いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕は、卒園式で泣いただろうか。

長男は卒園式のあと、仲良しの女の子とふたりで、幼稚園の教室で泣いていたそうだ。
もう、これで会えなくなるんだね、って。
もちろん、会おうと思えば、会える。たぶん、いつでも。
でも、たぶんこれから二度と会わない人が多いことも、子供たちは、なんとなくわかっている。
学校は離ればなれになってしまうけれど、先生も、幼稚園のクラスのみんなも、それぞれの日常を生き続ける。先生は新しいクラスの子たちのことで頭がいっぱいになり、幼稚園の友達も、それぞれ、新しい小学校での新しい人間関係がはじまる。
「泣いていたのは、ボクと、○○ちゃんの二人だけだったよ。先生も少し泣いてた。同じ小学校に行くって言っていた××くんたち4人は、ずっとふざけて遊んでた」


僕は、幼稚園の卒園式で、泣いただろうか。
記憶にある限りでは、小学校、中学校、高校、大学と「卒業」のときに、泣いたことはない。
将来に希望を持っていたから、というよりは、どこにいても、「変化が起きること」を覚悟していたし、今いる場所に少し疲れていて、短い間でも休みになるのが、ちょっと嬉しくもあった。
泣くほど、いまの場所に愛着を持てた息子が、ちょっと羨ましい。


長男は、誰も知り合いがいない小学校に、4月から行くことになる。
長男、6歳。幼稚園の、狭くなった園庭からの旅立ち。
親としては「無事卒業してくれてめでたい、小学校で成長した姿をみるのが楽しみ」というのと、「もうこんなに大きくなってしまったのか」という寂しさが入り混じっていたのだけれど、本人にとっては、3年間も慣れ親しんだ「第二の家」から去る日なのだ。
6年間の人生のうちの「3年間」は、長い。人生の半分だ。
最近よく、「昔はね」なんて、年少さんの頃の話をしてきて、僕は内心「6歳に『昔』なんて無いだろ」とツッコミを入れてしまうのだが、それはたしかに、長男にとっての「昔の話」なのだろう。


「みんなに、『好き』って、言われたよ」
長男は、ちょっと涙声になった。
卒園式は、旅立ちの日。
そして、彼にとって、人生でたぶん最初の「別れの日」だ。


「『さよなら』だけが人生」ではないと思っているけれど、生きていくというのは、たくさんの「さよなら」を経験することでもある。


この「さびしさ」も、いつかは、記憶の底に沈んでしまうのだろうな。
僕が、卒園式のときの「さよなら」を、もう、ほとんど覚えていないように。


もう、二度と会わないかもしれない。
だからこそ、長男と、長男を好きになってくれたすべての人たちのこれからの人生に、幸多からんことを願わずにはいられない。