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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「『新しいことやってます』という人は嫌いです」

最近、「オリジナル」と「パクり」の境界、みたいなことを考えています。
明らかな「コピー&ペースト」みたいなものはもちろんダメなんですが、一昔前のデザイナーが書いた本をみると、「アメリカの雑誌に載っていた西海岸の看板の写真からイメージをもらった」なんて話をしている人もいました。
たぶん、今みたいにネットでいろんな人が「検証結果」を公開するようになるまでは、「かなり参考にしたんだけど、誰も気づかなかった(あるいは、気づいた人がごく少数いても、それで大騒ぎする方法もメリットもなかった)のではないかな、と。


そもそも、「本当のオリジナル」というのは、どのくらい存在するのだろうか?


ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2005年10月号の恩田陸さんと鴻上尚史さんの対談記事より。

鴻上:たぶん、チェーホフは役者も選ぶんだよね。小津さんの映画と同じで。シェイクスピアは少々下手な役者がやってもそこそこ観られるものになるんだけど、小津作品もチェーホフも、名優たちがやんないと目も当てられないから(笑)。あ、今その話をしながら、今回ぜひ聞きたかったことを思い出したんだけど、恩田さんって、物語ることが好きなの?


恩田:好きというか、ストーリーというものに興味があるというか……。私には、ストーリーにオリジナルなんかないという持説があって。つまり、人間が聞いて気持ちいいストーリーというのは、ずっと昔からいくつかパターンが決まってて、それを演出を変えてやってるだけだと。でも、昔聞いて面白いと思ったストーリーは今でもやっぱり面白い。それが不思議で面白いから小説を書き続けている、という感じなんですよね。


鴻上:つまり、同じパターンなんだけど演出を変えるというところに今の作家の使命があると?


恩田:そうですね。だから、私は新しいことやってますという人は嫌いなんです。それはあなたが知らないだけで、絶対誰かが過去にやってるんだからと。以前、美内すずえさんのインタビューをTVで見ていたら、『ガラスの仮面』は映画の『王将』が下敷きになっていると。で、今なぜ自分は漫画を描いているかというと、小さい頃、一生懸命夢中になって観たり読んだりしたストーリーを追体験したいからだと。それは、すごく共感したんですよね。


僕もいろんな「物語」を読んできたけれど、その「類型」というのは、そんなにたくさんあるものじゃない。
いや、正確には「作ろうと思えば作れるのかもしれないけれど、みんなにウケる物語というのは、ある程度決まっている」というべきか。
「実験作」「失敗作」みたいなものも含めると、小説でもマンガでも現代アートでも、本当にたくさんの人がいろんなことをやってるんですよ。
でも、その中で、人々が「観賞に値する」と感じるものは、ごくひとにぎりで、「次の世代に受け継がれる」のは、さらにそのなかの選ばれたものだけで。
結局のところ、「全く新しい物語」なんて、そうそう作れるものではなくて、どう「演出」するかが大事なのではなかろうか。
「新しいもののように見せる」ということも含めて。
美内さんがこう仰っていても、『ガラスの仮面』を『王将』のパクりだ!と言う人はいないでしょうから。