし、いきなり「元騎手」にしてしまうのも躊躇われるのです)は、こう仰っています。

 ミルコ(・デムーロ)のように、一部の外国人騎手が活躍したおかげで、「みんな上手い」というイメージがついているようだけど、実際には、そんな上手い騎手ばかりではない。失敗をしたってすぐに国に帰って、ほとぼりが冷めたころに戻ってくる。そうなると日本人には悪いイメージは残っていない。
 それに対し、俺ら日本人はずっといて、自宅は厩舎の近くにあるから、一度ミスしたら悪いイメージばかりがずっと残ったりする。ミスした馬の調教助手や厩務員と近所ですれ違って気まずい思いをしたことも多々ある。その差は大きいよ。
 だから、今の大手クラブなどの馬主のかなりの人たちっていうのは、日本人に騎乗させたくないと考えているのかもしれない。神頼みみたいな感覚で、外国人騎手に頼んでいるんじゃないのかな。
 そうした外国人騎手を起用したがる人たちに、あえて問いたい。
武豊じゃダメなんですか?」
 俺的には、やっぱり今でもトップに立つべきなのは武豊だと思っている。武豊がG1を勝ったらみんな喜ぶけど、外国人騎手が勝って誰が喜ぶの? って。
 だからもし、俺が馬主なら、絶対に外国人騎手なんて乗せない。もちろん武豊に依頼したいね。


 そして、いまの競馬界で、騎手の生命線となった「エージェント」について、こんなふうに書いています。


(藤田騎手によると、エージェント制度は、騎乗以来が殺到して自分だけの力ではうまく管理できなくなった岡部幸雄元騎手が、1990年代半ばに始めたとされているそうです)

 いわば自然発生的に表れたスケジュールの”調整役”を利用する騎手が、徐々に増えてきた。だから、騎手と正式な契約をする”エージェント(騎乗依頼仲介者)”として、JRAに届け出なければならない制度が始まったのが、2006年5月、ということになる。
 本来、騎手の負担を軽減することが目的で始まったエージェント制度だけど、その問題点というか弊害が出てきている。
 今、JRAに登録し、実質稼働しちえるエージェントは約20人いて、そのうち15人ほどが競馬専門誌の現役記者。残りの5~6人が元記者だという。その名前は美浦栗東トレセン内にしか公示されていない。そんな不透明な制度だから、競馬ファンにはどの騎手がどのエージェントと契約を結んでいるか、よくわからない人が多いと思う。
 彼らエージェントは契約した複数の騎手を天秤にかけていて、どの騎手に一番走りそうな馬を任せるか、選んでいる。
 俺がつまらないのは、エージェントの実績や力加減、契約している騎手の序列を見れば、毎年1月1日の段階で誰がその年のリーディング(最多勝利)を取るか、だいたい見当がついてしまうってことだ。


 良いエージェントがついている騎手が、リーディング上位に行く今の競馬界というのは、まさにその通りなんですよ。
 ただ、それが「正しい」のか「間違っている」のかは、よくわからない。
 上手い騎手だから、良いエージェントがつく、というのはあるだろうし、そのあたりの事情に通じているはずの競馬記者たちでも、レースの予想がそんなに的中しまくるわけでもないのです。
 そもそも、騎手をアスリートと考えれば、人気アスリートにはマネージャーがいて、雑用をこなしてくれたほうが競技に専念できる。


 外国人騎手にしても、2015年夏に『競馬BEAT』でのミルコ・デムーロ騎手へのインタビュー時に紹介された厩舎関係者の話によると、ミルコが乗ったあとは、馬の筋肉に疲労が少なくて、調整がしやすいそうです。
 外国人騎手というと「豪腕」的なイメージがあるのだけれど、ミルコはレースでは結果を出すし、馬にも負担をかけない。
 というか、負担をかけない乗り方だからこそ、結果も出ているでしょう。
 たしかに、外国人騎手みんながミルコのように上手いわけはないのですが、騎乗依頼を集める外国人ジョッキーには、それなりの「理由」があるのです。
 「とりあえずそのレースに勝ってくれるけれど、大きなダメージが残ったり、競争馬生命に関わるような騎乗」は、勝てば種馬への道が開けるような勝負レースでもなければ、関係者だって望んではいないはず。


 外国人騎手や地方競馬出身者が重用されて、競馬学校出身の中央競馬騎手が冷や飯を食わされている、というのは、エージェント制度や「外国人騎手を買いかぶっているから」だけが理由ではないのです。


 藤田さんは、1972年生まれ。まだ40代前半で、僕と同世代です。
 柴田善臣騎手1966年生、横山典弘騎手1968年生、武豊騎手が1969年生ということを考えると、「まだ、もう少しは第一線でやれる年齢」なんですよね。騎手というのは、50歳過ぎまで乗っている人もけっこういますし。
 藤田伸二も、もうちょっと欲があって、偉い人、お金を持っている人に愛想良くできれば、もっとすごい成績を残せたのではないか、とは思う。


 乗っていた馬の質を考えれば、2000近く勝ったのって、すごいことです。
 「恫喝」だけで、残せる結果じゃない。
 これだけの実績を残している人なのに「もうちょっとなんとかなったのではないか」「なんかもったいない」と感じてしまうのは、プロ野球清原和博さんみたいだな、と。


 ただ、自分のこれまでの人生を考えてみても、「生きかた」なんてものは、なかなか変えられないんですよね。
 藤田さんの場合は、これまで、「それでも結果を残してきた」だけに、変えなければならないきっかけ」も無かっただろうし。
 ダイエットと同じで、人生においても、みんな「いちばんうまくいく、確実な方法」を知っているにもかかわらず、それを実行することができなくて、ラクしようとしたり、自己流を貫こうとしたりして、「挫折」してしまうものなのだよなあ。
 「本人が実感している限界」なんて、外部からは、よくわからないことが多いしね。


 なにはともあれ、騎手生活、おつかれさまでした。
 「この馬は要らないと思うんだけど、藤田か……なんか買わないと来そうで怖いな……」と悩むこともなくなるのかと思うと、寂しい。
 本当に、「競馬場の中でも外でも、記録にも記憶にも残る騎手」でした。
 


第63回日本ダービー フサイチコンコルド - YouTube

このレースのときは、「競馬に、こんなことがあっても良いのだろうか?」って驚いたものです。


「特別模範騎手」藤田伸二の第二の人生に、幸多からんことを。


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