いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

【読書感想】ぼくたちに、もうモノは必要ない。

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -



ミニマリズム」(あるいは、「ミニマリズム」と称する有象無象)について、さまざなま議論がなされているのですが、僕自身は「ライススタイルネズミ講」みたいなものではないか、などと書きながらも、その思想について、あまり体系的な知識は持っていなかったんですよね。

fujipon.hatenablog.com


そこで、最近話題になっている、この本を手にとってみました。
この本さえ読めば「ミニマリズム」のすべてがわかるとか、そういうのではないけれど(実際に、この本のなかでも、ひとぞれぞれの「ミニマリズム」がある、というようなことが書いてあります)、なるほどなあ、と思うところも少なからずありました。
著者は、「中道ミニマリスト」を自称しているそうで、その「往生際の悪さ」みたいなのにも、親近感がわいたのです。


「捨てる方法最終リスト55!!」のなかに、「捨てづらいモノは写真に撮る」というのがありました。

 このアイデアでぼくは救われた。ただ捨てられなくメソメソしてしまうので、今でも捨てるモノはよく写真に撮っている。この間は「爪切り」を写真に撮って捨てた。……見返すのかな、自分? 捨てるのが難しいのは、モノそのものの価値ではなく、モノにまつわる思い出だ。


「とにかく捨てろ、そんなの要らないだろ!」
ではなくて、こんなふうに「捨てられない人の気持ち」もわかっているんだな、ということに、ちょっと安心するのです。
僕も、長年乗った車を買い替えるときに、写真を何枚も撮ったことを思い出しました。
それで満足、というわけではないけれど、なんとなく、ふんぎりはつく。
そして、後から振り返ってみると、そうやって撮った写真を見返すことなんて、ほとんどないのですよね……


ずっと使わなかったものを、「まだ使っていないもの」と考えるか、「これだけ使わなかったのだから、もう使わないもの」と判断するか。
僕はずっと前者だったのだけれど、考えてみれば、いまの世の中では、よっぽどのレアものでないかぎり、本当に必要なら、手にする手段は、いくらでもある。
僕の部屋を占拠している、紙の本とかならなおさら。


著者は、「スマートフォン1台で、代用できる電化製品の数々」を写真にして見せてくれています。
ミニマリスト」は、「世捨て人」ではなくて、「新しい技術でも、使えるものは使っていい」。
これなら、僕にもできそうだ。


著者の佐々木典士さんは、「ずっと整理整頓好き」だったわけではなく、ちょっと前までは、「モノを捨てられない、汚部屋の住人だった」ことを告白されています。
僕自身は、いまでもまさにその「部屋にモノが雑然と積み重なっていて、片付けなければならないけれど、それがめんどくさくて先送りにしているうちに、さらに散らかり、片付ける気も失せてくる」生活をおくっているのです。
これを読んでいると、「片付ける」というのは、もともとの性格とか趣味志向だと考えられがちだけれど、「習慣化されているか」「いかに片づけやすい状況を維持しているか」が重要なのだな、とわかるのです。

 家事にかかる時間は、本当に圧倒的に減る。
 後に詳しく説明するが、部屋にモノを置かず、ミニマルにしていると、掃除にかかる時間は激減する。服を少なくすると洗濯の手間も省けるし、今日何を着るか、迷う時間も減る。

 汚部屋時代にはぼくは月1回ぐらい掃除機をかければいい方だったと思う。かなりモノを減らした後も、週末にまとめて掃除するだけ。今は毎朝、掃除機をかける。ぼくが変わったわけではない。モノが減って、掃除が簡単な環境に変わったから、ただ「習慣」になったのだ。


 モノを減らすと、掃除は本当に楽になる。たとえば木彫のふくろうの置物を持っていたとして、その床をぞうきんで拭くのにかかる手順はこうだ。
 

1 ふくろうの置物を、どかす
2 どかした場所を拭く
3 ふくろうの置物を元の場所に戻す


 もし置物を持っていなかったとしたらどうだろう?


