いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「東大の首席になるための攻略法」への違和感

『希望の資本論』(池上彰佐藤優共著/朝日新聞社)という対談本のなかに、こんな話がありました。

佐藤優『東大首席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法』(PHP研究所)を書いた山口真由さんの本を読んだらよくわかります。山口さんの本はある意味で東京大学を象徴している。彼女は東大首席卒業の弁護士なのですが、自分がなぜ東大の首席になったかについて書かれています。東大はある時期から天才ではなくても全優が取れるようになった。それは東大が国際基準で相対評価になって、3分の1は優をつけなくてはならない制度になったからです。


池上彰なるほど。


佐藤:そうすると、トップにならなくても、全科目で3分の1に入ればいい。それを狙っている人は山ほどいる。だから自分は考えた。そういう人たちは単位を落とすことがないので、全員最低数の単位しか取らない。それで自分は2単位多く取ったと。162単位。そうすると、全優はたくさんいるんだけれども、首席になるのにその次の基準は単位数になる。私はそれに気づいた、というわけです。


池上:それは見事だなあ(笑)。


佐藤:面白いです。いまのエリートの思考の構造が端的にわかる。


池上:よーくわかります。


佐藤:そういう知性の使い方もあるんです。それはある意味、資本主義の中における競争というものを、徹底的に純化して体現する、資本の論理が金儲けの方向じゃなくて、成績、出世という方向に行ったらこういう形になるということです。


池上:ある種の定向深化ですね。その環境の中では一番いい、最適なところへ行くわけでしょう。環境が変わった瞬間に滅びるわけですよね。


佐藤:いまのエリートの病理がそのまま表われています。そうするといま、国会もエリートも、官僚も、比較的こういう人たちの集積になっているわけです。そうするとヤンキーに負けてしまうんです。


池上:確かにそうですね。


 この話、率直に言うと、「わかるところもあるし、わかると言い切れないところもある」のですよね、僕にとっては。
 なぜ「ヤンキーに負けてしまう」のか?
 山口真由さんの本も読んでいないので、又聞きであれこれ言うのもなんですし。


 でも、これを読んでいて、いろいろと考えてしまったんですよね。
 僕は昔から疑問だったというか、どちらが良いのか、わからないことがあって。


 それは、もしそこに「1日あたり100」の力が必要な仕事があって、自分に「1日あたり200」の能力があったら、どうふるまうべきなのか、ということです。
 その「100」の仕事を、半分の時間で終えてしまって、残りの時間は休むなり、好きなことをして過ごすべきなのか、それとも、割り当てられた時間で他の仕事まで探して、「200」までやろうとするべきなのか?
 こういうのって、報酬とか、自分自身のトレーニングになるかとか、いろんな要素があるとは思うのです。
 でもまあ、ものすごくひらたくしてしまえば、「平均の2倍の能力がある人がいたとして、その人は人の半分の労働時間で同じ報酬を得る道を選ぶのか、同じだけ働いて、倍の報酬を目指すべきなのか?」ということです。
 いや、報酬にかぎらず、もっと勉強して、技術や知識の「高み」を目指すべきではないのか。
 もちろん、これとは逆に「半分しか仕事ができない場合」というのも考えられますよね。
 同じ時間で半分の報酬で良いのか、倍働いて、同じだけ稼ごうと思うか。


 僕が人生の半分を生きてきた、高度成長期からバブル崩壊くらいまでの世の中って、「バリバリ働いて、バリバリ稼ぐ」みたいなのが善とされてきたような気がします。
 それが、日本経済の長年の停滞もあり、「働いても、そんなに良いことない」「自分だけ働くのは損だ」「効率の良い働き方で、ワークライフバランスを」という考え方をする人が、どんどん割合的に増えてきたのです。
 僕もどちらかというと、この「効率派」なんですよ。
 半分の労働時間で、同じ給料がもらえるのであれば、わざわざそれ以上稼ごうとするより、好きなことをやる時間に使いたい、っていう。
 実際にそれができているかどうかは、別として。


 でも、他人のこと、それも、この東大首席の人のように「日本を牽引する立場の人」となると、「それで良いのか?」という気がしてしまうのです。
 ものすごく能力がある人だと思うし、「東大ですべての科目で上位3分の1」なんていう話だけでもクラクラしてしまうのですが、それでも、「こんなに効率的に『首席』を取ることに特化してしまう人は、ゲームのルールが無いところでも、同じようにやっていけるのだろうか?」とも感じます。
 こういうふうに、テクニックで「首席」になってしまうと、かえって重いものを背負ってしまうことにならないだろうか。
 それこそ、「余計なお世話」なんでしょうけど。


 「効率化」すること、「ルールを利用する」ことが「悪」だとは僕も思いません。
 とはいえ、頭が良い人や能力が高い人が、目先の「最小限の労力で、最大限の効果をえること」に特化してしまう、その「効率化」のために能力を使ってしまうというのは、ほんとうに「正しい」のだろうか?
 何か、もったいないような気がする。
 だからといって、「あえて効率の悪いことをしろ」と言うのもおかしな話だし、ルールが明示されていれば、その中での「攻略法」を見つけるのを責めるわけにはいかない。


 でもやっぱり、僕は「それでいいのか?」と問いかけたくなるんですよね。
 僕自身、ずっと自分にそう問いかけながら、結局、「いやあ、でもこれ以上がんばったら、家庭崩壊するかもしれないし、体力的にもきついしさ……」なんて自分に言い訳を続けながら生きていたのですけど。



東大首席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法

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