この話を最初に読んだときには、「見たくない」のは勝手だと思うし、僕もわざわざ観ようとは思わないけれど、「産めない人への配慮」とかいうのを強要するのは、さすがにあんまりだろう、と「うんざり」したんですよね。
乙武さんのこのtweetも、たくさんリツイートされていましたし。
すごい言いがかりだな。「健常者をテレビに映し出すなんて、手足のない人に対して配慮がない!」とか言い出す人が出てきたらどうするんだ(笑) / 「産めない女性に対して配慮がない」森三中・大島の出産シーン放映に非難殺到 - http://t.co/dxts1Iz4Y8
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) July 4, 2015
ただ、率直なところ、僕はこの大島さんの話に、ちょっと引っかかるところがあって。
それがなぜなのか、自分でもよくわからなかったんですよ。
僕自身には子どもがふたりいて、「産めなかった、できなかった」わけではない。
鈴木おさむさん、大島美幸さん御夫妻には「おめでとうございます!(でも、これからしばらく、けっこう大変ですよ!)」と祝福の言葉を贈ります。
他人の子どもであっても、子どもが生き生きとしている姿をみるのは、なんだかとても良いものです。少なくとも僕にとっては。
自分が親になってから、そう思うようになりました。
この「出産シーン公開」に関しては、僕には免疫があるというか、いちおう、実習で見学もしていますし、九州人ならば、山本華世という有名な御当地芸人さんが、1993年に「出口側からみた、そのものズバリの出産映像」を無修正で公開されたのを記憶している人も多いのではないでしょうか。
それに比べたら、大島さんの出産シーンなんて、スモールインパクトですよ……
でも、なんか違うのだよなあ。
その理由に、昨夜、ようやく思い当たったのです。
そうか、大島美幸さんは、ずっと子どもが欲しくて「妊活」していた人だったんだよな、って。
大島さんと放送作家の鈴木おさむさんは、仲むつまじいご夫婦で、ずっと子どもを渇望しておられました。
しかしながら、ふたりとも多忙だし、大島さんは売れっ子タレントとしてのスケジュールに縛られていては、いつになっても妊娠・出産できるタイミングが来なくなる、ということで、仕事を休んで「妊活」に取り組んでおられました。
今回、その甲斐あって、妊娠・出産となったわけです。
そりゃ、嬉しいよね。みんなに、見せたいという気持ちもわかるし、それも「芸」にしてしまうのが、芸人の矜持なのかもしれません。
でも、僕はこんなことを考えてしまうのです。
「なかなか子どもができなかった頃の大島さんが、他の人の『出産VTR』を観たら、どう思っただろうか?」
素直に「感動」できたのかな。
観ていて、羨ましさとともに、つらさも感じなかっただろうか。
自分になかなか子どもができない時期だったら、やっぱり、そういう「公開設定」に対して、多少はナーバスになるのではないか、と僕は思います。
休養までして「子どもが欲しい」と思っていたのだから。
にもかかわらず、自分が妊娠できて、出産するとなると、それを「全国ネットでネタにしてしまう」というのは、なんだかちょっと、不思議というか、違和感があるんですよ。
本人としては、「こんなに頑張って、結果も出たんだから、見て見て!」って気分なのかもしれないし、「こんなに素晴らしいものなんだから、多くの人に感動を与えたい」のかもしれない。
でも、「妊娠する前の大島さん」は、他人のその場面を、見たいと思っていたのだろうか?
人間というのは、なぜ、自分が苦労したり、悩んでいたことを「克服」したとたんに、それに苦しんでいたときの自分のことを、すぐに捨てたり、忘れたりできるのでしょうか。
僕はこれまでのそこそこの長さの人生のなかで、ずっとモテないことに悩んでいたはずの友人が、恋人ができたとたんに「恋愛論」を熱く語り出したり、ずっと「運がなくて、事業がうまくいかない」と言っていた人が、成功したとたんに「他の連中は、努力不足なんだ」と説教したりしている場面に、何度も出くわしました。
いやちょっと待ってくれ、いまそうしている「あなた」は、ついこのあいだまで、あなたがいちばん嫌っていた人間そのものではないのか?
むしろ、そうやって「克服」した人のほうが、昨日までの自分だったはずの「うまくいかない人」に対して、キツくあたっているように見えることは、少なくありません。
「私にはできたんだから、あなたにもきっとできるはず!」
「恋愛とか事業とか勉強」なんていうのは、「運」もありますが、誰にでも、やりようによって、道は開ける(ことが多い)。もちろん、条件は平等でも公平でもないけれど。
ただ、「妊娠」とか「出産」となると、前提条件によっては「どんなに努力をしても、どうしてもうまくいかない」こともある。少なからずある。
大島さんは「うまくいかない人」の気持ちや、焦り、嫉妬の感情も、知っていたはずです。
そんな人でも、こういう「見せたい」という衝動に、抗うことができなかった。
人って、なんでこんなふうに豹変してしまえるのだろう。
それが「芸人魂」なのだろうか。
いや、人間なんて、みんなワガママで贅沢なところがありますからね。
僕だって、二人目が生まれるときまでは、「とにかく、母子ともに元気であってほしい」と、祈っていました。
ところが、生まれてみると、「男の子ふたりか……ひとりくらい、女の子が欲しかったな」なんて、考えてしまうこともあるのです。
ほんと、喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはこのことで。
贅沢すぎるのは百も承知なのだと口にはしてみるけれど。
大島さんを「産めない女性に対して、配慮がない」と声高に責める人は、実際にはあまりいないと思います。
出産は基本的には「めでたいこと」だし、大島さんが出産しても、これまで産めなかった人が、急に産めるようになるものでも、その逆でもない。
ただ、大島さん自身には、過去の自分との葛藤はなかったのだろうか、とか、僕は考えてしまうんですよね。
人は、変わる。
ときには、少し前の自分が、もっとも敬遠していたはずの人間に。