1 ここ、拭いときますね


 はい、終わり。お疲れさまでした! 手順は3分の1で済んだ。かかる時間は3分の1以下だろう。それに、入り組んだ複雑なふくろうの置物を拭く手順もない。これがもし、置物を3個も4個も、10個も20個も持っていたとしたらどうだろう?


ミニマリズム」で不要なものを周囲から減らしていくことは、精神的な面だけではなくて、物理的にも日々の負担を軽くしていくことでもあるのです。
「収入を増やす」よりも「支出を減らす」ほうが合理的な場合が多いように、「広い部屋に引っ越す」よりも、「今の部屋の要らないものを減らす」ことによって、空間は、広く使える。
モノが少なければ、掃除も簡単だから、ちょっとした時間に、すぐにできる。


ただ、いくつか「腑に落ちない」というところもありました。
この本のなかには「ミニマリスト」の例として、スティーブ・ジョブズが頻出してくるのですが、蕎麦を食べるために自家用ジェットでアメリカから日本に来るような人を「ミニマリスト」を呼んでも良いのかどうか?
お金の有無とかは関係なくて、「自分にとって必要なものを自分で理解し、本当に大事なもののために時間や空間を使う」という発想でいくのであれば、「ジョブズにとっては、蕎麦一杯のために飛行機に乗ることこそがミニマリズムなのだ」とも言えるのでしょうけど……
僕は伝記が好きで、ジョブズやアップルに関するさまざまな本を読んできました。
そして得た結論は、「スティーブ・ジョブズは、普通の人が生き方を真似するのには、もっとも不向きな人物ではないか」ということでした。
というか、ジョブズとか、マザー・テレサは「ああいうふうにしか生きられなかった人」じゃないかと思うんですよ。
彼らは「考えて、その生き方を選んだ」のではない。


そういう意味では、僕にはジョブズというより、「元・汚部屋の主」だったという著者のほうが、参考になるのです。
ただ、子どもがいる生活だと、なかなかモノを減らすのは難しいよな、とも思います。
部屋が片付くと、少なくとも妻は喜びそうですが。


あと、この本の中盤、第3章には「捨てる方法最終リスト55!!」、そして「さらに捨てたい人へ 追加リスト15!!」と続くのですが、正直、あまりにも項目が多すぎて、「捨てかたのコツの説明も、まとめて整理して、ミニマムにしてほしい……」とは思いました。
後半は、どんどん「ミニマリストになったら、彼女ができました!」みたいな、「エスパーシール」か?という話になってきて、蛇足っぽいし。
前半は「そうだよなあ、もうちょっとモノを減らしたほうが、生きやすい時代だよなあ」を感銘を受けていたのだけれど、最後のほうは、読むのに疲れてきたのです。
少なくとも、この本の内容には「ミニマリズム」に即しているとは言いがたいところがあります。


そもそも、人って、極端から極端へ、行ってしまいがちなんですよね。
「汚部屋」から、「ほとんど何もない部屋」へ。
冷静になって考えると、大部分の人にとって、快適な空間というのは、その中間くらいにあるはずです。
「汚部屋」も「ミニマリズム」も、そういうバランスをとることがうまくない人たちが生んだ、イビツな形なのかもしれません。


とはいえ、これからは、日本の人口も減っていくし、孤独死する可能性も少なくない。
「大量生産・大量消費」ではない生き方、自分が死んだあと、残された人があまり遺品整理に苦労しない生き方のほうが、合理的なのではないか、と僕も思うのです。
遺品を整理する側からすれば、「汚部屋」よりも、「ミニマリストの部屋」のほうが、はるかにラクだろうし。


この本のなかで、著者は「ミニマリストとは何か」について、こう述べておられます。

 スーツケース1つに荷物が入らなければミニマリストではない、寝袋で寝なければミニマリストではない。ミニマリストにそんな「条件」は存在しない。唯一の正解も不正解もない。たとえば、自分が本当に必要だと思うモノだけに減らした結果、かさばる大きなグランドピアノだけが残ったとする。減らした結果、自分にとってどうしても必要で、大事だと思うものがわかった。その人にとっては、それが「音楽」だった。本当に大事なものを発見するために、ミニマリズムという手段はある。

ちなみにこの本「無料体験版」もあるそうですよ。