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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「うまい言葉を見つける」ことができない悲しみや、もどかしさについて

『村上さんのところ』の単行本のなかに、こんな質問と村上春樹さんの回答が収録されていました。

Q:少し重い話をさせてください。昨年母が死にました。とても急なことで、ばたばたと葬式を終わらせ一息ついた私に待っていたのは「大変だったでしょう」という言葉でした。私はこの「大変だったでしょう」という言葉になんて返せばいいのでしょう。この言葉をかけてくる人は「母がなくなった大学生の娘」に同情したいだけではないかと考えてしまい素直に受け取ることができません。親を亡くした気持ちというのは経験のない人は理解できない心情だと思うし、母や父や子供よりも先に亡くなることが当たり前でそれがはやくきただけの私はなにが大変だったのかわからないのです。村上さんはこのような言葉をかけられたときなんと答えますか。 (匿名希望、女性、20歳、学生)


A(村上春樹):本当にお気の毒です。ショックであったと思います。
 でも実際に大変だったんじゃないのですか? まわりの人たちはあなたをなんとか慰めたいと思うんだけど、うまい言葉を見つけられないだけなんです。みんながうまい言葉を見つけられるわけじゃないんです。そのことを理解してあげてください。言葉というのは本当にむずかしいものです。僕がそんなときになんと答えるか? 「ええ、ずいぶん大変でした。ありがとうございます」と答える以外にないんじゃないですか? 
 たしか『ノルウェイの森』で、緑さんがお父さんの葬儀の少しあとで、「僕」と一緒に新宿にポルノ映画を見に行くシーンがあったと思います(よく覚えていないんだけど)。緑さんはたぶんあなたと同じくらいの年齢だと思います。よかったら読んでみてください。言葉にならないことってすごく大事なんです。だからそれだけに、言葉をあまり責めないように。


この質問と村上さんの回答を読んでいて、僕は父親が死んだときのことを思い出していました。
突然の死で、僕たち家族はものすごく混乱していて、僕は「あのとき、自分に何かできたことはなかったのだろうか」と、ずっと自分に問いかけていました。
そして、何かわけのわからない、巡り合わせみたいなものに、ひたすら打ちのめされていて。
あのときの僕は、もう20代、とはいえ、まだ20代前半だった。


そんな僕に、親戚の一人が、こんなことを言いました。
「大変だと思うけど、この経験は、きっと君の医者としてのプラスになるよ」
僕はそのとき、「そうですね……」と辛うじて返事をして、押し黙ってしまいました。
なんだか、ものすごく僕にとっては腹が立つ言葉、だったんですよ。
人は、誰かの「経験値」になるために生きたり死んだりするようなものじゃない、ましてや、自分の親の死を、そんなふうに「プラス」になんかできるわけがないだろう、って。
そのときのことを、ずっとずっと覚えていて。
あの人は、「なんかいいことを言おうとしていた」だけだったんじゃないか、と。


あれから20年近くが経って、僕はこの質問を読みながら、ようやく、腑に落ちたような気がしています。
僕もそれなりの年齢になって、これまでにいろいろな経験をしてきたけれど、言葉というのは、ときに、無力です。いや、無力なときのほうが、よっぽど多い。
目の前の苦しんでいる人を、どうにかして言葉で少しでも慰めたい、心を軽くしてあげたい、と思っても、適切な言葉って、なかなかうまく選択できない。
そもそも、上手い言葉を選ぶ能力と、本当に「共感」しているかは、「同じ」ではないのです。
言葉はたどたどしいけれど、あるいは、何も気のきいたことは言わなくても、「伝わる」こともあるし、「良い言葉」が、何も引っかからずに、するりと抜けていくこともある。


今から考えると、あのときの親戚も「何と言っていいのか、わからなかった」のでしょうね。
そのなかで、「勇気づける、ポジティブになれるはずの言葉」を選んだ。
残念ながら、あのときの僕は、無理矢理ポジティブにさせられることに耐えられる精神状態ではなく、反発してしまったのだけれど、「慰めようとしてくれたこと」そのものが、ひとつの「情」だったのです。


正直に言うと、今でも、「なんであのときは、あんなに不快だったのだろう」というのと、「でも、20年も経って、あの不快だった感情に上書きするのは難しいな」というのが、僕のなかで入り混じっています。
いまさら、「あのときのことを感謝する」というのも、自分に嘘をついているような気もするし。
ただ、あの時の僕は「言葉をうまく使いこなせないもどかしさや悲しみ」を知らない人間だったな、とは思う。


僕はこうしてネットでものを書いているのですが、ネットって、基本的に「言葉の世界」「文章の世界」なんですよね。
世の中には、言葉を綴ることが好きだったり、得意だったりする人がたくさんいるけれど、そういう表現方法が苦手な人もいる。
それは優劣というより、趣味嗜好の違いです。
ここは、言葉だけの世界だから、言葉が、ものすごく大事。
でも、だからこそ、「良い言葉」や「上手い表現」に、振り回されすぎないでほしい、とも思っています。
人の価値はそれだけではない、というか、「言葉を操る能力」なんて、そのごくごく一部でしかありません。
「書き言葉」は、人が話している言葉と比較すると、声音や声の大きさ、間、などの「情報」が削ぎ落とされているわけですし。


ああ、でもいま思い返してみると、結局のところ「その言葉に好感を抱くかどうか」って、「それを使っている人に、好感を抱いているかどうか」なのかもしれないな。
言葉で好感を抱くようになるのか、好感を抱いている人の言葉だから素直に受け入れられるのか。



村上さんのところ

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