いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

あるラーメン屋の「口コミ戦略」の結末

僕が昔住んでいた地方都市の駅のなかに、一軒のラーメン屋が開店した。
店主は、ある有名ラーメン店で修業をしたが、その味に満足できず、研鑽を重ねて「最高の味」をつくりだしたのだそうだ。
開店当初、このラーメン屋は、地元のメディアで採りあげられ、そこそこ話題になった。
味というより、その奇妙なシステムのことが。


店主は、店を繁盛させるために、どうすれば良いのか考え、ひとつの結論に達していた。
「どんなに美味しくても、この店の存在を多くの人に知ってもらえなければお客さんは来ない。とにかく、知名度を上げることが大切だ」


そこで、こんなシステムを考案したのだ。
「ラーメン1杯500円(値段は記憶していないので、適当につけています)。でも、この店のことを宣伝してくれるお客さんは、サービスで100円にします!」


当時はまだ、『食べログ』も『SNS』もない、ポケベルから携帯電話に移り変わるくらいの時期だった。
だから、その「宣伝」は、あくまでも口約束でしかない。
レジのところで、「この店のことをみんなに紹介します!」と宣言するだけでいい。


開店当初、その店は、けっこうにぎわっていた。
もともとその駅のなかにラーメン屋が無かったことや、地元のタウン誌やローカルニュースで採りあげられたこともあって。


僕も、一度だけ行ったことがある。
そのラーメンは、率直なところ、あまり美味しくはなかった。
湯切りが甘いのかスープは薄く、コクもなく、いろんな味が混じりあってはいるが馴染んではおらず、麺が少し延びていた。
店主のこだわりが壁のあちこちに貼られており、なんだか落ち着かなかった。
ただ、絶望的に不味いわけでもなかったのだ。
まあ、時間がなくて、いまラーメンが食べたければ、入る選択肢もあるかな、という程度。


会計の際、店主は言った。
「うちのラーメンを宣伝してくれたら、100円でいいですよ」
「うーん、いや、いいです。普通に払います」
「そうですか、でも、本当に100円になるんですよ!」
「ええ、でも……今日はいいです」


もちろん、その店と僕との接点に「今日」以外の日はなかったのだが。


半年ほど経って、その店は閉店していた。
地元でもあるし、ときどき利用する駅の中にあるので、なんとなく気にしてはいたのだ。


しばらく後に、ある席で、その店のことが話題になった。
開店当初は大勢の客が来ていたのだが、客は次第に減っていったそうだ。
新しい店がご祝儀的に流行るのは、飲食店にはよくあることで、客足が一度落ちてからが勝負だと言われている。


そして、客足が減った時期の様子について、知り合いがこんな話をしてくれた。
「ラーメンを食べに行ったら、食べている途中で店主が話しかけてきて、ぜひこの店をみんなに宣伝してくれ、って言うんだよ。『みんなに知られていないから、お客さんがなかなか来ないんだ』って。でも、食べている途中に向こうの都合で話しかけられても、鬱陶しいだけだろ?とりあえず『そうですね』みたいな感じで相槌を打って、なるべくサッと食べて、すぐに店を出たよ。ぜひ宣伝してくれ、宣伝してくれたら安くする』って言われたけれど、丁重にお断りして。だってさ、500円くらいで恩を売られるみたいなのも気持ち悪いし、知り合いにすすめて喜ばれるほどの味でもないし。最後のほうは、そんな店主の評判が伝わったのか、客がいるところは見なかったなあ」


その場にいた他の人も、同じような話をしていた。
店主は、末期に至るまで、自分の店がうまくいかない主な原因は「宣伝不足」だと信じていたのだ。
あるいは、信じたかっただけなのかもしれないが。


店主はたぶん、「ラーメンの質」をおろそかにしていたわけではないのだろう、とは思う。
少なくとも僕が行ったときには、あの店主なりに、味に自信を持っていたようだから。
そして、すごく美味しいラーメンではなかったが、立地には恵まれていたので、普通にやれば、それなりにはやっていけたかもしれない。


うまくいかないときに、間違った方向の努力をしてしまうことは、少なくない。
いくら宣伝しても、そのおかげでラーメンが美味しくなるわけではないのに。
中身が伴わないものを、大声でアピールしようとしても、失望されたり、反感を買うだけなのに。


本当に美味しいラーメンならば、時間はかかるかもしれないが、たぶん、客は来る。
沖ノ鳥島で営業している、とかいうのでなければ。
いろんなやり方があるのかもしれないが、ラーメン屋に必要なことは、まず、美味しいラーメンをつくることなのだ。
不味いラーメンを宣伝しても傷が大きくなるだけだし、宣伝そのものを『鬱陶しい」と感じる人も多い。


これを読んでいるあなたは「そんなの、当たり前だろ!」と思っているはず。
だが、自分のこととなると、案外、そんな当然の「優先順位」が見えていないものではあるのだ。